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人が山に入る要因、登山を例にして(個人の幸福と公共の福祉)

あなたにとってPatagonia R2ジャケットは作業着であり正装ですか?

私はそう思います。
いつかまた親指通す穴がついたらもう一着買います。


「登山を自粛しましょう」という声がある。

そもそも「登山」って?


人が山に入る要因

さて本題に入る。


人が山に入る要因を筆者の基準で2つに分ける。
1.個人的幸福(そのための経済活動含む)のため≒登山
2.公共の福祉のため

前者が趣味で山登ったり、職業登山家、山岳ガイドとか。後者が山の整備したり、山小屋、山岳救助隊とか。狩猟や林業は自然環境の定点観察でもあるから後者かな。電力会社の高圧線の点検されてる方とかもいますかね。1.と2.をきれいに分けることもできない。

とりあえず山に仕事で入る人って、山岳ガイドとかわかりやすいけどそれ以外にも結構いる。

今、ストップと言われているのは、「1.」の方。
きれいな景色を見る。自然の中でぼーっとする、はたまた考え込む時間をつくる。仲間とわいわい盛り上がる。等々、山に入る一つの醍醐味。

FYI

登山は山岳信仰などの歴史、文化のバックボーンはありつつも、レジャー(余暇活動)の一種として見られている。


こういう文書書いてると山入りたくなる。

その日、1.で山に入る人が確実にゼロとわかったら(ありえないけど)、各地の山岳救助隊、警備隊、遭対協や麓の病院の人たちはきっと胸をなでおろす。

山というフィールドを継続して使っていられるのはなぜなのか。
登山というものが一定の社会的地位を得ているのはなぜなのか。

そもそも「山」って、みんなが使う「トレイル」って誰のもの?

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