バンコク・タニヤのクラブ愛で好みのタイプのOちゃんと出会いました(1)
昔、昔の写真が出てきました。
その当時の記憶を忘れないために、ブログにとっておこうかと思います。
写真の日付を見ると2003年6月なので、もう15年以上も前の出来事です。
当時、年に何回か出張でバンコクに訪れていたんですが、中々仕事の進みが悪く、バンコクに2年の予定で駐在し始めた頃の出来事です。
バンコク駐在で、初めて出来たタイ人のガールフレンドがOちゃんとの話です。
いろんな意味で、忘れられない女の子だったなあ<しみじみ
◆大人のコイン集め
バンコクに赴任した最初の1ヶ月くらいは、毎日MP(〇ープランド)に行ってました、ハイ。
サルが〇ナニーを覚えたかのごとく、ほんとに毎日行ってましたねぇ<お恥ずかしい。
当時は、バンコクのナイトライフ情報誌で「G-Dialy」って言うのがありまして、
毎号かならず、バンコク夜遊びMAPというのが載ってました。
夜遊びMAPで何してたんだよ?
自分は小学生の頃、切手集めとコイン集めに夢中な少年でした。
切手収集用のファイリングノート、コインを収めるファイリングノート、コツコツと集めてました。
特に、コインのノートには昭和30年、31年、32年って感じで、年代別に10円玉とかを整理する印刷がされていました。
昭和32年と昭和33年の10円玉が発行枚数が少なくて、それら希少なコインを全部集めてノートを完成させるのが、楽しくて仕方ありませんでした。
だから、夜遊びMAPで何してたんだよ?
話を戻します。
夜遊びMAPのMP(〇ープランド)編の全店舗制覇にチャレンジしてました、(笑)
行ったお店のMAPに〇を付けて、全部に〇を付けてコンプリートに近づいて行くのが楽しみでした。
小学生時代のコイン集めより楽しい趣味でしたね、(笑)
結局、最後の方はもうパワーが無くて、お店に行ってもMP嬢と一緒にポケットモンスターで対戦だけして帰るとか、何しにMP行ってるのか意味不明でしたけど、(笑)
こんなことが出来たのも、海外引越費を会社からもらったんですけど、
実際には引っ越し代は1万円もかからなかったので、30万円近く余っちゃいまして、
江戸っ子は酔い越しの金を持たないタイプなんで、ぱーっと使っちゃいました。
当時は、2000バーツといわれても、2000円くらいの感覚でしたから、今考えると、ほんとに馬鹿なことやってました。
それでね・・・・・・。
こんな遊びをしていると、心が乾く訳です。
東京に居る家族が恋しいのです。
でも、MP嬢との戯れではこの心の隙間を全然埋められず、返って心の渇きが増幅してしまいました。
◆Oちゃんとの出会い
MP遊びに飽き飽きしていたある日、会社の同僚にタニヤのクラブに誘われました。
行ったお店は、当時全盛を極めていたタニヤのクラブ愛でした。
この店は、ママさんの教育がしっかりしており、日本語が堪能なホステスさんが多かったです。
さらに、ホステスさんのラインナップも他店を圧倒しており、タニヤで一番ホステスさんのレベルが高かったです。
お店に入ると、ショーアップで30人以上のホステスさんがずらーっと並び、圧巻の光景です。
おおおお、可愛い子が結構いる!!!!
横一列に並んでいるホステスさんの前を歩いて物色していると、奥の方に立っている一人の女性に目を奪われました。
身長は160cm位で中肉中背、ちょっと茶髪に染めたロングのストレート髪、凄い好みのタイプなんで、0.01秒でこの子に即決しました。
ソファー席に座って、少しお話してみるとすごく明るい性格で、話していて凄く楽しかったです。
何よりも、日本語が凄く堪能で、赴任したてでタイ語力がほぼ0だった自分には、凄くありがたかったです。
この子の名前はOちゃん、23歳でバンコク郊外出身だそうです。
一緒に話していると凄く楽しいのですが、ただねぇ・・・・。
ちょっと気分屋な所があって、クルクルご機嫌が変わる為、非常に扱いが難しい子に感じました。
まあ、自分も良い年をした大人だったので、じゃじゃ馬慣らしも楽しそうかな?
って言うか?、ご機嫌屋の女子とかって、逆に子供っぽくてかわいい奴だなぁと少し思いました。
Oちゃんは、ルックス的には加藤夏○ちゃんに似てました。
日本のテレビで加藤夏○が出ていると、たまにドキッとします。
Oちゃんも、優しい日本の中年?それとも新たな金ずる?と思ったのか、お互いに波長も合うし、
話が結構弾むので、私のことを気に入ってくれたみたいでした。
今振り返ると、「お互い第一印象が良いもの同志?」って感じだったのかな?
◆OちゃんをOFF!!
1時間で1セットだったので、話がはずんでいる所にママさんがやってきて、
「どうしますか?一緒に帰りますか?」
「もちろん、お会計お願いします。」
MP通いで感じていた心の渇きは、Oちゃんには全く感じませんでした。
それどころか、一緒にいて楽しいので、心が潤いましたね。
当然、心をウキウキさせてOちゃんをOFFしました。
隣でその様子を見ていた会社の同僚は、ニヤニヤ笑ってましたね、汗。
二人で楽しんできてね!
◆ビックエコーに行こう!
店を出て、どこに行こうか?という話になり、日本大使館からちょっと離れたカラオケ「ビックエコー」に行くことにしました。
ところで、クラブ愛って、生バンドでの演奏はありますが、カラオケは無いんですよね。
まあ、生バンドの演奏でステージでカラオケは歌えますけどね。
皆見てるので、ちょっと恥ずかしいかな、orz
さてさて、タクシーを拾って移動しようとしたのですが、・・・。
●ちょっと待って、車置いてあるから車で行こう!
●ん?車?
●こっちだよ!
Oちゃんは自然な流れで私と腕を組み、タニヤプラザの地下駐車場に誘導してくれました。
●何か街中でこんなかわいい子と腕組んで歩いちゃったよ。
●でへへへへへへ!!
駐車場には沢山の車が並んでおり、中にはベンツなのどの高級車もありました。
その中で、紺色の真新しいホンダ シビックの前でOちゃんが立ち止まり、
●乗って!
助手席に乗り込み、Oちゃんの運転でビックエコーに向けて走り出しました。
●これ、自分の車?
●うん、そうだよ
社内には、ダッシュボードの上に黄色いワーゲンのミニカーと15cm位の高さの椰子の木のプラモデルみたいなやつが、両面テープで貼り付けてありました。
シートカバーもかわいらしいクリーム色のキルト布のオーダーメードっぽいものが付いており、
社内にはほんのり芳香剤の香りもするし、いかにも女の子のマイカーって感じです。
この時は、Oちゃんが自家用車を持っていることに対し、そんなに不自然に感じませんでした。
10分強で二人を乗せた車はビックエコーに着きました。
◆ビックエコーでカラオケ
え?日本のびっくエコーと同じじゃん!
店内は掃除も行き届いており、日本品質の音響設備と通信カラオケが整っていました。
でも、値段は日本とほぼ同額なので、タイ人にしたら超高級店だったでしょうね。
受付を済ませ、二人で個室に入ります。
早速カラオケ開始!
Oちゃんはタイで流行っている歌を楽しそうに歌ってました。
一方、私は英語の歌をカッコつけて歌いました。
大して上手くないのと、曲が古いので、全然Oちゃんには受けず、白けた雰囲気が流れてました。<シクシク
でも、当時、タイの女の子にモテたいと思っており、自分のマンションで密かにタイ語の流行曲を勉強してました、ハイ。
お陰様で、今ではかなりの数のタイソングが歌えます<自慢してすいません。
まだ、練習の途中でしたが、ブライオニーっていう(日本で言ったらアイコかな?)女の子の歌と、
ナイナイの岡村みたいな顔をした何とか?(バードトンチャイ)っていうおじさん(日本で言ったらカールスモーキー石井かな?)の、ファンジャという曲を一所懸命歌いました。
すると、白けてたOちゃんも、私のめちゃくちゃなタイ語の歌に大うけで、一緒に歌って盛り上がってくれました。
自宅での秘密特訓の成果がでたぜ~!
私の場合、基本的に婦女子には一緒にいる時は、何とか楽しんでもらおうと、色々と気を使ったり、ヨイショするするタイプなんで、盛り上がってくれて嬉しかったです。
Oちゃん何でそんなにお金持ってるの?
翌日、会社の同僚に教えてもらったのですが、バンコクの自家用車の値段はとんでもなく高いです。
新車のカローラなんかでも、日本だと120~130万くらいで買えた時代でしたが、バンコクだと300万以上してました。
自分も、通勤用に車を買おうとしたんですが、10年落ちのシビックでも80万位して、ものすごくびっくりしました。
車の値段の話を聞いても、あの時は、Oちゃんはタニヤで一杯稼ぐのかな~?と、思ってました。
確かに可愛いから沢山稼いでも不思議ではないですが、それにしても300万以上なんで、どうやって買ったのか?
本人に聞いてみたら、長期ローンだと言うので、そうだよね、幾らなんでも300万だもんね。
と、Oちゃんの言うことに、納得しました。
まあ、タニヤ譲で車を持ってる子が、ちらほらいる時代だったので、そんなもんなのかなぁ?
かなりスケベな内容が多いですが、ご支援をいただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。