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『精選建築文集1 谷口吉郎・清家清・篠原一男』編者解説(冒頭約3,000字)

解説および読解

※全体約60,000字のうち冒頭約3,000字

 谷口吉郎(1904〜1979年)、清家清(1918〜2005年)、篠原一男(1925〜2006年)の三者はいずれもすぐれた建築家であるとともに、すぐれた文章の書き手として知られている。しかし彼らの著作はいま多くが絶版となり、一部を除いて手に取りづらい。本書はまず何よりこの状況を変えるものとして企画された。たとえ彼らの文章をよく読んでいなくても、谷口ならば「清らかな意匠」、清家ならば「ハウスよりもホーム」、篠原ならば「住宅は芸術である」といった言葉の断片が各人のキャラクターを象徴し、世間一般でのイメージをかたちづくっていると思われるが、実際に本人たちの文章を読む体験は、それらのイメージとは次元が異なる、より複雑かつ正確で生彩を帯びた人間像を読者にもたらすだろう。本のなかでは死者も生きている。通俗化したイメージに依拠して手際よく作品が解釈されたり、分かりやすいイデオロギーの対立図式や歴史の見取図なるものが描かれたり、そうしたイメージ同士が自由にかけ合わされて観念性の度合いを上げていくことが知的な営みだと信じられやすい現代の情報社会において、まず建築家自身が書いた文章に向き合うことこそ確かな経験になる。このような考えのもとで本書は編纂された。
 ところで本書の建築家たちは、後に定年退官して名誉教授となるまでいずれも東京工業大学に研究室を構え、谷口と清家、清家と篠原は、それぞれ直接の師弟関係にあった。本書がほかならぬこの三者の文集として編まれたのはもちろんこのことに基づいている。一般に建築の設計は、技術的・社会的な条件により、他の創作の分野よりも師弟関係が強い意味を持ちやすい。詩人や画家になるために師の存在は不可欠ではないが、建築家が師のもとで学ばずに社会で活動を始めるのは困難だろう。多くの建築家は意識的にであれ無意識的にであれ、肯定的にであれ批判的にであれ、師の振る舞いを下敷きにしながら自身の創作を開始する。
 しかし本書は、東工大の建築家に受け継がれる伝統、のようなものを示すことを第一の目的としているわけではない。むしろどちらかと言うと、はたしてそのような伝統は本当にあるのかどうかという問題提起をしていると言っても過言ではない。三者の文章はそれほど三者三様であり、彼らが師弟関係にあるならば当然文章にも影響関係が見られるはずだという一般的な認識が単なる思い込みにすぎない可能性に気づかせてくれる。もしかしたら私たちは、ある作家とある作家の間にことさら影響を見ようとしすぎているのかもしれない。
 実際に編者自身、三者の文章に共通するものがあるのかどうか、あるとしたら何なのか、いまだに判然としていない。ただ、文章の内容以前のところで確実に言えるのは、三者はいずれも建築家として文章を書くという行為を重要視していたということだ。もちろん文筆活動を重視した建築家はほかにも多くいるわけだが、この傾向は東工大で谷口、清家、篠原に続く、坂本一成(1943年〜)、塚本由晴(1965年〜)らにも明らかに見られるものであり、一つ、東工大の建築家の伝統と言ってよいかもしれない。
 そしてもう一つ考えられるのは、そのように三者の文章の間に影響関係が見えにくい点にこそ彼らの伝統があるのではないか、ということである。文章に限らずこの三者には(あるいは坂本と塚本を含めてもいい)、弟子が師の影響下で師の縮小再生産にとどまっているということがなく、それぞれが建築家としての個性を確立している。このことは単なる結果論にも思えるが、ある時の清家の発言──「先生の真似をしてると、先生より偉くなれないんですよ。教育というのはそんなことで、私も何も教えもしなかったし、弟子どもも何も倣った記憶はないかもしれません」(恒成一訓との対談「設計者の育成を展望する」にて。『建築と社会』1992年11月号)──がこのことを語っているとするなら、やはりこの点も東工大の建築家の伝統と見てそれほど間違いはない気がする。

 さて、本書の具体的な成り立ちを説明すると、まず文章の選定基準はおおむね以下のとおりである。これらに基づき、全体の分量やバランスを考慮しながら収録作を決定した。

一 建築に深く関する文章であること(谷口と清家には建築以外のことがらに関する文章も多い)。ただし、自作の解説に類する文章は対象外とする。
一 歴史的・専門的な予備知識がなくても、なるべくその文章単体で読みやすく、読み応えがあるもの。
一 各建築家の特徴をよく示すもの。
一 絶版や書籍未収録などにより、現時点で手にしづらい文章を優先する。

 こうして選出した文章は、全体を建築家ごとの三部構成にした上で、基本的には時系列で並べている。しかし一見ごく当たり前に見えるこの三部構成も、最初から迷いなく決まっていたわけではない。すでに述べたとおり、三者は谷口→清家→篠原という順番で師弟関係にあったが、最も年長の谷口が清家と14歳差で戦前から建築家として活動していたのに対し、ともに戦後にデビューした清家と篠原は7歳差と年齢も近く、生涯の活動時期はほとんど重なっている。清家→篠原という順番は、その年齢差や師弟の関係性によるだけでなく、作品評価の面でも日本の建築界ですでに自明のことになっているが(50年代の小住宅で一時代を画した清家、60年代以降の住宅建築を牽引した篠原、といったふうに)、両者のとりわけ文筆活動に注目した場合、清家(大衆性・日常性・保守性)と篠原(専門性・芸術性・革新性)の対照的な関係は直列的というよりも並列的であり、その並行性は戦後社会と建築のあり方を示す重要な意味を持つと思われる(事実、著作の読者数で言えば60年代以降も篠原より清家のほうが圧倒的に多いはずで、たとえ清家による大衆向けの文章が専門的にはとるに足らないものだったとしても、その文章が持つ社会的な意味は建築が社会的な存在である以上無視できない)。そこで本書では、清家→篠原という建築界的・建築史的な価値観を相対化して両者の並行性を顕在させるため、第一部を谷口吉郎、第二部を清家清・篠原一男(両者の文章を混在させたまま時系列で並べる)とする二部構成を検討した、という経緯があるのだった。結局それでも三部構成を採用したのは、限られた数の文章によってそのような並行性を再現しようとするのもまた恣意性を免れないと考えたためだが、いずれにせよ本書の通読に当たっては、こうした文章間の動的な関係に意識を向けることにも意義が認められるだろう。
 三者の文章の間に直列的な影響関係が見えにくいのは、そもそも文章の内容以前のところで、執筆の動機や目的、想定している読者などが各人で大きく異なっているためでもある。こうした相異は当然それぞれの時代や状況の相異を反映してもいるだろうが、おそらくより根本的には、各々が大学で建築の教育を受けるよりも前にかたちづくられた性格あるいは思想の相異に基づいているのだと思う。三者の相異は建築という存在の多面性を表すとともに、近代以降の社会においていくつかある建築家のタイプのうち、異なる三つのタイプを示しているようにさえ思われる。本書の編集過程で強く印象づけられたのは、彼らの文章を併せ読む行為は、東工大の建築家の系譜という枠組みを超え、戦前から戦後の日本の社会と建築のありようを立体的に浮かび上がらせるということだった。
 次からは三者の各文章について、その収録の意図や関連する情報を記すとともに、読書の参考になるべく、断片的な解説あるいは読解を試みる。

(後略/残り約95%)


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