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154 私が韓国語を学ぶようになったきっかけ

私が韓国語を学び始めたのは1990年代の初め。日本で韓流ブームが起きる前のことです。きっかけは? 韓国からの転校生オーくんを担任することになったからです。オーくんは韓国人の母親が日本人男性と結婚したため弟とともに日本にやってきました。

当時はまだ市内の学校に通う外国籍の生徒の数は少なく、受け入れのノウハウもほとんどありませんでした。私の勤務する学校が帰国子女の受け入れ校になっていたため(当時は帰国子女の受け入れが課題となっていました)オーくんは別の学区から通学してきました。

オーくんは日本語がまったくできません。私が担任する2年生に転入しましたが、英語科といういことで私のクラスに入りました。当時は帰国子女や外国籍生徒というと英語科の教員が担任することが多かったです。英語圏以外の国からの転入生であっても、なぜか英語と結び付けられる傾向が強かったです。生徒の言語は英語とは限らないので別に英語科の教員が担任する理由はないと私は思っていましたが、外国につながる生徒には関心があったので担任することに抵抗はありませんでした。

オーくんの母語は韓国語です。英語ができるわけではありません。韓国の学校で学んだだけなので英語は日本の中学生と同じくらいのレベルです。英語ですべてをやりとりすることなどできません。そして担任の私は韓国語ができません。当時は通訳などの支援制度はなかったので身振り手振りを交えながらなんとか英語と日本語で何とかコミュニケーションしようとしましたがなかなか伝わりません。

クラスの生徒たちはみんなオーくんを温かく迎え入れてくれました。子どもたちなりにコミュニケーションを行い、韓国のことなど興味をもっていろいろ聞いたりしていました。言葉の壁はありましたが心の壁が作られなかったことを私はとても嬉しく思いました。

オーくんのことは以前にも書いたことがあります↓

指導は手探りでした。今でこそ日本語指導者が配置されたり多言語資料が作られるなどして支援体制が整備されてきていますが当時はありません。図書館や国際交流機関に出向いて韓国語の資料を探したり、外国籍の人たちが多く住む自治体に行って相談したりしました。いちばん大変なのは本人です。言葉がわからない、授業がわからない中で文化の異なる日本の学校に慣れようと一生懸命取り組むオーくんのため何とかしたいと私は思いました。だからオーくんの助けになるのではないかと思い韓国語を習いに行ったのです。

私の韓国語はなかなか上達しませんでした、でも韓国語を学ぶことで私も韓国の歴史や文化を学び、韓国を身近に感じるようになりました。韓国語の先生にもいろいろ助けてもらいました。大きな助けになったのが定期テストの問題を韓国語に翻訳してもらったことです。オーくんは日本語で書かれた定期テストを他の生徒と同じように受けていました。通訳が付くわけでも、別問題が提示されるわけでもありません。翻訳機なども当時はありませんでした。唯一認められたのが日韓辞書の使用と多少の時間延長です。とても十分とは言えません。問題文を理解するだけでも大変です。結果はもちろん「ボロボロ」です。問題がわからないからです。彼の様子から判断すると教科の実力はありそうなのですが、テストで点が取れなければ低い評定が付けられてしまいます。不条理だと思いました。

内容は理解していても問題文が読めないから答えられないというのはあまりにも理不尽です。教科の実力ではなく日本語の能力を測っているようです。せめて問題文を韓国語で示してあげれば教科の力は測れるのではないかと思い、問題文の翻訳を先生にお願いしました。オークンは韓国語に翻訳されたテストではそれなりに解答を書くことができました。点数もそこそこ取れました。小さな試みでしたが少しは役に立った気がします。

オーくんを担任したことがきっかけとなって始めた韓国語の勉強ですが、その後も細々と続けています。「冬のソナタ」が流行ったころはヨン様の韓国語が少し聞き取れるまでになっていました。オーくんのお陰です。

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