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文字通り「ノータリン」になった話part4

そう、本当の地獄はここからだったのです。
何より辛かったのは朝食・夕食後の抗がん剤の服用。
この副作用がえげつなかった。
重度の吐き気と便秘に加え、髪の毛が抜けまくった。
病室のシャワールームで、シャワーカーテンのすぐ向こうにトイレがあるのに我慢できず、排水溝に吐き散らかして詰まらせたし、整腸剤を飲んでも音沙汰のない大便。
シャワー中にぶっ倒れたこともあったっけ(これは秘密)。
 
髪は右後頭部だけを残して見事にツルツル。
また、美味しいと思っていた病院食もついに飽き、院内の売店でご飯を買って食べていた。
 
頭には10針以上縫っており、イメージとしてはデカいホッチキスの針が何本も刺さっている感じ。
それを看護師さんが抜く時も本当に怖かったし、実際かなり痛かった
 
入院前に頭の型を取って完成されたメッシュ地の不思議なものに頭を入れて固定し、CTだかMRIだか忘れたけど30分ほど脳の撮影をするってのにも定期的に行っていた。

そのまま年末になり、年明けまで一時的に退院することとなった。
変わらず抗がん剤を飲んで気持ち悪くなっていた。
我が家のキッチンで盛大に吐き散らかしたこともあったし、
妻にはずーーーーーっと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

年が明け、再び入院。
相変わらず抗がん剤治療と定期的な脳の撮影を繰り返す日々。
待合室での妻との電話と、夜景を撮影して妻に送信することが本当に楽しかった。

この頃から院内のリハビリセンターにも通うようになり、
簡単なものから難解なものまで様々なテストをしたり、先生と日常会話をしたり。
それからWordやExcelの基本操作も始めた。
空いてる時間はリハビリで廊下を行ったり来たりしてたけど、体力の低下も酷く、歩くだけでもかなりヘトヘト。
一度担当医に「障がい者手帳は発行出来るのか」聞いたところ、
「これでは無理だろうね。」と言われた。

色々とありながらも退院の日。
担当医や看護師さんにお礼を言って帰宅。

と言っても、月に1度の定期検診のために通院はしていたし、抗がん剤治療も続いた。


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