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障子(しょうじ)


●CONOCONCAN●
物事の根幹に興味深々な私が、インプットとアウトプットを兼ねて行う調べ学習のこと。読み方は【コノコンカン】。語源は、根幹が大好きという思いを込めた【根幹+好む】という足し算。

大人にも、小学校総合の時間にやったような、調べ学習の時間が必要なのだ!と思い立ち、開始。そうは言っても、褒められたようなものではなく、あくまでも物事の表面をカスッと撫でるような浅く広くな調べ学習。今回で3回目。”何か”を浅く知りたい人はご一緒に。”何か”がすでに見つかっている人は図書館へ。


Chapter① : 気になる根幹

今日は障子について。私のアトリエという名の別邸が、障子に囲まれているもので。孫が和紙に穴を開けることに戦々恐々している母を横目に調べていく。

障子ってなんだ?

木枠に和紙を貼り付けた日本固有の建具のこと。平安時代前期には、襖や引き戸、屏風も含めて”障子”と呼ばれていたらしい。窓や扉の役割を担っていた。

障 : さえぎる
子 : 小さな道具

さえぎる道具

色々な障子の形

几帳(きちょう)
室内を仕切るための建具。土居(つちい)という四角の土台の上に2本の円柱を立てて横木を渡し、そこから布を紐で吊るして使う。持ち運び可能な所が粋。
大学時代のさきちゃん(何無区のムードメーカー、覚えておいてね)を思い出した。卒業制作に追い込まれ、広い製図室でダンボールの小部屋を作り出したさきちゃん。製図室の躍起な雰囲気にさらに拍車をかけていたさきちゃん。あの時さきちゃんの近くに几帳があったなら、さきちゃんを優しく包み込んだだけでなく、製図室の孤島として放っていた威圧感をも和らげ、大わらわな周りの私たちも、もっと穏やかに過ごせたことでしょう。

御簾(みす)
簾(すだれ)の上等ver。外から中は見えないが、暗い中からは外が見えるという代物。覗かれたくないけど外の様子は観察していたい、そんな時間が日常にある人にはもってこい。簾だと劣化が早くて、夏場だけの仮設建具感があるけど、御簾と呼べる位、枠の作りが丈夫で装飾性もあると、通年使える建具として現代でも重宝される可能性有り。たまに建築家がアート要素として和風建具を誇張して使うことがあるけれど、日常使いのプロダクトとしてその立ち位置を確保してあげたい。

明障子(あかりしょうじ)
現在の障子に1番近い成り立ち。昔は和紙だけじゃなく、生絹(すずし)という絹の布を張っていたこともあるらしい。なんて羨ましい。絹を日常に取り入れる方法として、建具があったか。ぐんまは、富岡製糸場があったり、親の子供の頃エピソードを聞くと、必ずと言っていいほど、蚕を手に乗せて遊んだ話が出てくるくらい身近なお絹様。食べ物に入れるか、スカーフにするか位しか、その活用方法を知らなかったので、もしやプロダクトとか建築の方からもアプローチ出来たりするのかなという希望の光チラリ。

Chapter② : 身になる根幹

空気の仕切り方

”空間”と言うと難しく感じる気がするので、あえて”空気”と表現するが、伽藍堂の部屋で心地いい居場所を作ろうとすると、やはり何かしらの仕切りが必要になる。何のヒントもない空気の中で、自分や周りにとって居心地の良い空気の仕切り方ってなんだろう?
可笑しな事に、未だ規格化された住宅が増え続ける日本で、建具をアップデートした、新たな家が常識になる日は来るのだろうか?壁や窓、床や天井、共通するのは”空気を仕切る”という役割。家を構成するすべてのパーツの成り立ちに正解はなく、そのものに常に疑問を浮かべて最適な”仕切り方”を提案する世の中の空気感が欲しい。
災害の時、如実に露呈する距離感とプライバシーの問題。何も災害の時にだけ問題なのではなく、常に私たちには距離感とプライバシーに対するジレンマがある。今一度、インテリアの分野から建築まで、障子のような仕切りの建具について、見直していきたい。


建築の前線から離れて数年。最近ふとしたきっかけで、再び建築前線に合流し始めておりますが、やっぱり最高に楽しいよ、建築。私は実際に建つことにはあまり興味がないので、アンビルト専門で生きていく所存ですが、その立場でも、障子のような建具の魅力は積極的に取り入れていきたい存在であることを再認識できました。
”住みこなす”感覚に1番近い建具だと思うし、”住み慣れる”ことに飽きが来ない唯一の建具でもあるような気がしました。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。皆さんは何か感じましたか?障子や日本固有の文化について考えるきっかけになっていたら幸せです。立て続けに”和風”なので次回は少しずらそうかな。

Fin.
麻裕

https://monokoto-studio.com

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