見出し画像

風の王 その⑭ 青空のレーン

 多忙な日々が続いていた。
 仕事にも慣れ、自分ながらよくやれていると思うようにもなった。その沙都子に、いつも笑って口笛を吹く上司から驚きの通達がもたらされた。
「揃ったな」
 上司の前に並んだのは、沙都子と守山だった。
「オリンピック、な。あれ、お前等で行け。言っとくがキツいぞ。どうキツいか――までは優しく教えん。自分で経験しろ。若林は初めてだから、細々なことは守山に聞くように。以上だ」
 口笛を吹き、もう行けと手で合図をした。深々と頭を下げる沙都子を、守山は笑って見下ろしていた。

 一年後――

「おい、編集長からメールだ。読むぞ?『良い記事だ。掲載決定。もっと良い記事書くように』だとさ」
 黙って聞いていた沙都子は巨大なガラスの向こうに見える飛行機を見やった。
――あれに乗れば、十四時間で日本ね。あっという間だったな…。
 青い空に白いレーンが見える。訓練の苦労も苦悩も何もかもが若者には追いつけず、消えていく。何者も追いつけない風の王は、誰も未だ切り裂いてはいない空気を裂き、誰もまだ見ていない未来を見ている。
 ほんの十秒に満たない時間を、なんと愛おしく思わせてくれることか――と、沙都子は思い返す。
「カッコよかったですね」
「あ?あぁ、世界が興奮の大記録だからな。なにしろ日本人初の――」
 守山の言葉は、沙都子には聞こえていなかった。記録さえも選手の後を走って付いてくる。
――カッコよかったな、二人とも。
 搭乗開始のアナウンスが聞こえ、沙都子と守山は同時に立ち上がった。
「なあ、腹減ったな」
「先輩って本当に食いしん坊ですよね。言っておきますけど、分けてっておねだりされても機内食はあげませんから」
「人聞き悪いな…貰った事なんかあったかよ」
「帰ったら、たらふく蜂蜜舐めてて下さい」
「ん?」
 笑って先に立つ沙都子を追い、守山が訊ねた。
「なんで蜂蜜なんだ?おい!待てって!おい!」

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?