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「見えない」ということが一番のエロスだと思う

こんにちは。突然だが、僕はグラドルのイメージビデオが好きだ。こういう事を言うと何も分かってないアホ共がAVでいいじゃんとか言うのだが本当に愚かだと感じる。確かにイメビで大事な所が見える事はない(過激なものを除いて)。しかしそこに人は想像をかきたてられるのではないだろうか。

ガッカリした経験

僕が見えないことに興奮を覚えたのは中学の時だ。当時週刊少年ジャンプで「ゆらぎ荘の幽奈さん」というお色気マンガが連載スタートした。画力の高さと適度に頭空っぽにして読めるストーリーが好きだったし、実際人気マンガとなった。今の少年ジャンプでは基本大事な所は出てこない(矢吹健太朗作品は別)。それは幽奈さんも例外では無く、白いモヤがかかっていた。僕はこの表現にもどかしさと興奮を覚えた。そのモヤの向こうがどうなっているのか読む度に想像しては悶々とした。ある日、立ち読みのためにコンビニに寄ると幽奈さんの単行本が陳列されており、気になって手にとってみた。すると単行本版ではモヤが消されており、ヒロインたちのB地区が露わになっていたのだ。普通ならここで喜ぶだろう。しかしながら僕は答えの無い問いに一方的に模範解答を示されたようでガッカリしてしまったのだ。なぜ自分はガッカリしたのか。そこには人間の持つ想像力の無限性があるのではないか。

ミロのヴィーナス

このモヤモヤを心にしまったまま高校に進学した僕に一つの答えを示す機会が訪れた。それは現代文の授業で読んだ「ミロのヴィーナス」という評論文だ。

https://www.naka-h.ibk.ed.jp/?action=common_download_main&upload_id=2281

清岡卓行によって書かれた芸術論であり、読んだことあるという人も多いのでは無いだろうか。清岡は文章の中でミロのヴィーナスは腕が欠損していることこそがその美しさを際立たせているとする。腕が欠けているからこそ時代を超えて人々に愛されるのだと。人はその欠けた腕に無限の可能性を見ると清岡は訴える。この文を読んだ時、自分の中で何かすとんと腑に落ちたのを感じた。「あぁそうか、あの日俺がガッカリしたのはそういうことだったのか」と。

布の奥に感じる無限の可能性

人は水着の女性を見たとき、その布の向こうを想像する。確かにガッツリ見えている方がエロいのかもしれない。しかしそれを想像することは回りくどいように見えて一番エロスを解放している瞬間なのではないだろうか。イメビの何が良いのか分からないという方へ、一度騙されたと思って見てほしい。そして彼女たちの持つ無限の可能性へ飛び込んでみてほしい。そこにはきっと単に裸の女を見るだけでは得られない世界が待っているだろう。

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