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限界集落にて

長野県の山あいにある小さな集落。くねくねと曲がりくねった道の先にその集落はあります。明かりのない山道は夜になると真っ暗になり、野生動物も姿を見せます。

そんな集落に家族で山小屋を造ったのは30年前のこと。山小屋と言ってもささやかなもの。仲間と共同で築100年の土蔵を譲り受け、自分たちで工事をしたのです。夫と私は共に30代、娘と息子は4歳と1歳でした。都会で暮らす私たちにとっては自然の中で過ごす最高の場所でした。

古い土蔵は長い間手つかずの状態で荒れ果てていました。でも昔の建物らしく太い木がふんだんに使われて枠組みは頑丈です。梁には直径40センチほどのクリの木が使われ、屋根をしっかり支えています。何本もの太い柱も頑丈でびくともしません。二階に上がる木の梯子段はピカピカに黒光りして歴史を感じさせます。

納屋として使われていたこの土蔵には大きな窓もなければ流しやトイレもありません。だから自分たちで造ることにしました。土壁にドリルで穴をあけ出入口や窓を設け、炊事場も作りました。穴掘りから始めたトイレはペットボトルで水を流す手動式。でも立派な「水栓トイレ」です。

工事はすべて解体した家屋の廃材を再利用して行いました。窓枠やドア、畳や流しはすべてリサイクル品。寄せ集めなので規格はばらばら。居間に敷き詰めた畳は不揃いであちこちに隙間ができました。でもそれがまた何とも言えない味わいを創出し、生活に興を添えています。電気、ガス、水道も引きました。水は裏山に湧き出る天然水。都会の水とは比べ物にならないほど冷たくておいしいです。それに好きなだけ使えます。

土間には手作りの囲炉裏を設置しました。広い土間は子どもたちにとっては最高の遊び場、大人たちには楽しい酒場となりました。質素な山小屋ですが何の不自由も感じません。

工事を始めた30年前、集落には十数人の人が住んでいました。高齢者が多かったですが、みんなよそ者の私たちを温かく受け入れてくれました。工事で出る騒音にも苦情を言う人はおらず、逆に差し入れをしてくれたり、地域の情報を教えてくれたりしました。毎日のように誰かが畑で採れた野菜を持ってきてくれる人もいました。私たちと同世代の家族もいて子どもたちも兄弟姉妹のように仲良くなりました。いつ行っても家族のように迎えてくれます。

一年を通して集落は美しい景色に包まれ、私たちを楽しませてくれました。芽吹きの春は山全体が踊っているようでした。夏の夜空は満天の星で彩られ、秋は色鮮やかな木々の葉で山が燃えるようでした。冬は真っ白な雪が大地を覆い自然が深い眠りについたようになりました。こうした自然の美しさと人々の温かさに魅了され私たちは集落に何度も足を運びました。

でも30年たった今、集落には人がほとんどいません。空き家となった家は屋根が崩れ落ち、いつ倒壊してもおかしくない状態になっています。庭も荒れ果て、お年寄りがおいしい野菜を育てていた畑には草が生い茂っています。子どもの声もしません。限界集落のさみしさをひしひしと感じます。

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