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粗大ゴミの作り方・導入編【主観】

2001年5月(0歳)  我、爆誕。

いまだに何の仕事をしているかわからない父とくせっ毛の母の間に生まれる。
父は仕事のみならず、名前と誕生日、エリッククラプトンの来日公演に行ったこと以外情報がない。し、興味があまりない。
エリッククラプトンが好きと聞いた時、こんな父親の血を自分の中に少しだけ見出してしまった気がして、嬉しく思うと同時に嫌だった。
母は小説とドラマが好きらしく、毎日どちらかを行なっている。湊かなえ作品や東野圭吾作品で溢れかえっている。また私にはまったくもって引き継がれていないが、明るい。

思った以上に家族に対して深く知らないし、言語化できないことに気づいた。言語化できるほど聞いていないし。これが普通なのか?

2002年9月(1歳)  妹、生まれる。

私に妹ができた。妹についても名前と誕生日くらいしか知らない。昔はよく喧嘩をし、私に憎しみを教えてくれた。
ふと、妹が怨恨により殺されたら何を思うだろうと考えることがあった。おそらく犯人に怒りを持つという結論に至った。なぜなら俺が1番奴を憎んでいるからだ。数年の関係で恨んで殺すな。こちとら20年以上も憎んでいるからな。
そんな関係だったが、現在は無関心同士である。先日、家族で集まる機会があったが、妹の呼び方が分からず「きみ」と呼んでしまった。そのくらいには無関心である。

家族に対しての愛は生まれた時からお互いに無限ではないなど考えたことについてはまた後日。

2004年(3歳)  幼稚園入園。

幼稚園受験をしたらしいが、まったくもって覚えていない。
幼稚園について覚えていることは、つみきを投げ合って頭に当たり血を流したこと、跳び箱の着地に失敗し顔面を削った女の子を真横から見ていたこと、ももという女の子に物理的に一生追いかけられ逃げていたことである。この時しっかりとももさんに向き合っていれば現在のねじれも少しは緩くなっていたのではないかと考えることがある。まあ中高の6年間でねじりまくるから関係ないか。

2007年(6歳)  小学校入学。

これまた記憶があまりない。無難に楽しく生活していたのだろう。3年生の時の体育の授業のリレーで私は全体のことを考えて少し速さを緩めたら、本気でやらなければ相手に失礼だと先生にガチギレされ、気になっていた子の前で号泣したのは覚えている。その子も現在ではSNSにパターン化されたエモをあげていたり、また別の女の子の友達は母になっていたりと年月を感じさせられた。
あと、苗字が変わった友達を前の苗字で呼んでしまった時は子供ながら気まずかったな。
習い事は空手、サッカー、公文、水泳、ピアノなどをしていた。
こう考えると両親の育てる際の意思が見えてきて大切に育てられてきたんだなと思う一方で現状の期待の応えられなさに辟易するが、それでもなお両親からの愛に勝手に想像以上に寄りかかり、こんな息子でも結局生活させてくれる、捨てられないだろうと思っている自分に嫌悪感を抱く。きっも。またそんな自分の面も人間らしいなあと少し荷物を下ろし現状を受け入れようとしている自分がさらにきもい。で結局寄りかかるのに、こちらからは何もない。逆にすごいな。普通なのか特殊なのかわからないです。

導入編なのに、色々省いて書いたのに、長えし、酔いと勢いで書き殴ったので文が洗練されてないし、結果駄文だし。
次回、粗大ゴミの作り方・男子校6年間の過ち編。

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