見出し画像

雑記:おひさま

幼い頃、「おひさま」という絵本雑誌を定期購読していた。その中で忘れられない話がある。

ストーリーは「主人公の女の子が、その子の妹と、友だちと、3人で付録付きのお菓子の箱を開ける」というもの。妹と友だちが可愛いお姫様のフィギュアを当てたのに対し、主人公の箱から出てきたのはおかしなマントをつけた黒ずくめの男だった。主人公はそのことにものすごくがっかりした。
可愛いフィギュアが出てきた2人とは対等に遊べない。それもそのはず、だって主人公が持っているのは、「可愛いお姫様」じゃないから。2人と対等に遊ぼうったって、存在が対極すぎて難しい。しまいには妹にフィギュアをばかにされ、喧嘩して、腹を立てて家の外に向かって変なフィギュアを投げ捨てた。
フィギュアはコロコロと転がり、道路の端の下水道の網の中にポトンと落ちた。
自分のしたことを後悔した主人公は、なんとかフィギュアを側溝から取り出そうと試行錯誤した。そこに近所のおじさんが通りかかり、蓋を持ち上げてフィギュアを救出してくれた。
主人公は拾ってもらったフィギュアを愛おしく思い、妹や友だちとそのフィギュアで楽しく遊んだ、という話。

この「自分でも気に入っていないものを人からも馬鹿にされ、それがあまりに図星でブチ切れて一度投げ捨てるものの、捨てるという判断は間違いだったような気がして後悔し、いざ手元に戻ってきたら捨ててしまった罪悪感から大切にしようと思う。(けどその瞬間だけ)」っていうの、あるよねぇ〜〜〜〜。
結局気に入ってはいないから、長期的に大切にすることはなく、もう一度手放す(無くしてしまう)ときにはもう存在ごと忘れてしまうんだろうな、って思うとめちゃくちゃモヤモヤして、でも「人生」の解像度高すぎて忘れられないんだよなぁ。

「自分で分かっていることを他人から指摘される」ということへの苛立ちは、「自分がいいと思っているものを否定された」時よりも大きい気がするし、「自分の嫌な部分(この話で言うと、買ってもらったフィギュアを気に入らなかったことや、図星を刺されて衝動的な行動をしたこと)」を直視してしまった嫌悪感を「物事への愛着」がもたらす後悔と純粋に勘違いし、「一瞬だけ」大切にすると誓うことでチャラにしようとするそのふてぶてしさには真剣に腹が立つ。なんかこう……自分を「善良な人間」だと信じて疑わない姿勢が。「うげ、なにこれ」って思ってたやん、嘘つくなよって。

大人だったらさ、自分の手元にあるものにある程度の折り合いをつけて、納得して、それなりの振る舞い方を身につけたり、あるいは手放す決断をする人も多いと思うわけですよ。でも子どもが主人公の話だったから、「全然気に入っていないのに、本当は気に入っていたことにする」という綺麗事なねじ曲げ(本人はきっと無自覚)を感じとってしまって、すごい話だなぁと思ったわけです。

このモヤつきを、20年近く経った今でも鮮明に覚えている自分の性格の悪さに結構凹む。

……あれ、本当にこんなストーリーだったかしら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?