(続)自己紹介をしてみる〜わたし編その①誕生から高校卒業まで〜

さて、前回の自己紹介を読み返した。
なんと大雑把で適当な自己紹介なんだろう。

と、いうことで。わたし編。そのいち。


目次とかの使い方がわからないから区切り線で失礼します。(勉強しろ)


予定日を1週間くらい過ぎて、産まれた。

3780gで52cmのビッグベビー。
分娩時間は62時間14分。胎児仮死。

吸引分娩で看護士さん3人が母のお腹の上に乗って、やっと産まれたらしい。

なかなか産まれてこないのに何も対応してくれなかった産院に痺れを切らした父が、大きい病院に運んでくれたと聞いた。

もしも運んでもらってなかったら。
わたしは生きてなかったかもしれない。

わたしも昨年出産したから、わかる。
陣痛の痛みやなかなか進まないお産にいつまで続くんだろうと不安になったと思う。
ものすごく身体も心も痛かったと思う。

お父さん、お母さん。ありがとう。
わたし今を生きています。



幼稚園のころから年子の弟と一緒にスイミングとお習字をやらせてもらった。
おかげさまで唯一できるスポーツといえば水泳だった。
スイミングは中学の途中まで通わせてもらっていたが、選手コースのコーチと合わなくて辞めた。
それからは部活と母がよく自主練に連れて行ってくれた市民プールでなんとか練習してそれなりに頑張っていた。

田舎なもので水泳人口も都会に比べたらそんなに多くなくて、種目を選べば泳ぐだけで入賞して大きい大会に出る権利をもらって、大きい大会で大恥をかく。そんな世界だった。

そんな世界だからスポーツ推薦で高校に入った。
勉強嫌いだったからわたしにはちょうどよかった。
と思えたのは入学するまでの話。

特に理系の科目が大嫌いで、教科書を見るだけでも、先生を見るだけでも嫌な気持ちになって、授業が始まると黒板の文字も先生の言葉もただ頭の中をぐるっと流れるだけでまったく理解もできず残らなかった。

でも謎のポリシーがあって、テストは必ず空欄は作らないと決めていた。
考えてもわからないのにとにかく何かは書いて提出していた。アホである。
もちろん偶然に当たるなんてことはなくて、ひどい時の数学の点数は3点だった。

驚くのはそんなバカなのに理系のしかも進学クラスにいたこと。

高校1年生の頃の担任からの将来への助言をほいほい聞いていう通りにした結果がこれだ。アホである。

勉強はとことんできないが、授業態度だけは立派だった。板書をめちゃくちゃ頑張っていた。板書だけ。頭は特に使っていない。
そう、内申点だけで生きていた。

卒業させてくれた先生には感謝している。


ここまで読んでくれた皆さんありがとう。
わたしは【スポーツ推薦】を舐め腐っていた。

普通学科で勉強に全くついていけないことに加えて水泳もそこまで頑張れなかった。もはや黒歴史である。



それから、せっかくお習字を習わせてもらっていたのに、小学校の高学年ごろから中学生にかけて、わたしたちの間で突如はやり出した【クセ文字】みたいな字を書くようになってしまってからは筆を持たないと綺麗な字は書けなくなった。

あの頃はマセガキで田舎者のくせにいわゆるギャル雑誌みたいなやつをお小遣いで買って読んでいた。たぶん、その影響はかなり大きいなと思っている。

でもなんだかんだお習字も中学生までの部門で8段くらいまで頑張ってたような気がする。

近所のお姉さんたちと週に1回会ってお話しすることも、保育士をやりながらお習字の先生もしていたフレンドリーな先生のおかげでお習字に通うことは超楽しみだった記憶がある。



そんなこんなで高校卒業後は通信の専門学校で介護の勉強をしながら、フィットネスクラブでスイミングのコーチをしたりするアルバイトを始めた。

なんだかとっても長くなりそう。
続きはまた。

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