見出し画像

106 「校門指導」を一歩間違えると

朝の「校門指導」。今も多くの学校で行わているようですが私が教員だった頃にもありました。毎朝教師が校門付近に立って「おはようございます!」と言いながら登校する生徒を迎えます。さわやかな朝の風景です。

生徒指導担当の教師はほぼ毎日、その他の教師は順番で参加していました。「あいさつ運動」などと呼ぶこともあり、生活委員や風紀委員(風紀ということばは個人的にあまり好きではありませんが)の生徒も交代で教師と一緒に立つことがありました。「指導」ではなく「運動」と呼ぶ方が柔らかい感じがしますし、生徒もいっしょだと教師の「意図」が見えにくくなるからです。

先生達が毎朝校門で生徒を出迎える。決して悪いことではありません。先生たちにとっては朝早く出勤するのは大変ですが、生徒とのふれあいやコミュニケーションの一環としても意義あることだと思います。現に保護者が送り迎えをすることの多い海外の学校では、登校時に保護者と教師のコミュニケーションが頻繁に行われつながりを深めている面が見られます。

でも、日本の学校の場合ちょっと誤ると危険なこともあります。「管理」につながるおそれがあるからです。「校門指導」という言葉が示すように教師の中には朝のこの時間を生活指導の時間と捉え、生徒を「管理する」時間と考える人が少なくありません。すなわち、服装や髪型、持ち物などをチェックして指導することが目的になっているのです。「おはよう」と言いながら、教師たちの目は生徒の服装や髪型に向いています。腕組みをして仁王立ちをしている教師もいます。男性教師に多く見られましたが、心を込めてあいさつをするとき、人はふつうそんな恰好はしないものだと思います。

遅刻対策として時間になったら校門を閉めるということも行われていました。始業のチャイムが鳴る数秒前からカウントダウンが始まり、チャイムが鳴り始めると同時に重い鉄の扉がガラガラと閉められます。「閉めるぞー、急げー!」教師が遠くにいる生徒に声をかけます。生徒は走ってきて校門を駆け込みます。閉まりかけた扉に足を引っかけて転ぶ生徒や、扉とブロック塀との間に挟まる生徒も少なくありませんでした。危ないと思うことがたびたびありましたが、生徒も教師もそれが当たり前のように思っていたような気がします。日常的な風景になると思考が停止するのかもしれません。

そして神戸の高校で事故が起きました。1990年のいわゆる「校門圧死事件」です。同校には全国から非難の声が殺到しましたが、他人事とは思えない学校も多かったのではないかと思います。勤務先の学校でも翌日から校門を閉めることはなくなりました。

校門指導を決して否定するわけではありませんが、校門指導にはそうした一面があることも教師は認識する必要があるのではないでしょうか。何のために校門指導をするのか教員の間で十分な議論を行う必要があると思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?