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会然TREKの終着点と2020

平沢進を追いかけ始めて1年が経ち2020年が過ぎ去った
が、2020年のハイライトのひとつである
会然TREK 2K20▼04 GHOST VENUEについて書き残さなければ2020年はまだ終われない
本日を2020年12月34日と思って公開する

会然TREK 2K20▼04への執念を語った前回の記事ではそこそこ聞き分けのいい馬骨のように振る舞ったが
無観客ライブへ公演内容が変更される旨の発表直後、私はかなりショックを受けていた

「GHOST VENUE」というタイトルを見た時、
圧倒的「不在」が突きつけられ正直に単刀直入に言うと、すこし、悲しかった

ライブの配信はとっくの昔からやっており、無機質な無観客ライブという手法はいかにもヒラサワらしいようで全くもって想像しづらい
インタラクティブにこだわったヒラサワ、
ギターの前に立つだけで必ずものすごい歓声が飛ぶ男ヒラサワだと知っていたからだ
そして、観客としてどんなに気持ちが昂っても伝える術がないことが決まっているもどかしさ
たとえ通常通りライブが決行されていたとしても
私が直接思いを伝えることも演者がステージ上から私のことを認識することも絶対にないが、
ライブというものを観に行くという行為は、
自分がその場に存在することでそのアーティストへの支持を証明出来ることが大きな満足感に繋がるのだと改めて実感した

不在の虚しさとの落とし前がつかないまま数日が過ぎ、
ある日ふと、通勤中の電車でGHOST VENUEのGHOSTとは「不在のはずだけど確かに居る」存在の象徴なのではという考えに至った
不在の虚しさは一気に薄まり、
自分が死んだことにすら気が付いていない幽霊のように
NHKホールに怪奇現象を起こすくらいの気概で見届ける気になったことで
導入の文章を当日まで何度も読み、
どんな公演になるのだろうという期待に胸を膨らませた

ライブ当日はいつも通り出勤したものの、15時頃から少しずつ仕事が手につかなくなっていった
待ちに待った定時18時半と同時に退勤し、
無事に予定していた電車に乗り職場から最も近い友人宅へ
(自宅に帰ると開演時間に間に合わなかった、友人には感謝しかない)
18:55頃滞りなくすべてが整い、
プロジェクターで友人宅の壁に投影された画面をそわそわした気持ちで眺め、開演を待った

これが初めての生配信ライブ視聴だったが、
この待つ時間の緊張感、待ち遠しさ、少しの始まらないでほしい気持ちは
思っていたよりもずっと普通のライブと変わらず驚いた

真っ青なステージが静かに映し出され
セグウェイに乗った会人、続いて平沢進が現れ電光浴-再起動からライブは始まった
無観客とはいえいつも通り仕事をこなす平沢進と会人に胸が熱くなる反面、
曲間になると静まり返るカメラの向こう側の空気が時に寒々しく感じられ
なんとなく固唾を呑んで見守るような心持ちだった

アディオスの演奏終了後、
なんとも肩の力が抜けるコーラスが流れると
なんと会人が乗っていた台座をヒラサワが引っ張り、会人が棒で押して転換作業をしはじめた

岩のように聳え立つ 道に見えなくて千年行けず(あるいは 行ける)
手を振れば謎は二度と見えない

二重展望2020…?Caravan…?
ちょっと何やってんの???以外の感情を失い、
頭の中が何が起こるんだろう?という期待とはてなで埋め尽くされ
感情を処理しきれなくなった私は半笑いで、
コントのようなパフォーマンスを繰り広げる会然一行を見ていた
この人を追いかけ始めてからわけがわからなさすぎて笑うしかなかったのは一体何回目だろう
大体何なんだこのあまりにスタイリッシュさに欠けるわざとらしいまでに太い綱は

台座を2つステージ脇に運び終えるとヒラサワがレーザーハープの前に戻り、何かを手に取り俯いて、
手を振れば謎は二度と見えない
と呟くように歌った次の瞬間、
ヒラサワがステッキ状の360°カメラを振り上げたのを合図に


遠くまで キミはつづく

と澄んだ声がどこまでも遠くに投げられた
始まったのはCaravan2020だった
サーチライトのようなレーザーと照明が観客のいない客席と配信ライブ独特の空気を切り裂いて上空を照らした
同時に、フジロック2019から続いた会然TREKのフィナーレの空気が堰を切って押し寄せてきた

私は6月から今までこの演出のことを何度も思い出しては考えてしまう
今となってはもう、Caravan2020はああして始まるしかなかった、
配信ライブじゃなかったとしてもあの演出だったのではないか、
と思ってしまうような必然的な演出だが
未だに初めて見た時の意外さ、目が覚めるような衝撃が体を貫いた感覚を身体が覚えている
その反面、矛盾するようだがこの演出を最初からどこかで待っていたような気もするのだ
それほど必然的だったといえばそれまでだが見る度そんな不思議な感覚に陥る
今までこんな感覚は味わったことがなくて、
私はダイジェストムービーを見て、メモカに収録された「Caravan2020」を聴いて
何度も何度も雷に打たれるような感動を追体験している


そしてここで会然TREKという言葉について考える


trekとは旅は旅でも「苦労が伴う長い旅」という意味を持つ言葉らしい
シリーズタイトルの伏線回収としてなのかわからないが、
最大限コミカルに、すっとぼけたパフォーマンスで見事に「苦労した感」を演出した会然一行
「会然TREK」という言葉が持つ無国籍さ、何か崇高な目的があるようではっきりとはしないこのネーミングが
私たちをGHOST VENUEという半分現実・半分ファンタジーの世界へ誘ってくれたように思う
行き着く先がGHOST VENUEだとは誰が予想できただろうか、決して望んだ行先ではなかったはずだ
というより誰も望んでなんかなかった、とか
そもそもどうしてこのライブが無観客配信になったのか、とか
そんなこともすべて内包して会然TREKの物語の中に昇華されたように感じるのだ

そして私個人として配信当日は
あのフジロック2019から足を絡めとられるように、夜の水辺に思わず吸い込まれるように、
でも自分で選んで、この会然TREKのキャラバンについてきた、
その旅も今日で終わるんだと思わされ胸が熱くなった
会然TREKをTREKたらしめたのはこの演出だったのだと心から思う

訳もわからぬままこんな演出をもろに食らい突然フィナーレの実感が湧くと、
この旅を見届けなければともうそこからは一気に会然TREKの物語の中へ引き込まれた
気付けばカメラの向こうの寒々しさなど全く感じなくなっていた
友人宅の壁に穴が開くほどの熱量で必死に食らいつき、いよいよ辿り着いたQUIT
アウトロで平沢進は本当に同じ世界に存在している人間なのかと不安になるほど、
この先の未来が見えているかのような、実に意味深な、実に重たい、
あまりにも澄んだ美しいまなざしでまっすぐ前を見つめ、すっと目線を外して舞台からはけていった
もうこれで一生ヒラサワの姿を見られないかもと錯覚するほどの張りつめた終焉の空気と共に
会然TREKに本当のクライマックスが訪れた



訪れた、と思った、きっと誰もが
あのエンジン音が響き渡るまでは



もうここから先を語るのはあまりにも野暮である
もうすごかった、すごかったのだ、すごいとしか言えない
数秒前までもう一生姿を現さないかもと思っていたヒラサワがチェンソーを持ってあっさり現れ
会人を引き連れて、現象の花の秘密を口ずさみながら軽やかに舞台装置をズタズタに切り刻んでいる
私はあまりのことにまたもやずっと笑っていた、でもなんだか少し泣きそうだった
この人を追いかけて、訳も分からず笑えばいいのか泣けばいいのかわからないことがこれから何回あるんだろうか
「そんな窮屈なところにいるのはやめたら?」とチェンソーで割いた隙間から引きずり出され、
最後に映し出された「オマエタチ」のゴーストの中に私もたしかにいたのだ

ここまで長い文章を書いておいてこんなことを言うのも気が引けるが
こんな風にあとから自分がなぜ感動したのかを説明するのは簡単である
ただあの時は何もかもを照らすようなCaravan2020のヒラサワの声・レーザー・照明、
そしてクライマックスのチェンソーが
2020年春から常に生活のどこかに横たわっていた停滞した空気を切り裂いて
新しいことが目の前で起こったようで
本当に久しぶりに心の底からキラキラとした爽快感が湧き上がってきて
すごいものを見た、とにかくこの瞬間を見られてよかったという気持ちでいっぱいだった
それで精一杯だったし、それ以上でも以下でもない
その感覚こそが正しくて、それだけで十分なのである

平沢進はいつもそうだ
訳もわからず感動して、
あとからそれがなぜだったのか考え直してそれでも謎が残る、
言葉を尽くしてもそれでもなお余りあるものを
すぐにはわからないように、時にとてもわかりやすく渡してくれる

夕日を見ながら威風堂々とした賢者のプロペラを思い出した
決してわかりやすく、寄り添って励ましてくれるような存在ではない
それでも生命を賛美するような、
神秘をそのまま受け入れるような、
ただ気高くそこに存在するものに支えられる予感がした。

これは以前書いた記事から抜粋した、
2019年の秋、賢者のプロペラのライブDVDを見た翌日オフィスで突然沼に足を滑らせた時のことを書いた文章だが
2020年の私にとっての平沢進という存在を振り返るとかなり言い得て妙である
また、それなりに生きてると色んなことの展開の予想がついたり、
暗に伝えようとしていることの殆どが読み取れてしまったような気持ちになったりして
少しがっかりすることが増えたな、なんて思っていた私は
人生を見くびっていたと言わざるを得ない
未曽有の事態、変わったもの、変わらなかったものを見てきて
私が知ったような気持ちになっていたものなど世界のほんの一部だと思い知った1年であった
こんな2020年にヒラサワの不変が時に災害時のテレ東のように、
はたまた「Good Morning Human. 汝光なり」という言葉を示す灯台のように、
ただ気高く存在した、解釈はあなた次第、それ以上でも以下でもない
それがどれだけ心地のよい支えとなったか知れない


最後にひとつ、そんな2020年にやっぱり心残りだったことがあるとすれば
終演後、友人宅の壁に向かって送った拍手はどうやってもヒラサワに届くことはなかったという点だ
2021年、声は出せなくていいから拍手だけでも送れたら、と心から願っている

そしてまた熾烈を極めるチケット争奪戦、一喜一憂、
ライブ前の待ち遠しさと終わってしまう淋しさの狭間、
ライブ当日、ライブ後の余韻、とループする

2021年は馬骨になって初めての新譜もある、新作映像作品もある、ライブも予告されている、
馬骨の2021年は忙しい、そして未知の幸せで溢れている

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