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暖簾(のれん)


●CONOCONCAN●
物事の根幹に興味深々な私が、インプットとアウトプットを兼ねて行う調べ学習のこと。読み方は【コノコンカン】。語源は、根幹が大好きという思いを込めた【根幹+好む】という足し算。

大人にも、小学校総合の時間にやったような、調べ学習の時間が必要なのだ!ということで、統一感は気にせず、とりあえず”言葉の意味”系から始めてみようと思う。もしノリノリで飽きずに続けられたら、足し算のその先の答え【根幹+好む=()】がわかるかもということで。今回で2回目。ご一緒したい人、どうぞ私の背中を掴んでしゅっぱーつ。


Chapter① : 気になる根幹

今日は暖簾について。昨年、埼玉県の伊奈町で社会実験イベントに取り組む中で気になった物、プロダクト。結局そのプロジェクトでは実作までいたらなかったのだけど、私のことだからどうせまた再燃する。今のうちに根本の所まとめておこう。

暖簾ってなんだ?

垂れ下がってる布。建物の内部に直接の風や光が入ることを防いだり、または目隠しとして垂らした布のこと。うんうん。奇数枚の布の上の部分を縫い合わせて、乳(ち)という輪状の布をつけて竹竿を通して使う。

暖簾から生まれた文化

開店と閉店の合図
商店であれば、暖簾を掲げることで開店を、暖簾を仕舞うことで閉店を表します。そうそう、これこれ。これですの。私が好きな所作。昨年のイベントの時に、ある仕掛けを企んでいて、その理由がこの所作なのです。正直ちょっと面倒な所作でもあるんだけど、残しておきたいんだよなぁ、後世まで。口だけでは追々説得力がなくなってしまうので個人レベルでは今まさに、実践しています。毎朝出勤したら暖簾を出して、1日をスタートさせています。よし、説得力確保。

繁盛店の証
戦前戦後、屋台などでは、お客さんがお店から出ていく時に食事で汚れた指先を暖簾で拭いていく所作があったのだとか。だから、暖簾が汚れている=繁盛している店という証になっていたそうです。今では考えられないけど、それを許す店主や世間の雰囲気、自分のハンカチや衣服を使わない自己犠牲の精神皆無のお客さん。このバランス、嫌いじゃないかも。馴染めるかはわからないけどね(笑)

領域の結界
”聖なる”領域と”俗なる”領域を結界するもの。聖と俗って、今の私たちに判断できるかな?というか、定義できるかな?多様性って言葉が権力を持ち始めてから、こういう所が力を失い始めたと思う。聖と俗みたいに、相反するもの同士を緩やかに繋げる事って日本の特技のはずだから、とりあえず30歳の私たちは、受け継いでいきたいと思っております、心配している年長者の皆様ご安心ください。30歳は任してください。

Chapter② : 身になる根幹

受け継ぎし形なき物

暖簾を仕舞う所作も、結界としての役割も、この文化の理解に苦しまないのは、私たちが生粋の日本育ちであることを証明している気がしました。当たり前の感覚だけど、受け継いでいかないと消えていく文化なんだと肝に銘じていかなければいけないんだと思う。特に私たちみたいに、建築やプロダクトを生み出すことで思いを表現したいと思っている人間は、傍観者でいてはいけない。個性の尊重という風潮で、粒立ちへの追い風が吹く中、着陸するためのならされた土壌として、こういった形なき文化や感覚を、形として残していこうと思います。安心して飛散している粒が戻ってこれるように。ここで誓っておきます。

そして、実作まで辿り着かなかった暖簾という文化のアップデート。近い将来リベンジして、お披露目できるように頑張って取り組まねばね。加速のきっかけになる人や機会に出会えるといいな。


色々なことに好奇心旺盛なせいで、コノコンカンシリーズ、忘れかけていました。私のよくない所。反省。vol2は暖簾でした。
ここまで読んでくれた方、貴重な時間を共にしてくれてありがとうございました。皆さんは何か感じましたか?暖簾や日本的な所作のこれからについて考えるきっかけになっていたら幸せです。

Fin.
麻裕

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