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学生時代の夢 #就活体験記
いきなりですが、私の学生時代の夢は航空自衛隊のパイロット又はパイロットに関わる仕事でした。
具体的に夢に向けて考え始めたのは、就活を意識しだす大学3年生(2013年)の夏頃のことです。
元々自分のスキルが向上できるような職場で働きたく、体力にも自信があったので、公安系の仕事をしながら訓練をたくさん受けて現場の専門職として働きたいという考えがありました(趣味的にミリタリーなものも好きでした。)。
さらに、パイロットは専門中の専門という気もしたし、高給取りのイメージもありました。
就活スタートのタイミングで公安系の職業への具体的ななり方を調べていたところ、意外にも普通大学を卒業した後にパイロットになる道を見つけたので、それに向けて努力してみることにしました。
※以下は当時の情報です。
2013年 夏
普通大学を卒業して航空自衛隊のパイロットになる道は「幹部候補生(飛行要員)」として採用されるしかありませんでした。
自衛官になるための採用試験には、主な違いとして入隊後の階級やキャリアの別に分かれて様々なものがあります。
その中でも、幹部候補生の試験は入隊、課程後、幹部として昇任される比較的キャリア側の試験だと思います。
幹部候補生の中でも陸海空や歯科薬剤科などに分かれますが、私はその中の「(空)一般幹部候補生(飛行要員)」の枠を受験することにしました。
試験内容
■1次試験
○筆記試験(・一般教養、専門・飛行適正)
■2次試験
○小論文試験
○口述試験(面接)
○航空身体検査
■3次試験
○飛行適正を見る試験(実際に操縦します。)
この中の筆記試験(・一般教養、専門)、小論文試験についてはスケジュールをしっかり立てて勉強していかなければなりません。
いわゆる公務員試験というやつです。
一般教養試験については公務員試験の中ではレベルが高いわけではありませんが、中学卒業までの全てという膨大な試験範囲と、公務員試験ならではの数的処理関係の問題に不安を覚えたので、予備校に通うことにしました。一番の不安は単純に学力が足らなかったからですが。
大学と予備校の両方に通い、家でも勉強をする日々が約1年間続きました。人生で最も勉強をがんばった期間であったと思います。
もちろん忙しく大変な思いもしましたが、予備校のスケジューリングのおかげで「地獄!」というほどではありませんでした。加えて、この努力が、夢につながるというモチベーションが大きかったと思います。
とにかく1次試験日である大学4年生の5月までには模試で十分なスコアが取れるほどになっていました。予備校さん本当にありがとう。
2014年 冬
一番の問題は2次試験の航空身体検査でした。
私は小学生の頃から視力が悪く、当時は両眼とも0.1ないくらいでした。
航空身体検査のうち、視力に関わるものついては「両眼とも0.2以上」という基準が公表されていました。私はこのままだと基準を満たしません。
世の中には様々な視力回復方法の話がありますが、私は視力を回復させるトレーニングを行う施設に通うことにしました。
そこでのトレーニングは専用の機械を使って、目のピントを合わせる力を鍛えるというものです。簡単に言えば目の筋トレです。これも効果があり、途中までは、2次試験予定日までに基準を満たすほどの回復が見込める順調さでした。
しかし、本当にタイミングが悪く、2014年冬に右目の網膜剥離を発症してしまいました。原因は特定できませんでした。
タイミング的に視力回復トレーニングを始めてから数か月、視力回復の効果が表れ始めた頃に発症したため、トレーニングとの因果関係も疑いましたが、いまだに不明です。
念のため申し添えておきますが、私はこのトレーニングで実際に視力回復の効果を認めましたし、視力回復の理屈も納得できています。お金、時間などのコストと比較してもやる価値はあると思っています。
今回就活体験記を書くにあたり避けては通りたくない話だったので触れましたが、他意はありません。
話は逸れましたが、網膜剥離は即入院、手術という流れになり、人生初の入院、手術、全身麻酔を一気に体験しました。術後については先生の見込み通り数日で退院、数か月で日常生活に支障はなくなりました。
ただ、視力は元より落ちてしまいました。
2014年 春
1次試験を受験しました。筆記試験の一般教養、専門についてはコツコツと勉強してきたかいがあり、問題ありませんでした。飛行適正の筆記については謎の自信があったので心配していませんでした。
合格発表の日、私はあまり結果を急いではいませんでした。朝の9時ごろ、まだ寝ていた私は、広報官からの携帯電話の着信音で目覚め、その電話で1次試験合格を知り、インターネットで合格の受験番号を確認しました。合格の手ごたえはあったので驚きはしませんでした。
広報官というのは、自衛隊試験の受験検討から入隊までをフォローしてくれる現役自衛官のことです。自衛隊の広報業務の一環としてこのようなサポートをしてくださいます。
2014年 夏
次は2次試験です。小論文試験と口述試験については対策をしっかり行っていました。問題はやはり航空身体検査です。
結果から言うと、2次試験不合格でした。
本試験は既定の年齢になるまで毎年受験できます。30歳手前くらいだったかな。私は少なくともあと数年は受験したい覚悟でした。チャレンジすることで合格の可能性があるならば。
しかし合格しない試験を何度受けても意味がありません。
私は公文書の情報公開制度を利用して自分の試験はどこが不適正となり不合格となったかを防衛省へ確認しました。
自分の試験結果と基準とを比較したものが防衛相から郵送で返されます。
不適正な点はすぐに見つかりました。
色覚の基準でした。
基準では「色盲又は強度の色弱でないもの」とあります。
実際の航空身体検査では石原表とD-15検査を採用していました。
描画の本を使って見える数字を答えるものと、微妙に色の違う石をグラデーションになるよう並べるテストです。
これらの検査方法は航空法に基づく基準から持ってきているので、今回色覚の基準が不適正だったということは、現行法規では民間でも私は日本の空を飛ぶことはできないということです。
ちなみに、アメリカではランタンテストという試験を採用しており、私の場合は一定の条件化でライセンスを取得することはできるみたいです。
今のところ視力のように回復することはできないそうで、つまり、再受験の希望はなくなりました。
非常に残念な結果となりましたが、どうしようもできないことを理解すると、スッパリ次のことを考えられるようになりました。
この後は、せっかく勉強した公務員試験の知識を活かそうと、公務員試験をいくつか受験し、その中で縁のあったところで採用してもらいました。
第一希望ではありませんでしたが、就職することはできました。
大学4年生が就職できないことが失敗だとは考えていませんが、当時はとりあえず就職することを目標にしていました。
就活を通していっぱい勉強しました。
努力して得られるものがある。という自信につながりました。
勢いで書きましたが、これが私の就活体験記です。
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