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本当に私たちは薄幸美少女に自分を重ねていたのか?

はじめに

数日前にこの投稿を見て「テクニカルなちくちく言葉にも程があるだろ……」と深いダメージを負った。もはや呪いにも近い言葉。私はもう薄幸美少女を素直な目で見れない。(言うほどこれまでも素直な目で見てたか?)
なんとか呪いを解呪するカウンターをひりだそうと30分くらい格闘したが無理だったのでその場では無視することにした。
今は再び解呪の試みをしている。

解呪ː本当に薄幸美少女は私たちの分身であるのか?

まず「薄幸美少女を救う」展開の全てがこのようなセルフ救済をもたらすとは言い切れない。
何故なら、薄幸美少女が男性にとって同一化の容易い対象であるとは限らないからだ。
ここで思いつく限りの美少女が持ちうる不幸を羅列してみよう。

  • 病弱

  • 経済苦

  • 毒親

  • いじめ

  • 差別

  • 理不尽な仕打ち

  • 何か強大な運命に囚われている

  • 単純にとてつもなく運が悪い

等々。エロゲなんか大抵はこの辺の要素のミックスで成り立っているかな?

まあ経済苦とか毒親とかいじめはだいぶ同一化のフックとして機能しそうな感がある。
『ぼっち・ざ・ろっく!』のぼっちちゃんに共感してるオタクに対して「お前はぼっちちゃんじゃない」と返すのが若干流行ってたし、便所飯描写とかで気安くシンパシーを得る可能性はあるわな。

とはいえ『車輪の国』の夏咲とか、『ナルキッソス』のセツミとか、名作ノベルベームにおける不幸ヒロインは流石にプレイヤー男性が自分を重ねる余地なんかないレベルに仕上がってるものが多く見受けられる。
基本的にヒロインの不幸の解消が困難であればあるほどカタルシスがあるが、同時にプレイヤーの慰撫の観点では不利になっていく逆相関のような関係があるような気がする。

しかも、一つ一つの不幸ディテールに男性が共感を覚えるにしても、作品に触れている始終「これ、アタシだ……」状態が維持されているとは考えにくい。
特に、エロゲでこんなことやってるヤツは実質的に乙女ゲーをやっているような状態にもなる。
本当にそういう読み方をしているとして、主人公≒理解のある彼くんによって救済されるシナリオで、本当に自分まで救われた気になるか?
つまり最終的な自己投影の対象はあくまで主人公一本になるはずだ。

ぼざろだって、ぼっちちゃんが普通にギタリストとして覚醒しだしてからは「俺ってぼっちちゃんだわ~w」とか誰も言ってないだろ。私の観測範囲にもぼっちちゃんの社会不適合者しぐさにニチャついてたヤツがいたけど、そのうちぼざろの話すらしなくなってたぞ。
相手に自分と同質の不幸を求めるような人間は、相手が報われることを願わない。Vtuberに彼氏がいないで欲しいと思うのと同じだ。

単純に男女のパワーの勾配があるのだから、受け手の男性がいくら似たような境遇にあるとしても、それを同質の体験と捉えるのが構造的に難しいというのもある。
「他者の問題解決のために一歩踏み込む」という主人公側の行動はむしろ、家庭の殻を抜け出し子供から大人に脱皮する過程の追体験で、どこまでも男性目線としての自己完結だと捉える方が妥当のように感じる。


解呪:疑似恋愛構造、俺嫁カルチャーとの相違

だいたい、自身の弱者性を細かく切り離して女性側に付与するようなめんどくさい真似をするまでもなく、主人公視点でのヒロインとの恋愛が待ってるんだからそれを享受すればよくない?

エロゲは”ヒロインに”承認されることが目的の一つであって(シナリオ目的も無論あるが話が拗れるので一旦隅に置く)、
「薄幸美少女を救う=その中に一部として存在する自分自身が間接的に救われる」シークエンスを主目的とするのはあまりにも迂遠すぎる。
それならば最初から全肯定ヒロインにデロデロにされていた方が余程テストステロンの分泌量が高い。
ヒロイン側の求める「救われ方」が無加工で男性側に適用されるとも考えにくいことから、救済を与える立場に回ることの気持ちよさや、それによって自己を肯定する作用に比重があると言えるし、さらに言えばその先のエロシーンやイチャイチャ等関係性の変化に大きな価値があるのだから、不幸の解消による救済というのは通過点に過ぎない。

疑似恋愛を考えるなら、主人公とヒロインどちらにも自己投影するような状態も都合悪すぎる。
自分と自分がセックスしてることにならん?

しかも、「昔のエロゲ」として想定される年代はめちゃくちゃ俺嫁の文脈が根強い。ラブドール的な愛玩の仕方ではあるが一応の他者性を求める向きであり、主人公とヒロインのどちらもが自分の分身であるという鑑賞の仕方をしていてこのような感覚が芽生えるとは思えない。
まあ、薄幸キャラを嫁にしているオタクは比較的少なかった印象があるので矛盾しない可能性も無くはない。
やっぱりツンデレ萌えって自我のある他者を求める感情の発露なんだよな。


では、なぜ私がダメージを負ったのか

とまあ、色々と反論が湧いてきたけど、
最初に私が引用元ツイでダメージを受けたからには多少の心当たりもある。
ただ、これは個別の作品に対してそういう鑑賞をしたというよりも、
妄想の中でそういうお話の組み方をしていた記憶があるのだ。
恥ずかしいから詳しく説明しないけど、過去のトラウマを改変してポルノ化するにあたって自分で自分を救済させるみたいな方向に持っていくみたいな。
要は自己内の妄想で適用されるようなロジックを、
他人の妄想である上に商品としての加工までされているエロゲ等にまで拡大されることに私は若干の抵抗感を抱いたのだ。
エロゲでそういう向き合い方したことは無いよ。無いよな?
実家が機能不全家族過ぎてアトリエかぐやの近親ゲーやってる時に何故か泣きそうになったことはある。

おわり

メタ認知は一切自分を幸せにしないので冷笑と一緒に封印するべき。



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