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WD#87 批判の覚悟と正義感

そういえば言い忘れてた。明けましておめでとうございます。ギリギリセーフ。

先週がかなりイレギュラーな回だったので、今回は今年初の通常運転ということで、色々書けたらいいなと思う。そして、今回が通常回じゃなきゃいけない理由がある。実は来週にかなり大きめのイベントがあり、来週はそのことを書かざるを得ないと思うので、イレギュラー3連発を新年早々かまされてもなあ、と思いこのような形式に至るのである。

ただ、今回どんなテンションでやればいいのかというところを私自身まだ掴めていない。今年は年始からかなりひどい出来事が続き、先週の回でも少しそこに触れようかどうか考えたが、ここはもう一切そういうのはやめて機械的なやつをやろうと思い書いたのがアレである。そのため、こうして普通の文章になるとどうしてもその悲惨な事実がかすめてしまう。

Twitterを見ていても、やはり流れてくるのは地震のことや飛行機のことばかり。見ててしんどくなる。しかも、その流れてくる情報は大体なにかしらの批判や陰謀論。何でこんな時まで陰謀論を唱える余裕があるのかがわからない。

なんだって?人工地震?政府が何か隠してる?電磁波攻撃?すいません。一個だけ言わせて下さい。






どっか行っとけ!!!!!





私かなり怒ってます。だってウザいから。

はいはい、なんだって?能登の地震は人工地震だって?なるほどなるほど。

はいはい、今度は何?飛行機が燃えたのは全部演技だって?なるほどなるほど。

じゃあ訊きますよ。何でそんなことするの?

そしたら大体こういった答えが来る。

「それで国民が困惑している間にこっそり憲法を改正しようとしてる」だってさ。

いや、公園で憲法決めてるんか!!!

何だよその理論は。別にいつでもこっそり変えれるだろ。あと変えたとしてものちのちバレるだろ。しかも憲法改正は国民投票必須だから。

このように、なぜインターネット空間に解き放つことができたのかわからないグラグラな理論が年始から私のインターネットを侵蝕していてかなり不快だ。

言いたいことならまだたくさんある。まだ情報不確定の中で勝手に昔の画像引っ張り出しながら松本人志を批判してるヤツとか。「昔からダウンタウンのお笑いは好きじゃなかった」だってさ。松本人志がこういうピンチな立場に追い詰められて初めて、自分の言いたいことを言いやすい環境になって初めて、そういう批判ができたんだね。よかったね。

批判にはそれ相応の覚悟が必要だと思う。今世の中にある事象は理由があって存在しているわけで、それを否定するんだから、そりゃ生半可な気持ちではできない。なぜならそれは世間に逆行することだから。

でもこうした報道の出てる最中での批判は非常にラクで、世間の流れに乗ってるだけで「これだから〜は…なんだよ」とか、そういうことが言える。

私はそれ、とってもダサいと思う。自分の意見が言いやすい環境になってイキイキしながら批判する。誰も手をあげてなかったのに、誰かが手をあげたら周りも手をあげ出す学級会みたいな、いかにも日本人みたいな弱さがそこにある。自分で火はつけれないが、薪はくべることができる。

ましてや数十年前の映像を引っ張り出して「ダウンタウンは昔からこういうことをしていた」みたいなことを言う人はどういうつもりなんだろう。多分それで自分サイドを増やしたいんだと思う。今まで擁護派だった人たちにその映像を見せて「うわ!ひどい!松ちゃん最低!擁護するのやめる!」とさせたいんだろう。だってその映像が今のことに何かしらの影響を直接与えることはまあないだろうから、期待できる効果はこの程度だと思われる。姑息ですね〜

やっぱり、こういう話をしてると「日本人」というかなり根本に帰着してしまうのは避けられない。思い返してみると、この年末年始、さまざまな「日本人」を見せつけられてきた。

それは紅白歌合戦のけん玉のギネスのときから始まっていた。確か16番の人が落としちゃったやつ。私はあれは誰も本気で成功を願ってないので別に失敗しても「あらら…」くらいしか思わないし、みんなもそうだと思っていた。でもやっぱりネット上ではそうもいかない。

ただ、今回のケースはかなり特殊で、現時点で落とした人を咎める内容は全く見当たらなかった。じゃあ何が話題になっていたかというと、「16番の人を批判するのは良くない」という投稿ばかり。誰も(もしかしたら数人は批判してたかもしれないけど)批判していなかった人に対して「批判をやめよう」という運動が起きるのは、何となく逆効果なんじゃないかと思う。

別に触れなきゃいいだけで、変に擁護する人がいっぱいいるせいで、その数多の「擁護」が逆に「失敗」を際立たせているんじゃないだろうか。そうして多くの人の記憶に刻み込まれ、今に至る。これは確実に、その時に発生した擁護派のせいだ。変な正義でしゃしゃり出るなよ。

これも日本人って感じがするな。この“変な正義感”。これが結局批判とかにも直結するわけだけど、日本人はだれしも不要な“変な正義感”を持っていると思う。もちろん、自分も。

正義って本当に難しいと思いませんか?ましてやそれが“変な正義感”なんだから。正義と正義がぶつかり合うと、どちらかが悪にならざるを得ない。つまり、正義は常に悪になる危険性を秘めている。それが日本人1億3000万人全員に備わっているんだから、そりゃあ論争も絶えないでしょう。

ただ、正義感がなくなると同時に我々の社会はスラムと化し、犯罪が跋扈することだろう。このあたりの調節が、まさに今、我々に求められている気がする。

許容と批判をこまめに切り替えながら生きていくことで、今の世の中はもうちょっと円滑に進むと思う。今の世の中は、どちらかオンリーの人が多すぎる。特に批判オンリーの人はややこしくて仕方がない。これが特に“変な正義感”とでも言うべきなのだろうか。



まとめると、とりあえず地震に関する不安定な情報はまず切るべきだ。こういうのに対処できるように勉強してるんだという旨の話は以前に処理水放出について書いた回で既にしているので紹介だけしておく。

松本人志批判においては、とにかく今意見を言ってる人はただ「薪をくべている人」だ。だから私は別に批判もしないし、擁護もしていない。批判をしている人を批判している。


最後に、こないだ誰かが言ってた(誰だっけな?オモコロの人だっけな?)言葉を1つ紹介する。

「Twitterの文、全部間違ってます。」

酷い投稿などを見ていやーな気持ちになったりとか、Twitter上で喧嘩してる人を見ていやーな気持ちなったりとかした時は私はこの言葉を思い出して全てリセットしている。ましてやTwitterとかの情報なんて、これくらいの距離感でいいんですよ。


私もこうして文章を書く身として、批判することもある。そんなとき、しっかりとした覚悟を持てるような人間にはまだなれていない。例え世間に淘汰されようが、無視されようが、自分の意見を述べられる人間になりたいと思う、そんな年末年始だった。





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