なぜか花の向きが違う:映画『秋刀魚の味』
昨日、老婆の日常茶飯事さんが小津安二郎監督の映画『秋刀魚の味』について書いておられました。私もテレビで同じ映画を見ており、記事を興味深く読ませていただきました。
私は小津監督の映画が大好きで同じ作品を何度も見ることがあります。『秋刀魚の味』もそのひとつです。小津監督の最後の作品となったもので、妻に先立たれた初老の父親(笠智衆)と婚期を迎えた娘(岩下志麻)との関わりを軸にし、娘を嫁がせた父親の「老い」と「孤独」をテーマに描いた作品です。
小津監督の映画と言えば低視線のカメラ位置や静止画のような場面とともに背景や小道具へのこだわりが有名です。居間のちゃぶ台や湯飲みの位置、赤いやかん、床の間の掛け軸や置物、壺、庭の花など細部に細やかな神経を使って撮影していると言われています。
『秋刀魚の味』では床の間に掲げられた会津弥一の掛け軸(小津監督が気に入っていた書と言われています)がよく取り上げられますが、私は先日見た際に目に留まったものがありました。花瓶の花です。主人公の男性が友人と小料理屋でお酒を飲みながら食事をする場面で、友人(中村伸郎)が背にする床の間の花瓶の花(小津監督の家の庭に植えられており、彼にとっては深い意味を持つと言われる鶏頭のようです)が微妙に向きを変えているのです。別の場面に移動してから1分も経たずに同じ場面に戻るのですが、そのとき花の向きが違っていたのです(下の2枚の写真)。
わずかな時間に花の向きが変わる。何とも不思議に思いました。この映画はこれまでにも何度か見ていますが今回初めて気がつきました。花の向きは自然に変わったのか、そうだとしたらそれはなぜか、時間をかけて撮影しているうちにスタッフが通ったことにより振動で動いたのか、監督が何らかの意図で向きを変えたのか、いろいろ推察してみますが私にはわかりません。でもなぜか気になります。(推理ドラマの見過ぎでしょうか)