パリ ゲイ術体験記 vol.51 「メトード•ローズ 苦節10年」
昭和生まれの私が育った頃は、ピアノの入門書はほぼオートマティックに「バイエル教則本」であった。
たまに、フランス渡来の「メトード•ローズ」で習っている子供を見ると、田舎では「な、なんとモダンな」的な雰囲気すらあった。
ドイツ人バイエル氏が作ったかの教則本には1曲たりとも題名のついた曲が無くて、106曲の練習曲をしらみつぶしに進めていく事になる。
忍耐強い日本人の子供だからこそ最後まで到達できるメトードだと思うのだが(今頃の日本の子はどうだか知らないが)、その後に続くツェルニー100番練習曲(要するに100曲入っている)、それに続く30番•40番、更には50番60番練習曲といった音大ピアノ科志願の生徒が辿るようなある種の拷問みたいな修練だって我慢できるのだ。
そういう私の子供時代も練習曲は気が滅入るほどにイヤで、ツェルニー1冊目の100番練習曲の途中で「頼むからもっとマシな曲をやらせてもらいたい」と意を決して鬼教師にかけあった記憶があるが、むろん落雷のような怒号とともに一蹴された。
フランス生まれの教則本メトード•ローズは、1冊に収められている曲の半分は子供が幼い頃から知っているような親しみ易い曲からできていて、そう退屈することなく進めるようになっている。
そういった "楽しみながら" に慣れ親しんいるフランス人だから、ピアニストになっている大人に聞いてみても、ツェルニーの練習曲なんてのは過去に5曲もやったかなぁ. .? なんて言う人ばかりである。
今どきの日本で入門にバイエルを使うならば「21世紀になってもまだバイエルなんですか?」との批判があるらしいけれど、ここフランスでも導入にメトード•ローズを使うと爺ちゃん婆ちゃん先生級のアンティークな教師として認識される傾向にある。
しかしながら、これらの教則本をちゃんと使うならばなかなか効率的に上達できる仕組みになっていて、全く侮れない教材であるのは確かである。
現在の私が教えている中に、メトード•ローズ10年生寸前の諦めが悪いというかしぶとい生徒が2人いるが、たとえ良い教材と言えども断固として練習しなければまあこんなものである。
亀じゃあるまいし、一体どうやったらこんなにのんびりと歩んで平気でいれるものかと、私の理解の域をとっくに越えている。
その10年の間に私も歳をとったから、毎度のごとく「練習してね」を言い続けて、手を変え品を変えて叱咤激励するエネルギーが枯渇してきている。ここまでくると、レッスンというよりも生徒と教師との我慢大会みたいな様を呈している。
フランスの学校は、やれ復活祭だクリスマスだの2週間のバカンスが年に数回あって、その上に夏のバカンスが、丸々2カ月ある。
これらの休み期間中は当然のようにレッスンもなくなるから、特に長い夏休み明けのレッスンでは学んだ事を綺麗さっぱり忘れてる子供もいたりで、私にとっては溜め息が止まない日々となる。
休み前にたんと教え込んだ筈の曲なのに、「こんな曲は初耳. . .」みたいな顔をして、平気で1~2オクターブ違えて弾き始めるなんてのはザラ。
両手とも楽譜と全然違う音で弾き出して、新種の現代音楽さながらな曲になってるのに弾き続けるやつめもいる。その気持ち悪い異常な響きに本気で気付いていないで弾いているのか、はたまた休暇が終わったのでヤケッパチになって弾いているのかさえも私にはもう判らない。
失笑もイライラも通り越して偏頭痛が起こるのを我慢して呆然と眺めていれば、そのまま最後まで弾き切ってしまう。「ほら、何とか弾いだろう!」と満更でもなさそうなまさかのしたり顔。
こうやって完全ノックアウトされ続けている私は、今日も忍耐強くピアノのレッスンを続けている。