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90 雨が降ったら 

「雨降って地固まる」という言葉があります。いざこざやもめごとが起きたあとに以前よりもかえって物事がうまくいくことです。

学校ではいろいろなことが起こります。集団生活をしているのでもめごとやいざこざも少なくありありません。個性の異なる人たちが何かを一緒にやろうとするとそこにぶつかり合いが起きるのは当然でしょう。もめごとの起きないこともありますが、それは一人一人がもめごとの起きないように配慮しているか、問題があっても問題に目をつぶっているかのどちらかのように思います。配慮することは大事です。でも問題に目をつぶるのはどうかなと思います。問題があったらみんなで解決する努力をすることが大事だと思うからです。

普段あまり問題が起きない平穏なクラスでも、何かを真剣に考え、一生懸命取り組むと問題が生じてもめごとになったりします。私は問題が生じるのをそれほど悪いこととは思っていません。問題が起きるのはみんなが真剣に取り組んでいる証だと思うからです。それよりも問題が生じても問題として取り上げないことの方がいけないと思います。大事なのは「問題にどう向かうか」「問題をどう解決するか」そして、「問題をその先どう生かしていくか」ではないかと思っています。問題が起きたことでみんなの気持ちが一つになったり、真剣さが増したり、雰囲気が良くなったりすることはいくらでもあるのですから。

体育祭の選手を決めるにあたって「男子の決め方はちょっとまずいんじゃないか」という声が出ました。そこで女子も交えて全員で話し合ったところ「確かにフェアな決め方じゃなかった」「押し付けるようなところがあった」「推薦理由がいい加減だった」というような意見が出ました。かなり重苦しいムードの話し合いになり、嫌な気持ちになった人もいたと思いますが、私はあの話し合いはやってよかったと思っています。有意義だったと思います。話し合いをしないままでいたらみんなの中に大きなわだかまりが残ったのではないかと思います。

個人的な問題が絡んだり、だれかが責められることが予想される話し合いはとかく避けられがちですが、それでは問題が解決しないことが多いと思います。問題だと感じている人がたくさんいるのに、問題に「蓋をして」だれも何も言わないというのも間違っていると思います。今回の問題は一見個人的な問題に思えますが、実は男子全員、ひいてはクラス全員の問題です。安易な決め方であることに気づかなかったみんな、気づいていてもその場で何も言わなかったみんなに責任があります。

でも私が素晴らしいと思ったのは、その場で言えなかったけどこのままではいけないと感じた人がいたことです。そして、クラス全体の問題として取り上げ話し合いまで持って行ったことです。だからみんなで真剣に話し合うことができました。たくさんの意見が出されました。何がいけなかったのかも見えてきました。あのまま話し合いをしなかったらみんなの中にわだかまりが残ったまま体育祭を迎えることになっていたと思います。

話し合いをした翌日、学級委員の二人が朝の連絡を聞きに職員室の私のところに来ました。「みんなの様子はどう?」と聞くと「ちょっと重苦しい感じです」という返事。でも選手決めを続行しなければなりません。昨日の話し合いが活かされることを願って二人に選手決めをするように言いました。

教職員の打ち合わせを終えて教室に向かっている私の耳に拍手の音が聞こえてきました。私のクラスのようです。体育委員のシンくんとヒロノの声も聞こえます。後ろのドアから教室に入ると男子の選手決めがやり直されていました。今日は女子も参加しています。

「Aくんは足が速いので得点が高いリレーに出るのがいいと思います」「Aくん、リレーに出てくれますか?」「はい出ます」と推薦理由をはっき述べ、意思も確認しながら決めています。民主的な決め方です。昨日の話し合いが活きているのがわかります。お互いに気を遣っている様子も見られます。話し合いが無駄ではなかったと思い、内心ほっとしました。あのような話し合いをするとやる気をなくす生徒がいます。投げやりになる生徒もいます。素直になれずわざと水を差すようなことを言う生徒も出てきます。でも、そんな生徒は見られなかったからです。結局、男子の選手決めはクラス全体の承認を得て無事に終わりました。

学年での練習開始までには間に合わないことを覚悟していた私には大変な驚きでした。さらに、全員種目の順番や競技に必要なものの準備も休み時間のうちにすべて完了しました。これだけのことを一日でやってしまう生徒たちに感動しました。前日のあの「雨」がクラスの地固めをしっかりやってくれたように思います。そして「雨」をむだにしなかった生徒たちに私は心の中でエールを送りました。

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