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みんなの嘔が吐きだされたとき

ねえ、苦しまぎれに平静装って街を歩いたはいいものの、心と身体が分離してマリオネットみたいだよ。ごきげんよう、さようなら。すれ違うすべての人と挨拶を交わしたいな。そしたら心は身体の凹みにもどって馴染んでくれるでしょう。一歩一歩がつぶさに銅鑼を叩くみたく感じられてしまう騒がしさを、彼等になすりつけてあげたいな。
低気圧で寿命が縮むようになったのは、いつから? だれかが法螺を吹いたらしい、右勾町イオンモールのカワムラ楽器で真実色のシェラック盤が回ってる、78rpm… GO !  そうして妄想のレコードが針をおろしたとき、世界のネジははずれてしまった。ちょうどそのとき、宇宙飛行士たちはISSの前に整列して、天使の生首をたらい回しにしていた。魂の喇叭が火を噴いたとき生首をもっている者に、地球人類の累積された罪業の総てが被せられるという予言を信じていたから。
いまこれを打ちこんでいる時間は、宇宙に含まれているのかな。間違いなくそうだけど、なにか広大な虚無に言葉を投げ込む喪失感が拭えないから、つい不安になって。
ずっと愛していた人から別れを告げられました。予兆なんてどこにもなかったのに。あなたはいつも大切なことをだれかのせいにして、わかっているのに抜けられない...…そう言ってカギを握らされました。キュルキュルとなにかが擦れる音が耳介にこびりついています。あの人は広大無辺な荒野を旅しにいってしまったのです。だってそうでもしないと、別れのワケになりません。大切なことなんてなにもないのだから、別れのワケになりません。
友人Sにも、Lein博士がこの世に捧げた愛の詩集を読み漁っていた時期があった。ある日弾かれたようにはじまった。脳髄に電気が迸ったらしい。唐突にはじまった真実の生涯に、ついぞ終は来なかった。Sはずっと呟きつづけている、好き好き大好き好き好き大好き好き好き大好き好き好き大好き好き好き大好き好き好き大好き...…無限の呪詛。
「巨星墜つ」とは、読売新聞の一面見出し。でもほんとうはだれも死んではいないらしい。〈3日未明、米カリフォルニア州立病院でA.N.W氏が逝去された(享年99歳)。A.N.W氏は35年にわたり映像プラットフォームGAMMA(旧YOUTUBE)で人権講義のライブ配信をおこない、最盛期には同接220万人を記録した〉 ところがA.N.W氏のほんとうの姿をみた人はだれもいない。講義はアバターがおこなっていたからだ。99歳というのも、チャンネル開設の期間ということだ。
主体と客体、自然と慣習、論理と感情、そういったカテゴリーは擬似カテゴリーかもしれないな。例えばアランによれば、ほとんどの精神的な苦しみは肉体の不調を原因とするんだ。この場合、精神と肉体っていうのは言葉による抽象化に依拠するだけで、つまりデカルトが用意した現在的な自然が強制する言葉の使用法に従っているだけで、実際はごく連続的な器官かもしれない。300年後、こんな区別は無意味になっているかもしれない。観察可能な事実のうち、理論に耐える原則なんてほぼない。存在という概念すら、仮定され固着したにすぎない(ボクらは別のやり方でやっていけるはずだ)。思いつく限りの厳然たる事実は、意識は抽象化なしに生きていけないということさ。はるか昔にA.N.Whiteheadが主張した「有機体の哲学」も、抽象作用の帰せられるべき自然的経験の体系として展開されたんだ。
あまりにも不安で眠れない夜がつづいて、我慢できなくなって、だれかの心音がほしくなったから、こわいけど夜の街にでてみたの。どっかさがしてるの? ごめんねだれでもいいわけじゃないの。とってもかわいいね そんな無責任な言葉はやめて。二十億光年の海を漂流しているだれかに会いたかった。めぐりあって挨拶ができたら、裸で心音をさぐりあいたかったの。すると手さぐりで吸いこまれた雑居ビルのバーカウンターに、ほら、ネリリしキルルしハララしている都市の孤独がいてくれるんだから。
初春の午後に日向ぼっこをして、吐いた煙にはなにもないことを確かめさせられる。ESの〆切がせまっているのに、何様でしょう、やる気がでないとパソコンを開きもしないで。ああ、未来が茫漠としていて怯えているのに、決断を躊躇しているから、宙吊り。風葬でもされている気分です。神様が運命をきめたらつまらないって吠える人の目は毒毒しく輝いて、ほんとうにあなたはニンゲンなんですかねえ、ニンゲンがほんとうに意志を発揮するのって、実は神託にすりかえてしまう類の、儚く折れてしまいそうな弱弱しい灯火みたいなものじゃないかって思う。力いっぱいの意志なんて、予定調和、あるいは不調和をものともしない本質的無関心にしか宿らないから、要するに摂理みたいだな。神様がなにもかも決めてくれていて、それを期待しないと右へ曲がれない一歩目こそ意志なんだと、つまりはニンゲン以前で、空っぽの煙を吐いて、膝が震えだして、思念が渦をまいて、ボクはバラバラになったんだ。
カルボナーラを美味しくつくるコツは、きちんと準備すること。ボールに卵とチーズを用意して、パンツェッタ(ベーコン等)をカリカリに焼いて入れておく。種ができているなら、茹であがったタリアテッレ(なんでもいい)を投入してすばやくかき混ぜる。ダマにならずに済む。


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