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『日日是好日』感想

『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』を読みました。
僕は抹茶や饅頭は大好きですが、その作法は一切知りませんでした。

簡単にまとめてしまえば、「お茶は「今この時」を体で実感するためのもの」ということが本書で書かれていると感じました。しかし実際に感じた著者の言葉と、それを介して想像する読者にはものすごく深く大きな溝があると思います。著者の感情を直接実感できないのは残念に思います。

以下ネタバレがあります。

作中で「すぐにはわからないもの」の中に「お茶」は分類される、と書かれています。
僕は本を読むのが好きなので本に置き換えて考えてみると、すぐにわかる本は読むその時は楽しいですが、読んでしまえば余程好きでないかぎり読み返すことは少ないと思います。
一方ですぐにはわからない本、例えば古典文学や哲学書などは読んでいる最中はつまらないです。しかし何かの拍子で読み返したり、印象的な一文がふとした時に思い出されることがあると、途端にその本が自分の物になり、度々読み返す機会があると思います。
ですが自分の物になる前に読むのをやめてしまうことも多くあります。

そんな「すぐにはわからないもの」を著者は長く続けています。そこには途中でやめなかった理由や、やっていく内に気付いたこと、そこまで至る過程などがこの本に描かれていると思われます。
著者の経験や感情を追体験できるのだろうな、とワクワクして読んでいました。

何かを習う時は「自分が何もわからない」ことを受け入れる必要がある、と筆者が気付くシーンがありました。僕はそこが刺さりました。
来月から新入社員として働くことになりますが、わからないことをわからないと言えるかどうかが心配です。そんな時にこの場面を読みました。
自分は何も知らない、という状況を受け入れる必要があると頭ではわかっていても心では反抗してしまう気がします。

「今この時を感じる」には色んなことがきっかけになります。天候だけでなく、道具、お茶菓子、その時の気分、など。
その中でも、巡る季節や年を感じさせるものがお茶菓子と道具です。お茶菓子には四季に合わせた色んな種類があることは知っていました。しかしそれが「今を感じる」ことにつながってくることは本書を通して初めて知ることが出来ました。

僕の気に入った文章が二つあるので引用します。

「やめる」「やめない」なんて、どうでもいいのだ。それは、「イエス」か「ノー」か、とはちがう。ただ、「やめるまで、やめないでいる」それでいいのだ。
(そうだ、気がきかなくてもいい。頼りにならない先輩でいい。自分を人と比べない。私は、私のお茶をすればいいのだ)

森下典子『日日是好日』、新潮社、2008年、85頁。

著者がお茶をやめようと考えていたが、その考えをやめた時の文章です。
これは人生にも通じそうだなと感じました。「やめるまで、やめないでいる」とは良い言葉ですね。終わる時が来るまで全うしようではないか、という声が聞こえてきます。
この言葉を座右の銘に設定します。

言えばきっと、言葉の空振りになるのがわかる。思いや感情に、言葉が追いつかないのだ。
だから無言のまま、わが身と同じ大きさのたぎる思いを、ぐっと飲み込んで、座っているしかなかった。そして、出口のない内なる思いに、少し目頭が熱くなった。
「……」
(中略)
走って誰かに伝えに行きたいような胸の熱さと、言葉が追いつかない虚しさと、言いたいけど言えないやるせなさが、せめぎあう沈黙。
沈黙とは、こんなに熱かったのか……。

同書、224頁。

感情を言葉にする小説を趣味で書いている身としてはなんとも言えない文章ですが、この文章も好きです。「言葉にできない感情」という話は古今東西でされているとは思いますが、お茶を通してそれに気づいた著者の言葉からは深みを感じます。言葉ではわかっていても心はわかっていない、という事を今後僕はいくつも経験していくのですかね。

この本を読んで、刹那的な瞬間に想いを馳せたいと思いました。そしてショーペンハウアーの『幸福について』を思い出しました。次はそちらを読んでみます。

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