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2021年ベストアルバム:「ここじゃないどこか」を巡って

 やはり音楽作品と現実の様相を分けて考えることは難しい気がして、1枚のアルバムを聞いてる時間もこの世界の一部として生きる他無い。作品も一緒で、2021年にリリースされたアルバムはどこかコロナウイルスが作った陰を纏ったものが多かった気がする。

 そして12月になり今年印象的だった作品を選ぶとどれも偶然か必然か同じ雰囲気を持っており、それに関して少し文章を書きたいと思う。

 そのテーマは"ここじゃないどこか"だ。こんな時代だからこそ現実から離れた「ここじゃない」世界へ視点を向けさせてくれるもの、あるいは音や歌詞諸々を組み合わせて2021年から離れた「ここではない」別世界を構築したもの。どれも2021年の記録してのレコードの役割を持つとともに、普遍性を獲得したものであるのは確かだ。


DJ Seinfeld「Mirrors」

 スウェーデン出身、プロデューサー/DJとして活躍するDJ Seinfeldが名門Ninja Tuneからリリースした2ndアルバム。Flume、Aphex Twin、Flying Lotus、bonoboなどからお墨付きを貰っている等かなりホットなミュージシャンである。
 ローファイ・ハウスミュージックからキャリアを始めた彼であるが、このアルバムにおいてUKガラージ、アンビエント、アシッドレイヴ、IDM等90年代以降に花開いたダンス/エレクトロミュージックの要素が決して模造コピーの形ではなく交わっている。そしてその要素は継ぎ接ぎのような異質さを伴うことは一切なく、どこまでもそぎ落とされていてスマートに曲、アルバムを構成する。
 例えば3曲目「U Already Know」は四つ打ち+細かなハイハットのドラムパターンから始まりシンセなどの電子音が徐々に幾重にも重なっていくという非常にオーセンティックな作りの曲である。だが音色の機微であったりダイナミクスであったりと細部まで洗練された音自体が強い求心力を孕んでいてこれ以上ない音響空間を創り出している。
 アルバムタイトル「Mirror」から連想されるように、自らと向き合った末に作られたこのアルバムはある種「閉じた」感覚をもたらす。そしてこのような音楽の喜びだけが存在する閉じられた「ここじゃない」空間こそが、私の求めるアルバムという形態の本質なのだろう。


Mdou Moctar「Afrique Victime」

 ニジェール共和国、「砂漠のジミヘン」の異名も持つギタリスト・Mdou Moctarの最新作。ブルースやジャズなどのルーツはアフリカであるし、もっと遡れば人類の原初の音楽はアフリカで生まれたという説もある。そんな否応に体が反応してしまう、腹の底から血沸き肉躍るような躍動感のあるドラム・パーカッションのリズムが鎮座していて、近年のアフロビートとの共鳴も感じることができる。
 そしてその上を鮮やかに彩るのがmdou Moctorのギターだ。野性的ながら精緻に構築されたギターフレーズが往年のギターヒーローたちを彷彿とさせる瞬間がアルバムの中に幾度も現れる。やはり最も近いと感じるのはジミ・ヘンドリックス及び彼がバンド名儀で発表した諸作であろう。ギターを弾き倒す瞬間は多々現れるのだが、それ以上に音響的効果としてギターサウンドを用いサイケデリック空間を作り上げている。
 何十年もの間積み上げられてきたギターロックの快楽の中を彷徨う様は一種のタイムトリップの疑似体験であるし、遠く離れた「ここじゃない」異邦への逃避の疑似体験でもある。


パソコン音楽クラブ「See-Voice」

 "DTMの新時代が到来する!"をテーマとして掲げている電子音楽ユニット・パソコン音楽クラブの3枚目のフルアルバム。葛西臨海公園内の葛西臨海水族園と青空を切り取ったジャケットが印象的だ。彼らがこれまでリリースしてきた2枚の作品からは”都会”という雰囲気を感じてきたが、このアルバムは”海”が主題である。
 「エヴァンゲリオン」「ソナチネ」「うみべの女の子」など、海は開放的なビーチ!といった側面ではなく現実から距離を置いた側面が切り取られることが多々ある。常に'死'や'別れ'などと隣り合わせで残酷ながらも、その青さはどこまでも美しい。この作品は「Dehors(フランス語で外側)」という曲から始まっており、まさに「ここじゃない」外側、都会や現実から離れた海へ広がるようなテーマを内包していると言っていいだろう。
 そしてアタックの弱い丸みを帯びた電子音、波打つ海面のように一定の規則性と偶然性を保ちながら刻まれるドラムパターン、全体を包むアンビエント的響きといった要素こそが海というモチーフをこれ以上なく表現している。リゾートミュージックとしての強度も備えており、これも都会の喧騒から離れたあの世に近い雰囲気といえる。
 また、触れるべきは題名にもある「Voice」、即ち声である。このアルバムで起用されている声は非常に匿名性が高く電子音の豊かさを補完している。その主張の少なさ、揺蕩いながら耳を通過していく心地良さは現世への執着の無さのようである。アルバムを通してrei harakami「owari no kisetsu」を連想したのは私だけでは無いはずだ。
 海の持つ現実からの距離感、「ここじゃないどこか」へ鳴らされているような音像、常に鳴ってほしい音が鳴ってほしいタイミングで鳴り続ける快感は何物にも代えがたい。


Porter Robinson「Nurture」

 アメリカ出身のDJ/トラックメーカーPorter Robinsonの2ndアルバム。精神状態が安定しなかったという時期を越えて7年ぶりに発表された作品であるわけだが、「光のダンスミュージック」という形容が最もしっくり来る。
 ドラムンベースでぶち上げて歌い上げる場面などは非常にEDM的なのだが、低音をそこまで強調しない音色の使い方はジャケット写真の原っぱやそれを照らす陽光のような居心地の良さを演出している。ストリングスやピアノといった楽器のフューチャーもEDMのそれとはずれているように感じる。「do-re-mi-fa-so-la-ti-do」におけるストリングス、アコースティックギター、ダンスミュージックのビートの有機的な交わりはこういった魅力が体現されているハイライトである。
 そして「光のミュージック」たる所以はもう一つ、このアルバムに至ったPorter Robinsonの心情である。7曲目「Musician」において以下のような歌詞がある。 

Well, this is why we do it (これが我々が音楽を作る理由)
For the feeling (感情のため)
How do you do music? (どうやって音楽やんの?)
Well, it's easy: (簡単っしょ)
You just face your fears and (ただ恐怖と向き合い)
You become your heroes (自身にとってのヒーローになる)
I don't understand why you're freaking out (なんであんたらそんなごちゃごちゃしてるか理解できねぇよ) 

 観客の方に向かっているのではなく、あくまで自身と向き合い自分を救うための音楽活動。その内向き加減とひたむきさが聞く人を救う「光のダンスミュージック」とする理由である。
 また、彼の今年の活動において印象的だったのは主催フェス「Second Sky Music Festival 2021」だ。世界中がパンデミックという憂き目に合い、特にライブ活動という面ではかなり制限されていた。そんな中9月に行われた主催ライブは人選、ステージング、バーチャル空間の作り込み等も含めて間違いなくユートピアであった。自由奔放にステージの機材を操り、観客は水を得た魚かのように歌い踊り叫ぶ。世界における逃避としてのライブ空間、日常における「ここじゃないどこか」の再現。「UTOPIA」というアルバム名を予告したトラヴィススコット主催のライブが最悪な形で幕を閉じてしまっただけに、やはり奇跡のようなステージであろう。
 アルバムのクオリティは勿論、この1年において「ここじゃないどこか」を作り上げた彼の功績も含めて2021年ベストアルバムの一枚だ。

 

KID FRESINO「20,Stop it.」

 今年はKID FRESINOの年であったと言っても過言ではないだろう。1月のアルバム発売、それに伴う地上波30分ハイジャック、「大豆田とわ子と3人の元夫」に1話目から出演&主題歌に客演、車のCMに採用、フジロックでは圧巻のステージングを披露など話題に事欠くことがなかった。
 そんな彼が発表した「20,stop it.」であるが、第一印象はラップアルバムではなくポストロックのアルバム、というものであった。マスロック、激情にカテゴライズされるバンド群ではなくThe Sea and Cake、The Mars Voltaといった電子音と生楽器で構成されたポストロック。さらに言うとTortoise「TNT」に近いものさえ感じた。
 これらと「20,stop it.」の共通点はコラージュ感にあるだろう。「TNT」が演奏して録音した素材をPro Tools上で切り貼りし作られた作品だというのは良く知られている。これにより生演奏のロックアルバムともエレクトロ、アンビエントともカテゴライズできない独自の空間をパッケージングした作品となった。The Sea and Cake、Mars Voltaも楽器や声の重ね方・配置の仕方によって、音が緻密に制御されることでミニマムな雰囲気を帯びながらもライブアルバムかのような生々しさを持つ作品づくりが魅力である。
 そして「20,stop it.」に話を戻す。石若駿、西田修大、小林うてな、三浦 淳悟といったトッププレイヤーの演奏は圧倒的なグルーヴを伴いながらもラップを支えるビートとして整理・編集されている。自由奔放に動いているようなギターは主役ではなくアルバムを構成する要素として幾何学的に配置されている。かといってKID FRESINO自身のラップも主役という響き方ではない。ラップはビートの隙間を縫うような流動的なフロウを持ち、英語と日本語が織り交ぜられたリリックは物語を紡ぐ側面もあるが、断片的な言葉の響きとしても作用する。
 複数の写真が連なるのではなくバラバラな一枚一枚の写真が梱包された初回限定盤CDのアートワークもこの「断片を編集・配置して繋ぎ合わせ空間を作り上げる」という私が感じたポストロック感を補強しているようだ。そしてその「ポストロック感」はボーナストラック「No Sun(toe Remix)」により確信に変わったのであった…。
 また、「作られた空間にアンサンブルの豊かさや生演奏の迫力を内包した音楽」がポストロックであり「20,stop it.」の魅力だと言ったが、「20 stop, it」においてはその「作られた空間」に生活の生々しさをもパッケージングしている。カネコアヤノとコラボした「Cats & Dogs」における都市風景と洗濯や睡眠の対比であったり、長谷川白紙とコラボした「youth」における若さゆえ感じる享楽の中の孤独などはその一例だ。
 アルバムというフォーマットの中に素材を配置することで唯一無二の音の鳴りを持った空間を作り上げる。そこに生演奏の迫力やアンサンブルの豊かさ、そして日々の切実さを詰める。1つのアルバムという「ここじゃない」世界を作り上げた大名盤であろう。


Parannoul「To See the Next Part of the Dream」

 「ここじゃないどこか」というテーマを思い付いたのは彼が作ったこのアルバムの影響に他ならない。革命であり新時代のサウンドトラックである理由は以前書いたので目を通して頂くと嬉しいです。

  再生ボタンを押した瞬間に流れる「何聴いてるの?」という台詞、歪んだドラムパターン、鳴り響くディストーションギター、 一瞬で「To See the next part of the dream」の世界へ引き込まれる。シューゲイザー、エモ、マスロック、オルタナティブロックへの愛情とリスペクトで溢れんばかりの轟音。ジャケットのような青さと「リリィシュシュのすべて」における思春期の危うさ。決して輝いてはいないしグダグダウダウダ生きていたはずなのに振り替えると眩しい日々への憧憬は延々と繰り返される気だるげなドラムパターンとノイジーなギターリフによって表現される。
 チャイムの音やアニメからのサンプリングによる自分の経験したかも分からない青春へのノスタルジーの喚起。このアルバムこそまさに「ここじゃないどこか」へと我々を誘う1時間であり、何年後かにこれを聴いても同じ強度で鳴り続けているだろう。


以上2021年に発表された作品の中で特に印象に残っている5枚+殿堂入りのParannoul計6枚でした。「ここじゃないどこか」というキーワードを決めてしまったが故に強引な解釈をしてしまったのは否めないのだけど、ジャンルも国もバラバラなアルバム達に軸を与えることは出来たかな…と。来年も沢山音楽を聴きたいですね。

最後に今回書いたの6枚のアルバムから3曲ずつ、各アルバムにまつわる曲を4曲ずつ付け加えたプレイリストを載っけて終わりにします。ではまた✋



 


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