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老いた祖母と思春期だった頃のわたし

横断歩道の信号が点滅してもゆっくりと歩く祖母を、数メートル離れた場所から苛々しながら見ていただけの学生時代のわたし。

膝や腰が痛く一歩一歩ゆっくりでしか歩けない状態を、車の迷惑になるだろうと歯痒く思っていたのだ。

その数年後に祖母が病気で亡くなってから、この出来事を繰り返し思い出しては後悔している。

もしも、タイムマシンがあったなら、亡き祖母が老い始めた頃に戻りたいと思う。

横断歩道を渡る祖母と歩調を合わせたり、足が悪い状態なのは運転手側から見ても一目瞭然だから迷惑をかけると心配をする必要など無かったのに。

小学生まではお婆ちゃんっこだったのに、
祖母にたくさん可愛がってもらったのに、
祖母が老いてからは冷たく接していたから。


「お爺ちゃんお婆ちゃんが死んだ時に後悔しないように、元気に生きてくれている間に優しくしたほうが良いよ」
誰かにそう言われても当時のわたしには響かなかった。そんな自分も嫌だった。


これを書いている今なら思う。
冷たい自分を責めていた頃の自分に
「後悔するくらい優しくなれたんだよ!もう自分を許してあげよう?」
って言ってあげたい。

タイムマシンがあって、老いた祖母に優しく接し後悔なく過ごせていたら、この痛みからの成長も無かったことになる。今の自分を否定することになる。
祖母は亡くなってからも、孫のわたしに成長の機会をくれたんだ。

あの頃に戻れなくても良い。
婆ちゃん、ありがとう
婆ちゃん、ごめんね
どちらも抱えて生きていこう。

𓇢***𓇢***𓇢***𓇢***𓇢***𓇢***𓇢***𓇢

「もしもタイムマシンがあったなら」
というお題に合わせて書いたものです。


いやあ、それでもやっぱり戻りたいかも←
そんなに簡単に割り切れないねぇ。

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