「私らにはマジで気遣わんでいいからな。」

日曜日、高校の同級生と呑みにいった。

僕はとんでもなく人に気を遣う。こうゆう何人かとの呑み会では、進んで皆が食べたいものはないか聞くし、それを基にお店も何軒か提案する。店が決まれば予約をして、グループLINEに「○時に○○駅集合で宜しく〜」と送る。そして他の人を待たせたくないので、集合時間の10分前には必ず着いている。

そして、集合場所へ向かう時に考えることは、本当に選んだ店は美味しいかということだ。沢山インスタで写真も調べたし、食べログの評価も高かった。でも、万が一、味がイマイチだったり、量が少なすぎたら、その責任は店を提案した僕にある。なので、とてつもない緊張と共に集合場所に向かうのだ。

そんないつもの調子で、日曜も予約したお店にいった。出てきた料理はいわゆるインスタ映えしそうなお店で、みんなも満足そうだった。物凄く安心した。俺の選んだ店、当たりやろ?なんて慢心の感情は1ミリもない。この会を自分のお店選びのせいで台無しにしなくて済んだという安心だ。

その呑み会の中で、「○○(僕の名前)、人に気遣いすぎちゃう?」とある人から言われた。見抜かれたという衝撃が走った。そしてそれに続いて、「私らお店当日まで決まってなくたって全然気にしやんで?やし、私らにはマジで気遣わんでええからな〜 まあでもいつも割と時間かけて集まってるから、トリキとかよりこうゆうとこの方が嬉しいけど笑」と言われた。

全部、見透かされてた。別に僕はお洒落なご飯屋さんを沢山知ってるわけでもないのに、気づけばいつもお店を予約する係になっている。誰かにお願いされたわけでもないのに、そうなっているのだ。

気を遣わないなんて無理なんだよなー。もう人に気を遣うってことが当たり前というか僕を構成する必要不可欠な要素になっている。気を遣わなかったら、あーあの時いつもならこうしてたのに…という後悔が出てくるからだ。気を遣っていても遣わなくとも疲れてしまう。どーしたもんかね。

でも、気遣わなくていいって言ってくれて嬉しかったよ。直接伝えるのは恥ずかしいので、ここに書き留めておく。

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