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友人はさりげなく手を貸した

海外で暮らしている日本人女性が久しぶりに帰国したので会う約束をしました。駅前で待ち合わせをし、久々の再会につい話し込んでしまったところ彼女が突然「あっ、ちょっとごめん」と言ってその場を離れました。見ると少し離れたところにいる若い男性のところに足を運んでいます。男性は自分の車に荷物を積み込んでいるところでした。荷物はたくさんあって重そうです。友人はそれを手伝おうとしたのです。でも彼女が声をかけると男性は「あっ、大丈夫ですから」と言って断りました。

何気ない出来事でしたが私には印象に残る場面でした。ささやかな「発見」もありました。一つは彼女の行動の速さです。彼女は男性に気がつくとすぐに駆け寄りました。そのフットワークの軽さはおよそ60代後半の女性には思えませんでした。さらに声をかけたのは若い男性です。日本ではシニア女性が若い男性に力仕事で「手伝いましょうか」と声をかけることは珍しいのではないでしょうか。逆の場合はもちろんあります。戻ってきた彼女にそう言うと「だって大変そうだったからよ。手伝う相手に男女も年齢もないでしょ」と当たり前のように彼女は言いました。

男性が「大丈夫です」と言って手伝いを断ったのも印象に残りました。手伝ってもらった方が助かると思うからです。遠慮したか、年輩の女性だったので躊躇したのでしょう。

町中での手助けはた海外ではよく目にします。オーストラリア人の友だちは手助けが必要そうな人を見るとすぐに声をかけます。ある日も買い物を終えて二人で駐車場に戻る途中「あっ、手伝わなくちゃ」と言って中年女性のもとに駆け寄りました。女性は買い物した品をたくさんカートに積んでおり、手には大きな段ボールも抱えています。友人が手助けを申し出ると女性は「サンキュー」と言って友人にカートを託しました。友人は女性が車に荷物を積み込むまで手伝いました。荷物を積み終えると女性は今度もひと言「サンキュー」と言ってすぐに車で走り去りました。短時間の出来事でしたが友人のさりげない申し出と女性の素直な受け入れが私にはとても新鮮でした。

日本でも手助けをする場面はあります。でも声をかけられるのはたいてい身体が不自由な人や高齢者です。小さな子どもを抱いた女性のこともあります。でも障がいのない(ように見える)人や若い男性が声をかけられることはあまりありません。もう若くない私でも買い物カートを「運んであげましょうか」と言われたことはありません。

最近は知らない人に声をかけることがためらわれます。怪しい者に間違われたり、余計なことと思われたりすることもあるからです。声をかけられる人も警戒しがちです。だから手助けが必要であっても「大丈夫です」などと言って断ることが少なくありません。断られた人は「せっかく言ってあげたのに」と不満に感じたりします。手伝ってもらった時には恐縮して何度も何度も頭を下げることがあります。

かつて「お年寄りには席を譲りましょう」とよく言われました。でも座席を必要とするのはお年寄りだけではありませんし、お年寄りでも必要としない人もいます。「お年寄り」の仲間入りした私も席を譲られることもあれば、譲ることもあります。社会では誰もが助け、助けられる人になります。手助けが必要そうな人を見かけたら年齢や性別、障害の有無などに関わらず誰にでも声をかけてみる。声をかけられた人は必要なら申し出を素直に受け入れ、必要がなければ素直に断る。不必要な遠慮はしない。申し出た人も感謝を求めたりしない。助け合うというのは本来そういうものではないかという気がします。

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