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スプリットとドブロブニク

11月14日(火)
6時に起床して朝食会場に行くと昨夜の夕食時と同じように中国人と韓国人のグループでごった返していた。食事のクオリティも相変わらず高くない。夕食に出た残りかなと思えるものまであった。それゆえ朝食は早めに切り上げてホテル裏のビーチに出てみた。でも風が強くて波も荒い。雨まで降ってきたのでここも早々に引き上げた。ギフトショップでマグカップ(20kn)とキーホルダー(20kn)を買った。マグカップは半分にカットされた形で、「お土産を買おうと思ったけどお金を使いすぎちゃったので半分で我慢してね」と書かれていた。なかなかのユーモア。
 
バスは8時にホテルを出発。1時間ほどでスプリットに到着。スプリットはアドリア海に面した港町で、世界遺産のディオクレティアヌス宮殿がある。4世紀初めにローマのディオクレティアヌス帝が退位後の宮殿として建てたもので、晩年をこの宮殿で過ごしという。彼の死後は廃墟と化したが、その後7世紀に異民族に追われた人たちが移り住み家を建て始めた。家は宮殿の基礎の上に建てられ、その後増改築を繰り返して現在に至っている。だから宮殿と一般市民の家が共存するユニークなかたちになっている。現在も100人近い市民が住んでいるそうだ。

バスターミナルでバスを降り、ガイドの案内で雨の中を1時間ほど散策。旧市街と宮殿を見学する。海沿いのプロムナードを歩いて「共和国広場」に行く。ヴェネチア共和国の庁舎だったゴシック様式の建物が広場に面して建っている。14世紀以降この広場は町の中心地だったという。そこから「ナロドニ広場」に向かって歩くと魚市場があった。アドリア海で採れる魚が毎日売り買いされている。そのあと細い路地を抜けて宮殿の北門まで歩く。狭い路地を歩いていると両側の建物をつないでロープが渡され女性用の靴やサンダル、ブーツが吊るされているのが目に入った。干してあるようにも見えるが何のためなのかわからない。オブジェとしてはおもしろい。

海沿いのプロムナード


路地のロープに吊るされたサンダルやブーツ

宮殿を見学。宮殿は4つに区切られ、城門も4つある。北門(金の門)から入ったが、門の前に大きなグルグール司教の像が立っていた。グルグール司教は10世紀にクロアチアのラテン語化に抵抗し、スラブ語の保護に尽力した人だ。聖書もクロアチア語で書いたと言われ、像は左手に聖書を持ち、右手を高く上げている。足をこすると願いが叶うというので、たくさんの人に触られたらしく左足の先が光っていた。

北門をくぐり少し行くと四角い広場に着いた。宮殿の中庭で両側にはコリント式の柱が12本立ち並んでいるので列柱広場とも呼ばれている。柱はアーチでつながれている。中庭には鐘楼と礼拝堂もある。皇帝がエジプト遠征の際に持ち帰ったというスフィンクス像もあった。広場の南側には宮殿の玄関がある。4本の列柱に支えられた三角形の破風がついた建物。玄関ホールの天井は丸い形で吹き抜けになっており空が見えた。一定の場所に立つと吹き抜けの部分から大聖堂の鐘楼が見える。宮殿の地下には遺跡が残されている。ワインも作られていたそうでかつての醸造所が残っている。

グルグール司教の像
吹き抜けから見える大聖堂の鐘楼
大聖堂の鐘楼と一般市民の家

 
中庭から階段を下りて南門(銅の門)に続く地下通路を歩いた。通路は細い迷路のように入り組んでおり、両側に数多くの土産物屋が並んでいる。店に入ると宮殿の壁そのものが店の壁になっているのがわかった。ネクタイをデザインしたキーホルダーを記念に買った。ネクタイはクロアチアが発祥の地と言われている。
 
10時にスプリットを出発し、次の目的地ドブロブニクに向かった。高速道路が通行止めになっていたたバスは一般道を走った。海辺の道から内陸の道に入るとフルーツを売る露店が何軒か目に入った。バスは1軒の店に立ち寄った。このあたり一帯は柑橘類の産地だそうで、マンダリンオレンジやその他のミカンが売られていた。砂糖をまぶしてピールにしたものもある。イチジクやブドウなどもあった。値段は1パック500円くらい。10個買うと安くすると店の人が言うとツアー客の女性は一瞬で集まりまとめて購入していた。こういう時の女性の動きは機敏だ。


ドライフルーツ

しばらく行くとボスニアとの国境検問所に差し掛かった。細長いクロアチアの国土の中に一部ボスニア・ヘルツェゴビナが入り込んでいる。海の近くのネウム(Neum)という人口4300人ほどの町があり、海岸線が10キロほど続く。ボスニア・ヘルツェゴビナで唯一海に面した地域だ。ここでも検問は運転手のみで乗客のチェックはなし。場所によって検問のしかたはずいぶん違う。少し走ってレストラン「ホテル・ジャドラン(Hotel Jadran)」でトイレ休憩。中にスーパーがあったのでワイン2本とお菓子を買った。ネウムを過ぎてしばらく走るとまた国境があり、再びクロアチアに入国した。
 
3時半ドブロブニクに到着。強風のため城壁は3時半で閉鎖となったので登れなかった。せっかく来たのに残念!1時間半ガイドに案内れて旧市街を散策する。バスターミナル近くの「ピレ門」から入る。門は北の「ブジェ門」、北東の「プロチェ門」、旧港近くの「海の門」と合わせて4か所にある。「ピレ門」の上部には町の守護聖人「聖ブラホの像」があり、門の両側に高さ25メートルの城壁がずっと続いている。門をくぐって旧市街に入るとメインストリートのプラッツァ通りがまっすぐに伸びている。この通りは町ができた7世紀頃は島と陸地の間にできた細長い海峡だった。ドブロブニクは海峡の向こう側の小島にできた町だったのだ。初期の住民はほとんどが北部から避難してきたローマ人で、海峡を隔てた島に町を作り敵の侵入に備えたのだという。島は当時「ラグーサ」呼ばれた。ラグーサにはラテン系が住み着き、向かいのスルジ山の斜面にスラブ人が住み着いたという。町が合併した後にスラブ語でドブロブニクと呼ばれるようになった。

「ピレ門」から旧市街に入る

「ピレ門」を入ってすぐのところにドームの形をしたオノフリオの泉がある。1438年にナポリの職人オノフリオが制作したもので、側面の16のレリーフから水が流れ出ている。オノフリオはスルジ山北側の水源から水を引いて泉を作ったが、川のない小島のドブロブニクでは水の確保が大きな課題で、泉の水は貴重だった。噴水の近くにフランシスコ会修道院がある。14世紀に建てられ、ロマネスク様式の美しい回廊がある。回廊に面して1317年創業のクロアチア最古の薬局があり、現在も営業している。回廊の奥には博物館があるが、この日はあいにく閉鎖していた。

オノフリオの泉
薬局内部の展示品

プラツァ通りの両側にはたくさんの店が並んでいる。細い路地がたくさん交差しており、路地に入ると町の人たちの日常が垣間見えて楽しい。スラブ正教会があったので入ってみた。静まり返った中で男性が一人祈りをささげていた。


セルビア正教会
セルビア正教会の入り口


プラツァ通りの突き当りにルジャ広場があり、広場に面してスポンザ宮殿がある。宮殿にはかつて税関が置かれていたが、現在は公文書館となっている。スポンザ宮殿の中庭にあるアーチには、「商品の荷を測る際は、神に測られていると思わなくてはいけない」という言葉がラテン語で刻まれており、商取引の公正さを重視する当時の様子がうかがえる。広場には聖ブラホ教会もある。教会の前には1418年に制作された伝説の騎士ローラントの像がある。ローラントの右半分(肘から手まで)は51.2センチで、「ドブロブニクの肘」と呼ばれ商業取引で使う長さの基準とされていたという。類似したものは中世ヨーロッパ各地にあったらしい。たしか、シベニクにも似たようなものがあった気がする。広場の南側にはラグーサ共和国総督の旧官邸があり現在は文化歴史博物館になっている。中に入ると戦死者の写真がたくさん飾られた部屋があった。多くが若者だ。内戦で命を落とした兵士だろうか。

聖ブラホ教会とローランドの像
博物館内部の写真

自由時間はY子とも別れて一人で散策することにした。一緒に旅行していても別々に行動する時間も必要。広場の近くに肉屋があったので入ってみた。陳列ケースの中には大きな肉の塊がたくさん並んでいた。肉を買いに来た中年の男性が主人となにやら話してる。英語ではないので何を言っているかわからない。私がいることに気がついても主人は何も言わない。「いらっしゃいませ」のひとこともなく、笑顔も見せない。私が英語で「これは牛肉?」と聞いて初めて「イエス」と英語で答えた。それもひとことだけ。それ以上は何も言わない。およそ商売人の雰囲気を感じないが、彼に限らずクロアチアの店では店員が概して不愛想に見える。お客が店に来てもちらっと見るだけで黙っている。クロアチア人の気質なのだろうか。

広場の近くにはドブロブニク大聖堂(聖母被昇天大聖堂)もある。中に入ると人はほとんどいなかった。祭壇の奥にティッツィアーノの聖母昇天像があった。

大聖堂の内部

 
雨はやむ気配がなく次第に強まって傘が飛ばされそうなほどになってきた。びしょびしょになりながら旧港まで出てみると船がたくさん停泊していた。雨のせいかどことなく寂しげな風景だ。城壁には上がれないが、細い石段の先が気になり登れるところま登ってみた。石段の両側に一般市民の住む家が入り組んで造られている。窓からオレンジ色の明かりが漏れ人影が映っている。どんな生活をしているのだろう。城壁の屋上手前まで登ったが、出口には鉄のフェンスがあり鍵が掛けれれていた。かなりの高さなので城壁からの眺めはさぞ素晴らしいのだろう。

城壁に上る石段と両脇の家
石段脇の家から明かりが漏れている

 5時半集合。歩いて夕食場所に向う。プロチェ門を出て少し歩くと海に向かう階段がある。階段を降りたところにあるコマルダ(Komarda)というレストランが今日の夕食場所。旧港が見渡せるテラス席もあったが雨も降っていたので店内のテーブルで食べた。サラダとシーフードリゾット。25クーナでビールを飲んだ。
 
夕食後はバスでホテルに向かった。今夜はリクソス・リベルタス(RIXOS HOTEL LIBERTAS)というホテルに宿泊。私たちの部屋は6階だった。快適なホテルだが疲れたし、明日の朝も早いのでシャワーを浴びて早々に就寝した。
 
 

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