【考察】YouTuberの社会学的考察――平成と令和の間で
以前Twitterにて投稿し、運よく多くの方に読んでもらえた内容を加筆修正したものになります。
※一発目の考察からデリケートな話題を含むテーマとなります。ご注意ください。
■はじめに
2019年1月1日、日本時間13時55分。ひとりの人気YouTuberが高波にさらわれこの世を去った、らしい。それから3日間、私たちは何も知らずにいつも通りの生活を送っていた。彼と仲の良かったYouTuberのInstagramも更新されていた。そして1月4日、授業中に何気なく流し見ていたTwitterの投稿に目を疑った。訃報、アバンティーズエイジについて。
ゼミで話題にあがるYouTuberは、“小学生の夢ランキングにYouTuberが入ったらしい”、“先が思いやられる”といったマイナスイメージのものばかりだった。しかし実際に見たことがないのに批判するのはいかがなものか。そう思い立ち、平成最後の冬に初めて見たYouTuberの世界に魅了され、この出来事に向き合うことになった。これは、彼の死をとりまく社会の変化と彼の生き方が残したものについて、勝手ながら考察を書き留めたものである。この時代の狭間に何が起こり、自分は何を考えていたのかを記録するために。
■幻想と事実
訃報は彼の所属するUUUM株式会社の公式Twitterによるものだった。彼の職業柄、ドッキリを疑うコメントも多く見受けられた。発表時点ではマスメディアで取り上げられていなかったことから真実ではないと分析するファンもいた。しかし、その後テレビニュースでも取り上げられたことで真実として受け入れられていった。実際にテレビニュースを見てみると、亡くなったこととその原因、状況のみが淡々と語られ、それに対する他メンバーの反応などは取り上げられなかった。その物足りなさにつけこむように、同じくYouTubeというメディアを通して興味をひきやすい言葉をサムネイル画像やタイトルに用いることで再生回数を伸ばそうとし、実際には既存の情報だけを語る動画が大量に出てきた。加えて、人の死を利用して注目を集めたいだけのTitterアカウントやアンチ系YouTuberがバッシングを受けた。そうした悪質なものだけにとどまらず、“遊泳禁止区域だったのではないか”といった推測が飛び交うなど、私たちは情報の渦にのみ込まれていった。こうした動きは、情報を取捨選択せずともSNSなどで誰もが自由に発言できる現代社会の構造がまねいた悲劇と捉えることができる。反対にマスメディアでは不要な情報や悪質な情報はふるい落とされ、事実としてのニュースが語られる。だからこそマスメディアの情報は正しく信頼できるものとして価値をもってきた。しかし、人々の関心が強い出来事について情報の制限をかけると、むしろそのふるい落とされた部分が人々の想像を掻き立て、嘘か真実か分からないような情報が次々に生み出されてしまうのではないか。
そうしたことは、悪質なものに限らない。受け入れがたい出来事が起こった時、私たちはどんな些細なことにも自分に都合の良い物語を生み出して平静を保つ。その中で生み出された問題を紹介したい。
エイジの死から約4ヵ月、5月9日にアバンティーズは動画更新を1週間休止することを発表した。彼の死後、動画投稿を再開してから毎日投稿を貫いてきた彼らがここに来て休むという出来事に、ファンたちからは心配の声が上がった。目の前で長年隣にいた友達を失った彼らの心の傷を慮るコメントで溢れ、グループの危機なのではないかといううわさがたった。そんな中当人たちは、決して無理をしているつもりもなければ、グループの結束力も問題ないと語った。
この事例から言いたいことは、私たちが生み出す一見綺麗な物語も当事者や事実を傷つけることになるということだ。そしてその危険な幻想を打ち消すことが出来るのは、マスメディアにも取り上げられない、僅かな当事者の言葉である。信憑性に欠けるとされてきた新しいメディア上だけで進み続ける物語。その中で語られる“事実”は、マスメディアのそれよりも絶対的なものである。エイジを慕っていたすしらーめん《りく》による生々しい心情のツイート、1月29日にアップされた動画「アバンティーズエイジについて」でメンバーの口から語られた“あの瞬間”。兄弟がアップする過去の写真やエピソード。「AGE OF EIJI」で語られる彼の生き様。これこそが、本当に必要な情報なのではないか。
と、お行儀のよいことをまとめておきながら、事実だけにまみれた社会では豊かな生を全うできないとも感じている。49日には、彼のテーマカラーである赤い風船をみんなで空に飛ばそうといった試みが拡散された。面白かったのは、大勢の人が行うことを見越して、参加者たちが自発的に環境に配慮した素材を使うように、電線のない場所で行うようにといったマナーも注意喚起していたことだ。生まれた時から情報に囲まれて育ってきた現代の若者たちは、遂に現代の情報社会で起こり得る問題点を先回りして考えられる術を身につけ始めているのかもしれない。こんなにも心があたたかくなるのなら、こうした物語もたまには悪くはないかなと思う。5月12日。そらちぃの23歳の誕生日。彼だけが不自然についていなかったTwitterの公式マークがついたのは、エイジからのプレゼントだと言われている。
■死について考える
さて、エイジの死は今もなお意識され続けている。アバンティーズが3月8日にフッカツする時には、多くのYouTuberがサムネイルにアバンティーズの印であるピンクの三角形を描いた。SHIBUYA109のYouTuberによるイベントでは、クリエイターごとのパネルが設置される中、アバンティーズのブースには、そらちぃ、ツリメ、リクヲの他にビビットピンクの背景が飾られた。平成の終わりから令和の初めにかけて行われた、ファンミーティングやライブでは、エイジの存在を強く意識したサプライズ演出や赤いペンライト、会場全体での合唱などが話題となった。
人は二度亡くなると言われている。一度目はその命が尽きたとき。そして二度目は社会から忘れられたときである。彼の場合はその愛される人柄もあるが、YouTuberという職業こそがこれほどまでに根強い持続性を実現していると考えている。YouTubeは、いつでも好きな時に、好きな作品を閲覧することが出来る。つまり、いつでも見たい彼に私たちは何度も会える。過去に残された膨大な動画の中で彼は生き続けるのだ。だからこそ彼の死に現実味がもてないという反応がある反面、これほどまでに強く死が意識され悼まれることも稀ではないかと思う。本来ならば、ファンと言えど直接的には関係をもたないエイジの死は、すぐに薄れてしまう可能性もある。しかし、ファンによるエイジへの想いが止まることは今のところなさそうだ。何かの節目に、ふとした瞬間に、彼のことを思い出さずにはいられないのだ。
■人間関係を見つめなおす
ここで、彼の人柄について述べていきたい。私が印象に残っているのは、アバンティーズのメンバーをはじめとした友人に対し、両親のような愛情を持って接していた点である。ある時は友人を叱り、ある時は友人を心配して泣いてしまう一面もあったという。現代社会では、互いを傷つけないように過剰に配慮しあった友人関係が当たり前になっている。仲の良い友人であっても程よい距離感を保ちながら、核心には触れないような関係性でいなくてはならない空気感がある。そんな社会の風潮に逆向するようなエイジの接し方こそ、彼の周囲の人々が言う“愛”なのではないか。
■夢について考える
アバンティーズは、2011年から動画投稿を開始したが、登録者100万人を達成したのは2018年である。“YouTuberは遊んでいるだけではないか”というようなイメージをもたれてしまう風潮はまだなくなったとは言えないが、YouTuberという文化も変化を様々な変化を遂げてきたと考えている。アバンティーズを始めとした新時代の人気YouTuberの共通点は、“夢に向かってコツコツ努力するスタイル”ではないかと考えている。かつてのように、夢を与える側ではなく、ファンと共に夢を追いかけるかのような姿勢が支持されているように思う。アバンティーズに憧れてYouTuberを志し、現在は登録者400万人を持つ人気クリエイター、すしらーめん《りく》は、“月で体力測定をする”という夢を掲げている。彼の著書『いたずらの魔法』の中では、「『誰かのためじゃなく、自分の楽しさだけを追い求めるのも悪いことじゃないのかも』って思う人が少しでも増えたら、この世の中はもっと生きやすくなるんじゃないだろうか。」と述べられている。何事も合理性や何かの役に立つことだけが正義とされてきた社会は平成と一緒に終わりを告げ、すぐに何かが実らなくてもひたむきに走り続ける、そんな生き方が価値を持つ時代に向かっているのかもしれない。将来の夢は?と聞かれたとき、何と答えるだろうか。お花屋さん、サッカー選手、総理大臣。小さな子供でさえ、それはみな職業であることが多い。もちろんそれがその人の目指す最高の未来であれば、それはとても素晴らしいことである。しかし、具体的な夢がないと悩む人も少なくないだろう。ただ、一度きりの人生、夢くらいもっと柔軟でもいいのではないか。立派だと言われるものでなくてもいい。ほんの小さなやりたいことだっていい。「夢」が浮かんできたとき、代り映えのない退屈な日常が違って見えてはこないだろうか。
■令和最初の危機とエンターテイメント
さて、これを執筆している時の社会はコロナウイルスの感染拡大防止のために長いステイホームを強いられている。店や観光地は臨時休業で外出ができない。世の中はこのまま暗い空気に飲み込まれていってしまうのではないかと、そう思っていた。しかし、デバイスの中に溢れるエンターテイメントがパワーを発揮し始めた。例えばアバンティーズは、2020年3月29日から、メンバーで集まって動画を撮るのではなく、それぞれの自宅から撮影に参加するテレワークYouTuberとしての活動を開始した。こうした状況下だから仕方なく、ということではない。彼らはこれをチャンスに変え、テレワーク“だからこそ”できる企画を撮っていくと語った。また、アーティストたちの活動も大きな影響を及ぼしたと考える。星野源による「うちで踊ろう」を始めとし、アーティストがSNSなどを媒介にして自宅から音楽を発信し、人々をつなげていく動きが多くみられるようになった。あれだけソーシャルメディアから距離をとっていたジャニーズでさえも、積極的にその輪に介入してきたのである。毎日毎日、感染者が増えていることと外出自粛を叫び続けるマスメディア。対してこの状況を利用してプラスに変えてしまおうとするソーシャルメディア。筆者が想像していたよりも、ポジティブな社会の一面が垣間見える時間だった。
(続く)
考えがまとまり次第続きも掲載していきたいと思っています。また、3年ほど前にまとめた話ですので、社会の状況と異なる部分があるかと思いますがご了承ください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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