アルチュセール

 アルチュセールの哲学書は、いまはけっこう手に入りにくい。レーニンと哲学とかは、なかなか手に入らない。
 アマゾンでは買える。中古ではあるが。しかし、中古ではあるものの、まあまあよい。しかし、やはり新刊でそれを買うことはなかなかできない。
 新刊でそれを買えれば、よい本が手に入る。茶色になっていない、白いページ。しかし、そもそも、もう刷っていないのだろう。
 だから困るのだ。アルチュセールは、マルクス哲学者だ。マルクスのリバイバルは起きている。そこでは、しばしばマルクス主義者たちは、マルクスを曲解したといわれる。マルクス主義は終わった。しかし、マルクスの思想は始まってすらいない…。こういわれるのだ。
 まあわたしも、アルチュセールを読むが、しかし、アルチュセールのマルクス読解は独特だ。アルチュセールによれば、マルクスは、ヘーゲルの思想に影響を受けていない…。しかし、一般的に見て、ヘーゲルとマルクスの間に断絶は見られない…。そのような考え方が強い。
 アルチュセールは、基本的に、マルクスとヘーゲルの間には思考的な不連続性があると語る。だから、そこから、上部構造と下部構造の関係みたいなテーマも、改作されていく。どちらかがどちらかを支配するという図式は、上が主か下が主かどちらにせよ変わりない。わたしたちは、どちらかに主導権があるという、構造そのものを否定するのだ…というのがアルチュセールの見方であり、重層的決定という概念もここからくる。
 
 アルチュセールは、だから、ものごとを冷静に見れる目の人なのだと思う。アルチュセールのいう、マルクス読解は、かなり無理があるらしい。わたしも、あんまりマルクスの著作を精密に読み込むようなアルチュセールの著作は、資本論を読む、以外はよくわからない。
 しかし、まあ、問題は、ヘーゲルにしろ、マルクスにしろ、どちらも、その社会構造の見方は、実は同一的ですよ、といった点はアルチュセールのすごいところだと思う。
 つまり上部構造が主なのか、下部構造が主なのか、ということは本質的な問題ではなく、そういう社会の構造のなかにすべてを支配するような主体を考えるのに無理がありますよ、とアルチュセールはいっている。そういうことでアルチュセールは、もっと当時のヘーゲルとマルクスの関係について、他の人よりよりメタな立場にいたのだと思う。

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