見出し画像

ヒラサワとインターネット

平沢進を追いかけ始めてから1年経ったので
この1年で変わったこと・思い出したことを書こうと思う

まずはインターネットをもう一度好きになった話

インターネットを始めたのは小6の頃
最初は友人との連絡ツールだった
家に帰った後でも、小中学生には到底考えられないくらい夜遅くまで友人とチャットで話せるのが楽しかった
もう少し沖へ漕ぎ進めるとHP,ブログ,掲示板という世界を見つけ、
顔も知らない人の考えていることや生活をたやすく見ることができることがわかった
絵がうまい人、引き込まれる文章を書く人、楽器がうまい人、
身の回りにはいないような同じものが好きな人
決してこちらから声をかけることはなかったが、その存在が嬉しく毎日のように覗いていたし
創作は何も出来ない私も考えていることを文章に書いてネットの海に浮かべることは好きでブログを長いこと更新し続けていた

ニコニコ動画も大好きだった
どんな深夜に1人で見ていても、同じ方向を見ている大勢の他人の存在を感じたが
その人たちとは決して交わることはない、どこの誰かもわからないところもよかった
私が気が付かないようなことに気付かせてくれるコメントが面白く
コメントを覚えるくらい見た動画も数知れずあった

Twitterは高校生の頃、好きなバンドのボーカルを追いかけて始めた
ブログをやっていた私には文字数があまりに短く感じたが、
ここでもテンポの良い文章を書く顔も知らない人とたくさん出会えた

しかし大学生くらいになると
インターネットの危険や弊害ばかりがクローズアップされるようになった
ちょっと考えればわかるようなことで壁にぶち当たる人々、
あまりにどうでもいいことで炎上、
何より他人のSNS投稿を見てふと気分が陰る自分、
全てが嫌だった
好きで始めたTwitterはリアルとインターネットを紐付けて使用する人が多いという特性上、
とんでもなく窮屈な世界になってしまった

インターネットはあまりにも普及しすぎた
嫌な思いしてまでやるものではない、
もうあまり本気で関わるのはやめよう
辟易することばかりでいいことはないと思っていた

さてここからどうやって平沢進の話に繋げるのか

平沢進を追いかけて1年、
27歳になった私は忘れていたインターネットの楽しみ方を思い出したのである

ヒラサワのことを好きになり始めた時、実に久しぶりにニコニコ動画にお世話になった
(あんまり胸を張って言えることではないが)
中学生の頃、深夜にニコニコ動画を見ていた時のワクワク感を追体験した
古いコメントは一体いつから積み重なっているのだろう
それはもう言うなれば地層のようである
とにかくたくさんの目がコメントで私がまだ見えていないヒラサワの魅力を教えてくれた
(何よりネットの住民に祀りあげられるヒラサワを見ると心底楽しい気持ちになる)

平沢進について知るにはどうやらTwitterが効率がよさそうだと気が付き
元々趣味アカウントとして使っていたアカウントで追いかけることとした
追いかけるうちに必然的に馬骨の世界を覗くこととなる
そこには小中学生の頃見たような
絵がうまい人、引き込まれる文章を書く人、楽器がうまい人、
そうでなくても身の回りにはいない自分と同じものを好きな人が昔と変わらないまま存在した
私が見つけられていなかっただけでみんなずっとここにいたのかと思わされたほどだ
好きだったものが変わらずにそこにある嬉しさは何にも変え難い

今のところ昔と変わらず、自分から話しかけることはない
このまま話しかけることはない気もしているが
大人になったし声をかけてみるのもいいかもしれないと思ったりしている

歌詞の意味なんか考える前から
P-MODELの「Wire Self」という曲が大好きである

バンジージャンプ バンジージャンプ バンジージャンプ
この部屋からトータルへ

という歌詞について
集合的無意識の中に飛び込む、という解釈
インターネットの海に飛び込む、という解釈
の2つがあると考えるのが個人的にはしっくりくる

ユング心理学は外出自粛期間に1冊だけ本で読んだ程度なので偉そうなことは一切言えないし
浅い解釈を述べるのは恐縮だがここは恐れずにいく、いくのである
そもそも考えてみると、
インターネットは集合的無意識と似ているように思う
個人の経験を超えてたくさんの情報のリソースにアクセスできる
肉体、性別、出自から解放された場所で他者とさまざまなものをわかちあえる
限りのない自由な空間がインターネットだと
気がついた時のヒラサワの希望、開放感が詰まっている曲が
Wire Selfなのではないかと、私は思っている


まあ日常的にそんな格好いいことを考えながらインターネットを使っているわけはないのだけど
それは私が小学生で初めてインターネットを始めた時に感じた
純粋な面白さと通じる部分があるのではないかとおこがましくも思ってしまうのだ

この部屋から トータルへ
こんなにインターネットの可能性が見事に詰まった一節があるだろうか
私にとって、平沢進はインターネットのよろこびおじさんである

習慣を変えるのが好き、やり尽くされたことはもうやらない、
バカに見つからないように図っている
粋なステルスメジャーがここまでTwitterを続けていることが不思議だと感じたこともあるが
一方でヒラサワは自分が一度好きになったものを簡単には見捨てない人間でもある
どうか、いつまでも自由にインターネットの海を意地でも楽しんでいてほしい

ゲンロンカフェでTwitterについて話したヒラサワが
自分のツイートに対するリプライの中に
時々、自分が意図している方向と同じ方向を見ている人がいる
その存在が気持ちいいというような発言をしていた
多く言葉を交わさなくてもわかりあえる存在がどこかにいる
平沢がインターネットに居続ける理由はそこにあるのではないかと勝手に納得した

私のTwitter、noteも誰も読んでいなかったとしても
インターネットの海に浮かべることで
顔も知らない誰かが自分が考えていることを心の底からわかってくれることにどこかで期待している

インターネットのよろこびおじさん
いやインターネット賢者ヒラサワと周辺に広がるネットリテラシーが異様に高い界隈が
私にインターネットの可能性を思い出させてくれた

インターネットは窮屈であってはならない
ヒラサワはそんな窮屈なところにいるのはやめたら?と
ステルスメジャーとして毎日21時(水曜日定休)に私たちの前に現れては
冗談を交えながら、大真面目に気付かせようとしてくれる

毎日21時に約束があり、こんなことを言ってくれるだけで
馬骨にとってインターネットの海は美しいに決まっている

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?