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無礼者

人前で弱味をみせるのは無礼者、というのは納得できる。辛い話をだらだら言っている人を見るとイライラする。そんなもの誰でも通ってきていることで、度合いに違いはあれど、みんな辛い過去を持っている。それなのに、それを聞いてどうすればいいというのか。辛かったね、と言えばいいのか。そんな安直な言葉で満足するな、と思う。

それが自身の体験として非常に重要であった、と正当化したくてしょうがないのは分かる。確かに辛い思い出は時の自分を弱くさせ、後の自分を強くする。人生の分岐点になることさえある。しかし、そんなことを他人に決めてもらわなければいけない段階は甘えん坊であろう。第一、聞き手が「それはお前が悪い」「それは甘えだ」と一蹴してしまうかもしれない。それでワンワン泣くことになったとき、どうも自分は"自慰"の為に言ったらしいと自覚することになる。そんなものを人に見せてくれるな。

無礼者だ。そんなものは本当に信頼できる仲のうちでやってくれ。お互いよく知らない者同士なのに自分が可哀想だなんて、とんだ自惚れである。

辛い話をどのように正当化させるかのイニシアチブはあくまでも自分にある。それを他人に預けてしまっては何の意味もない。アドバイスを受けたいなら他人に聞くしか他ないが、慰めてもらうという目的が先行しすぎると碌な答えが得られず、寧ろ自分を混乱させまた同じ問題に執着してしまうことになる。

おわり

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