見出し画像

黒い服を着てWomen in black展へ

8月25日に代官山のアートフロントギャラリーへエカテリーナ・ムロムツェワの「Women in black」展を見にいった。前の週には新潟の展示も見たし、どちらも見逃さずにすんでよかった。アートの批評など私にはまったくできないので、これから書くことは、なんでもすぐに忘れてしまう自分のためのメモだけれど、ロシアの女性たちのことをいつも見ている身だから、少しは他の人と違った感想ではあるかもしれない。現代アートをこんなに身近に感じたことはないんじゃないかな(忘れているだけかも)。

2月24日にウクライナでの戦争が始まると、それまでのほほんと読んでいた好きなロシア語作家や詩人たちのSNSが騒然とし出した。すぐに反戦運動を始めた彼/彼女たちの活動を見ながら、2月、3月は暗く重い気持ちで過ごしていたが(このときにある編集者さんが「気分転換してください」と他の国の小説を送ってくれたときは天使を見た気がした、ありがとうございます)、じきに「Women in black」というアクションが始まった。デモどころか、「戦争」という言葉を用いることさえ禁じられた後に、何ひとつ言葉を発することもなく、メッセージボードも掲げず、黒い服を着て白い花を持った女性が静かに立っているだけ――法に抵触しないよう配慮した、ただそれだけの行為なのに、なぜかロシアの警察官たちはピリピリしていた。モスクワでペテルブルクでエカテリンブルクでウラジオストクで、それから、アルメニアでジョージアで韓国でオランダで……世界各地で黒い服を着た女性たちがロシア大使館の前や戦争の記念碑の前に立ち始めた。黒という色と沈黙がそのときに反戦のメッセージを放ったのは、戦争が死そのものだからだ。ロシアの警官たちにはあの黒は喪服の色、死の色、死者の絶望と遺族の悲しみの色だから、それを伝えるこのアクションのインパクトは強かった。

ムロムツェワの水彩画ではアクティヴィストたちの顔はわからない。でも私は覚えている、このポーズはあの人、このリュックは彼女……。名前もわからないままだけれど、画家が描かなかった背景の青い空、大使館の白い建物や巨大なモニュメントが目に浮かぶ。毎日見ていたSNSに投稿された写真の女性たちが、光を孕んだ黒い色彩から次々に立ち上がってきた。なんとなくだけれど、若くして亡くなった友人の写真を見ると、カラカラとした朗らかな笑い声が聞こえてくるときのあの感じに少し似ている。黒い服を着た女性たちの絵はどれも知人の写真のようだった。

「Women in black」はやがて、ロシア国内よりも国外のFAS(フェミニズム反戦レジスタンス)のメンバーによって行われることが多くなっていったから、今日はソウル、今日はエレバン、アムステルダム……というふうに神出鬼没の感があった。だからなのか、今日は十日町、今週は代官山……と足を運ぶ私にとっては彼女たちの活動の延長線上にあるようでもあり、アートと現実の境界もはっきりせず、それもまた面白い感覚だった。でもアートになった女性たちは独りではなく多くの仲間たちと一列に並んでいる。警察もプーチンもいない場所にいる女性たちは少しリラックスしているように思えたが、それはもちろん私の思いこみであって、ネットで動画を見ながら逮捕されやしないかとひやひやする、いつものあの不安がないからだ。ここは美術館だから大丈夫だよ、とわけのわからないことをつぶやいてみたりした(どちらの展示のときも他に誰もいなかったのだ)。

数年前にムロムツェワは、自分の描く作品に具体的なテーマはないと言っていた。水彩画の脆くて弱いところ、丸めて持ち運べるところが好きだというようなことも言っていた気がする。「Women in black」は女性たちの身体じたいが抗議のメッセージボードだ。通りや広場や大使館前に立つ女性たちの影に画用紙をぺたりとあててとった魚拓のようなこの絵画は、歴史にこんな女性たちがいたことを記録してみる証拠写真のようにも思う(でも、そんなことは「魚拓」を知らないに人は感じられないのだろうか)。歴史を語る権利を与えられていない人たちの視点で歴史を語りたいとかなんとか、そんなことを画家は言っていたようにも思う(とても印象的なインタビューだった)。

個人的な印象だけれど、ロシアの人たちはふだんはあまり黒い服を着ない。だから通りに立つ彼女たちはやはり目立っていたのだろう(ましてや春だったのだから)。私はこの日、やはり黒い服を着て代官山に向かったのだけど、薄手の黒い服がどれも洗濯されておらず、少し厚手の黒を着ていったのでとても暑かった。私の黒は何のメッセージも発することなく、汗をかいただけ。黒は常に悲しみやプロテストとなるわけではないのだ。現実のアクティヴィストたちが纏った黒が言葉を放っていたことも、それを受け取って描き留めた画家も素晴らしい。不謹慎なのかもしれないが、とても美しい黒だと何度も見返しても思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?