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【 言えない空気 時代の風潮について 】


 わたしには面食ってハニーなビジュアルで誤魔化されぬよう「カッコいい」と「カッコつけ」、「かわいい」と「あざとかわいい」は別口と考えるような人間なので 近年の『ジャニーズ問題』の一件は完全にカヤの外で、どちら側につくでもなく見守るだけなのだけど、タブーというのはこんなふうに明るみに出るんだ とひとつの現象として興味深く観察させていただいてます。

 知っていそうなタレントさんらは みな口を揃えたように

「そういう時代だったから」

と言います。

 つまり芸能界ではそういう同調圧力がはたらいていた。言えない空気の正体がこの「同調圧力」です。それは社会的権力の強い人であればあるほど
強まるもので、〝上のやることにはいっさい口出しするな〟みたいな圧力がはたらいてます。たとえ間違っていても です。それを言っちゃあおしまいよ と暗に脅されているのです。

 でも時と場合、時代の風潮により それが弱まるタイミングというのがあります。そこをうまく突いたのが今回の功績となります。もう本人不在ですから、本人としては 逃げ切ったしてやったり といったところなのでしょうが。

 特に日本人は 衝突や軋轢を嫌いますし それが 一つの社会常識 マナーとして成立しているくらい よくもわるくも 〝優しい〟 ですから、(ドロドロ内に引っ込めるのが上手いだけとも言えますが)これが「気遣い」となってしまってもいます

 「わたしが暴露して火種になれば、関係者の多くにご迷惑をお掛けすることになる」「わたしさえ犠牲を払えば それで丸くおさまるんだ」と 考えかた一つで美談にもなっちゃうわけです。

 ただ もう一度 冷静に考えてみてほしいのですが、それこそ搾取した相手の思うツボではないのか。たしかに言わないことで、線からはみ出すことはないでしょうがその間違った線上を みんなで悶々と渡っていても、このようにきっといつかは時代とともに誰かが暴露し 瓦解します。その時 みんな また同じように言うでしょう。

「そういう時代だったから」

わたしなら 恥じますね。反省すると思います。

 いま この流れが 私たちの生活の身近なところにも来ています。よく最近 話題にしている「環境問題」です。

 きっと みんなは 知っているけど知らないふりをしている。自分たちと関わりのあることだとは思いながらも、政治の話がめんどくさいのと似たような印象もってるんじゃいかな。暇じゃないんで。(とか言いながら空き時間ゲームしたりネット見たり)

 知りたくないこと 見たくないこと 聞きたくないこと

こういうのに興味をもつためには、自身の体験、経験と好奇心が必要になってくる。ライフスタイルが多様化するなかタブーに触れることで一種の快楽を得ている人種も増えてます。

 ゴシップ裏情報、心霊スポット巡り、奇祭 廃墟巡り。。

違法な薬物など直接的なタブーでなくとも趣味程度ソフトアダルトに楽しむことができます。上層部のお国レベルからの警鐘ばかりが目立つから「環境問題」なんてすごく堅苦しく思われがちだけど、中身はこうしたタブーと何ら変わらない。

 ジャニーズ問題も、元々はこうしたアングラ情報が発端だった。「地球温暖化」なんかもノストラダムスあたりからアングラではずっと言われていたことですよね。時代の流れとともに 真実味のあるものは そこからどんどん血肉化し 主流(メインストリーム)となる。アングラも捨てたもんじゃないって思える瞬間ですね。

 最後に 尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」の歌詞と映像を紹介して終わりにします。この歌は 別れのカップルを歌ったものですが、いろいろ意味深に どんな物事にも例えられる普遍的な内容になっています。何度聴いても素晴らしい曲。

また逢う日まで逢える時まで
別れのそのわけは話したくない
なぜかさみしいだけ
なぜかむなしいだけ
たがいに傷つきすべてをなくすから
ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう
また逢う日まで逢える時まで
あなたは何処にいて何をしてるの
それは知りたくない
それはききたくない
たがいに気づかい昨日にもどるから
※ふたりでドアをしめて
ふたりで名前消して
その時心は何かを話すだろう※
(※くりかえし)

歌:尾崎紀世彦
作詞:阿久悠
作曲:筒美京平


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