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『トラペジウム』意図せず生まれた精神的恐怖

はじめに

『トラペジウム』、先月の末に観に行った時の感想が↓で、

ある程度は肯定寄りではあるものの特段言うことも無く黙っていたんですが、観測範囲でちょくちょく話題に出ていたのでやっぱり思った事書こうかなと思いました。
まあ皆さんご指摘の通りラストは手放しに褒められる出来では無かったし、PVからは想像もつかないようなジメっとした恐怖を抱かせるホラー映像が続いたりと怪作と言って過言ではない映画でしたね。
かつての推し(初××××な)を思い出したというのは本当に個人的な話なのでここでは説明しません。
あとvalorantの話ばかりしていたらせっかく増えたフォロワーに切られて泣いています。



あらすじについて

オーディションに全敗した過去を持つもアイドルデビューの夢を諦めきれない偏執的なアイドル狂の東ゆう。彼女は偶然を装い近づいた3人の美少女を巻き込んだセルフプロデュース計画によって「東西南北」を結成。野望を叶えようとする。

ちなみに私は、計画を記したノートの存在が途中で明らかになって揉める系の話だと予想したのだがこれはハズレだった。


本作のホラー要素

この作品はアイドルアニメの皮を被った日常浸食系ホラー映画なので、元からそのつもりで鑑賞に臨んでいるか、もしくは完全初見の上でこの展開に好意的に反応できる人以外が純粋に楽しむのは難しいと思う。
まずデカいビックリ要素としてこの2つがあり、

・何の前触れもなくメンバーの1人が彼氏バレして険悪な空気になる
・過密なスケジュールと自身を消費される感覚に限界が来たメンバーの1人が発狂しそうになる

シンデレラストーリーを予想していた観客はふるいにかけられる。特に2番目の発狂シーンはそれまで散々伏線を貼っていた上に演技も迫真でだいぶキツい。
後述するが、ラストシーンでの穏当な着地が不自然になるほどこれらの不穏描写がやりすぎていた。私は最後まで見ても本作がホラー映画だと思っている。
東ゆうの、アイドルとしての成功こそが絶対の価値と盲信し、他人も同じ考えだと思い込む異常性もブラックスワンみたいで、ストレスの高い映像を作り上げるのに一役買っている。全員の了承を得ずにメンバーで作詞することを決定してしまう独断専行な態度が決定的である。

言ってしまうと、東ゆうの野望は失敗に終わり、不登校になるほど消沈する。
それでもかつての仲間たちの言葉を受けて再起し、芸能界に復帰するというのがオチなのだが、これまでの脅かしが堂に入りすぎていて、私は純粋にハッピーエンドとして入ってこなかった。


ラストシーンの浮遊感

構成としては、
1.解散して数か月後にラジオで東西南北の歌が流れる。(恐らくメンバーがリクエストのメールを送ったはずだが詳細はちょっと忘れた。)
2.ラジオをきっかけに東西南北の曲が収録されたCDを買う東。その足でかつて自主練に利用していた丘の上のベンチに行くと、そこには東西南北のメンバーが全員揃っていた。
3.メンバーそれぞれから言葉を受け取る東。彼女たちは東を憎悪しているどころか、感謝の言葉すら述べる。無理やりアイドルの世界に引き込んで地獄を見せる結果を招いたはずの東を、全員がまだ友達だと思っていた。背中を押された東はもう一度芸能界に挑戦する
4.数年後、成長した姿で4人は再会し記念写真を撮って終わり。

まず、1.でラジオが流れるシーン、いきなり曲がぶつ切りで止まってジャンプスケアみたいになったのがすげえ怖かった。これのせいでこの後の和解シーンすら裏があるんじゃないかって感じる。
で、はた迷惑にも自分の野望に巻き込んで他人を都合よく利用した東を、これまた都合よく全員が許してくれる気味の悪い映像。みな一様に東ゆうを許容し、肯定してくれる。ここまでの流れに奇跡的に現実感が無くて、白昼夢のような不安感を覚える。エヴァTVシリーズ最終回のアレみたいな。これは東ゆうの脳内の出来事ではないのだろうかと錯覚する。
私はこの破綻したクライマックスがむしろホラー映画としての完成度を高めてしまったという、奇妙な成り行きが逆に面白いと思った。恐らく誰も意図してやってないし、原作の小説を読んでも同じ感想は抱かないのだと思うけれど。
なのでこの映画が3.で終わっていれば私的には大絶賛だった。結局東ゆうは芸能界に返り咲くし、大人になっても東西南北の交友は続いているので、和解のシーンを事実として受け入れるしか無くなる。流石にここすらも東ゆうの妄想オチだと読むには「敢えて誤読する力」が必要だろう。
いやでも高校時代のコスプレ集合写真の通りの未来を描いているから、あながち東ゆうの妄想という読みも正当性はあるかも……?


結局何がしたかったのか

製作の意図としてやりたかったのは、
アイドルという承認欲求の極致の世界で脱落してしまった人間が、それでもいち個人としての存在は許容される、認めてくれる友人がいる。その赦しによって人は救済されるというメッセージ的なことだったんじゃないかなと思う。
アイドル という部分をVtuberとか声優とか色々置き換えて考えることもできる。だから、大承認欲求時代ともいうべき今の社会に対するカウンターとか、理想が高すぎて周りから理解を得られない人間の苦悩とか、部分部分では惜しいなと思うテーマとか要素があって、それで私はかつて追っていたVtuberのことを考えていたわけなんだけど。

原作者が元アイドルだったということで、私小説的な観点もやや含まれている感じがした。
例えば彼氏バレしたメンバーはラストの再会シーンで唯一結婚、妊娠をしている。これはともすれば非常に意地悪な皮肉と読むこともできないだろうか。実際に彼氏バレしたアイドルが作者の身近にいて、まるでそういう人間が「誰よりも先に結婚して子供を産む生粋の恋愛脳だ」とでも言うかのような。捻くれ過ぎかな。


ロケ地について

地元が千葉なので何となくこの辺だなーみたいな場所がそこそこあったんだけど、一番ピンと来たのが亀井美嘉と出会った書店。あれ、千葉そごうの中にある本屋じゃないかな。エレベーターの形がそごうっぽかった。


おわり

私はこういうイロモノ映画結構好きなんだけど、やはり誰もホラー映画とは思っていなかったらしく、順当にアイドルものとしてダメ出しを食らっている意見が多数……。実際私もtwitter現Xでの酷評で事前情報は得た上で観に行っていたのでバイアスがかかっていた点は否定できないです。

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