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考えること、そして書くことが慰めになっている

何かに夢中になれていたり、没頭できているときは幸せだ。ところが飽きはじめて暇ができてしまうと、今まで見過ごしていたことに気がついて落ち込んだりする。たとえば武漢武漢と騒がれていたころからもう一年も経過していること。私はサガンの『一年ののち』という小説が好きでよく読み返すけれど、一年、一年と数えるたびに変化は恐ろしいと目を瞑る。

知りたくなかったのだ。同じ季節なのにあまりにも変わってしまったことが。変わってほしくなかったものが、あまりにもたくさん変わってしまいとても悲しい。自ら望んで新しいものに出会いに行く旅とはちがって、居所である巣の状態が変わってしまうこと、望んでいなかったその新しさは受け入れがたい。喪失感が大きく口をあけて、はっきりとした姿で見えている。

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あの店も、閉店した。こんなことになるなら早めにたためばよかった、という声。どう慰めたらいいのかわからない。過去はよかったという話をしたところで、これから先の負債について何ができるわけでもない。慰めも励ましも、あの喪失感がすべて吸い込んでしまう。

また会いに来ますから。言いかけて口をつぐんでしまう。その約束を果たせるか自信がないのなら、言わないほうが誠実だ。また一年ののち、想像を超える変化が起きたとして、何かを喪い何かを得たとしても、考えること、そして書くことが慰めになっていると思うから私は考え続ける。

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