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証拠を求める生徒と保護者

教師の仕事は楽しいです。けれど楽しいことばかりではありません。指導がうまくいかないこともありますし、釈然としない場面に出くわしたり、不合理なことを甘んじて受け入れなければならないこともあります。生徒や保護者の反応に戸惑うことは少なくありませんでした。前回とは対照的なエピソードです。

学校が荒れていたときです。休み時間に校舎を巡回していたら3年生の男子生徒が3階のトイレの窓からバケツの水を外に撒き散らすのを見ました。他に生徒はいませんでした。彼はたびたび問題行動を起こす生徒で、担当学年ではない私も彼のことはよく知っていました。私はすぐに駆け寄って彼に注意しました。

でも彼の口から出た言葉に耳を疑いました。「何もやってない」と彼は言ったのです。私は彼がバケツの水を撒き散らすのをこの目で見ています。現に彼の足元には空っぽのバケツが転がっていますし、窓の下の地面には水たまりができています。晴天続きで乾ききった地面の中でそこだけが濡れています。幸い下にはだれもいなかったので被害を受けた生徒や教師はいませんでした。でも許されることではありません。

私はバケツを指さして彼を問い詰めましたが彼はシラを切り続けました。そして言いました。「証拠があるのか」と。 彼の言い分では目の前のバケツも地面の水たまりも証拠にはならないのです。もちろん私の「目撃」も。私はカメラで撮影していたわけではありません。そんなことをしたら大問題になります。私以外に目撃者はいません。警察のような指紋鑑定ももちろんできません。担当学年が違い直接的なつながりがない私を彼は甘く見たのかもしれません。女性だからかもしれません。でも私としても見逃すわけにはいきません。私は彼の良心に期待するしかありませんでしたが、彼は最後まで「やってない」と言い続けました。

私はすぐに担任に連絡しました。担任なら気持ちが通じていて正直に言うかもしれないという淡い期待を抱きながら。でも期待は見事に裏切られました。彼は担任に対しても「やってない」と言い張りました。そして私の勘違いであると主張しました。そこでも「証拠がない」を繰り返したそうです。結局その件は彼が事実を認めないまま終わりになりました。私は釈然としませんでした。

担任は保護者にもそのことを告げました。けれど保護者の反応も私には衝撃的でした。母親が口にしたのは「うちの子がやったという証拠はあるのですか」だったのです。わが子を信じたいという親の気持ちは私にもわかります。やってもいないことをやったと言って教師が生徒を問い詰めることもないわけではありませんし、学校にも「冤罪」は存在します。だから親がわが子に事実関係を確かめることは重要です。けれどその保護者はわが子に確かめることもせずに「証拠があるのか」と言い張りました。

担任によれば親子は何かにつけて「証拠」を求めるそうです。ちなみに父親は外国人で、母国では、日常的なトラブルでも証拠がなく、責任の所在がはっきりしないのに謝罪することはないとよく言われます。証拠がなければ簡単に非は認めない(認めてはいけない)という社会なのかもしれません。先の親子の反応にその影響があるかどうかは不明ですが。

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