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いい○○で居なければいけないのは思い込み
こんにちわ。三度の飯より昼寝が大好きなricoです。最近昼寝が減ったな…。
私は今までどうも「いい○○でなければならない」が強すぎたようだと気づいた。気づいてから半年ほど経過するのだけど、この思い込みを消すのはなかなか時間がかかることを実感している。
やはり幼少期からの刷り込みが非常に強くて。
私は3人きょうだいの末っ子なのだけど。1番上の姉がかなりの曲者。少し年が離れているせいもあり、絶対的王女ポジションとでも言おうか。自分が全て正しい!の人。
それこそ「こんな計算もできないの?アホ」とか、「その服何なん?ダサっ」とか、まぁそんなことを常に言われ続ける環境だったわけです。
年が離れているから無条件に姉=強い、みたいな図式ができあがっていたのだと思う。
ただ、「どうやら姉はアホらしい」と気づいたのは私が小学6年から中学くらい?姉の通知表を偶然見てしまったのだけど(親が物持ち良かった)、私は取ったことのない評価がたくさんで。
もちろん、下の評価。
兄はそれなりに優秀なのだけど、あれ?姉って実は偉そうにしてるだけでダメダメなんじゃないの?と思うようになった。
成績で言えば姉はオール2、私はオール4以上がデフォルトと言うか。実際の通知表はそんな感じだった。もちろん5段階。
よく見なくても私より太ってるよね…私より成績悪かったんだよね…え?何で?何でこんな成績で偉そうにできるん?何の賞も取ったことのない人が?5科目全部2って何?と、当時の私の頭のなかは大パニックを起こしていた。
偉くもない人間が、自分より成績上の人間に偉そうにするって何?私がおかしい?え?成績悪いやつが凄いの?って。笑
その混乱気味の私は親目線で見れば手がかからず、文武両道だったのでスポーツも勉強も成績はそれなり。賞やら何やら色々貰っていたし、真面目でそこそこ優等生だったのだと思う。家事もこなすから、「いい子ちゃん」だった。それは自覚がある。
その「いい子ちゃん」が、抜けない。
いい子でいなければ親は自分を見てくれないとか。いい子でいなければ周りに迷惑をかけてしまうとか。とにかく「いい子で居ること」を最優先してしまった。
だからその後の人生も「いい○○でなければいけない」が強かったのだと思う。いい母親でなければ、いい奥さんでなければ、いい社員でなければ、そんな思いでがんじがらめになっていた。
鬱になって会社を辞め、社会人ドロップアウトしながらふと考えたら。あれ?別にいい○○じゃなくていいんじゃん、と気づいた。
いい母親でなくても子どもたちは慕ってくれるしイチャイチャしてくれる。いい奥さんでなくても夫は「ゆっくりしてな~」と言ってくれる。いい社員は…
そもそもが、「いい」って何ぞ?と。
会社にとって「いい社員」って、結局のところ少ない給料で文句言わずに働いて尽くしてくれる「都合のいい社員」じゃんって。
鬱になったらすぐ切るんだよ?笑
じゃあその会社、私から見たら「いい会社」で、そこで働いてる人たちは「いい社員」だったのか?答えはノーだよね。いい社員なら、多分嫌がらせしないし変な噂流さないでしょって。
自分に対して良くしてくれる人にはもちろん良い対応はするけれど。そうでない人たちに良い対応が必要だとは思わない。自分にとって害があるのなら不要一択しかないよねと。
なんだ。今まで頑張って「いい○○」してきたけど、必要ないかもしれないな。だって自分はいい母親でも奥さんでもないけど、ちゃんと大事にしてくれる人はいるんだし。そう思えた。
頑張ってない自分は認められなかった。それがとても苦しくて、もっともっと頑張らなきゃいけないと思い込んでいた。頑張らない自分には価値がないと思って、とにかく追い込んでしまっていた。
けど、それをポイッと捨ててみたら。
すごく楽になった。
もちろん要所要所で頑張る必要性は出てくるのだとは思うけれど。少なくとも今は「頑張らなくてもいい私」でいいのだろう。
いい子ちゃんの考えはなかなか消えてくれないけれど、少なくとも「周りにとって都合のいい子ちゃん」である必要性はないことに気づけた。
今はそれでいい。そこにたどり着くのに半年もかかるとか…とは思うけれど。認知の歪みなのかな。
それでもやっぱり…
姉のことは嫌いだわ。笑
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