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50 いのちの重さとは?

1989年、埼玉県飯能市の霊園で少女の惨殺死体が見つかって数日後、学級通信に「いのちの重さとは」と題して以下のような文章を載せました。

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あってはならない事件がまた起きてしまいました。埼玉県飯能市の霊園で見つかった少女の惨殺死体が東京の江東区に住む野本綾子ちゃん(5歳)であることが判明して5日が経過しました。綾子ちゃんは誘拐された後わずかな間に殺され、切断されたといいます。犯人は家族と知り合いなのか、赤の他人なのか、動機は何なのか、犯人が捕まっていない現段階では何もわかりませんが、少なくとも何の罪もない無抵抗の少女の命を平気で奪う冷血漢であることは誰も疑わないでしょう。。こんなひどい行為を許すことはできませんが、何がこのような人間を生み出すのでしょうか。

赤ちゃんが生まれたとき、健やかな成長を願わない親はいません。いや、そう思いたいです。同時に生まれたときから残酷な人間というのもいないと思います。これもそう思いたいです。誰もが無垢な状態で生まれてくるのであれば、なぜ人の命を奪う人間になるのでしょう。育つ環境から?付き合う仲間の影響から?成長する過程で何らかの原因があって?

悲しいことですが世の中には人の命を平気で奪う人間がいることは事実です。連日報道される殺人事件の多さからもこれは明らかです。命ってそんなに軽いものなのでしょうか。埼玉県では「絵梨香ちゃん事件」「真里ちゃん事件」と子どもが殺される事件が続いています。犯人はまだ捕まっていません。「知らない人は悪い人かもしれないから気をつけなさい」と小さな子どもに言わなくてはならない世の中だとしたら本当に悲しいです。

殺人事件の被害者はもちろん不幸です、でも、同時に加害者も不幸だと思います。どんな小さな命も作り出すことのできない人間が簡単に人の命を奪ってよいはずがありません。みんなは最近の事件をどのように受け止めていますか?

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社会で起きている事件を他人事ではなく、自分にも関わることとして生徒たちには受け止めてもらいたいと思います。そのためにはまず目を向けさせることが大切だと思い、事件などが起きるたびに教室で話をし、学級通信にも書いてきました。教師の言動に制限がかかる傾向が強まる昨今、自分の率直な思いを生徒に伝えることは可能なのでしょうか。

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