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「アバター・ウェイ・オブ・ウォーター」の遠い浅瀬

 Oel ngati kamänge, Avatar: The Way of Water.


僕はひさしぶりに、こんなに退屈な映画を観た。

 映画は3時間弱。Disney+での鑑賞だったが、全くの苦痛だった。別の作業を合間に挟みながら、どうにか断続的に観終えた。しかしながら、素晴らしい命のきらめきもあった。なぜ僕はこの映画を観たのか、途中退席をせずに観通したのか。話したいことは多い。

「アバター」(2009)も、公開時には劇場で観て、それなりに感動を受けとった。近未来、魅惑的な舞台設定、ナヴィ語という知的興味のそそられるガジェット、人類側によるパンドラの調査、人造有機体アバターの誕生、あくまで和平的な、異星文化への真摯なアプローチ。ナヴィの土着宗教と思想・感覚、星ー森ー人の有機的統一意識に関する説話・研究・フィールドワーク、そして翼竜や森林に棲む獣、花、独特な植生、うつくしい生命たち。異星間の出会いと、友情、愛。ここに新しい哲学的SF映画の金字塔が、最新技術のCGIによって描き出されるのだと、少年の僕は感じた。

 しかし、映画を観ていると、どうにも様子がおかしい。灰色の雲が立ち込めてきた。
 「大佐」。これをキーワードに、すべての歯車が、有機的な哲学生命の繋がりが、ひとつ狂い、またひとつずれ、またひとつ断ち切られていく。破壊は一瞬だった。
 ロボット強化外骨格、オスプレイ型戦闘機、軍隊、殺戮、侵略、無慈悲。
 たしかに、土着の先住民vs近代の侵略的勢力の戦争というのは、歴史において重大なできごとだったし、幾度も繰り返されてきた事実だ。まして、
この映画を作ったアメリカ人たちは、彼ら自身の歴史から、それをよく知っているはずだ。文化どうしが邂逅を果たすとき、この衝突は免れ得ないことだろう。その過程に、結果によってもたらされる多くの認識、倫理、思想を描くことは、おそらく非常に有意義なものになるはずだ。
 しかし、この映画は、あろうことかこの「戦争」を、「アメリカ映画」、そして「アメリカ的家族愛」を演出するために用いてしまった。
 有機的・哲学的SF映画「アバター」の生命が、死を迎えた瞬間である。

「大佐」、そして人類の軍隊はあくまで「悪」であり、無思想である。いかなる葛藤も苦悩もなく、ひたすらに弾丸と煤煙と血を、破滅をもたらすだけの、無人格な存在。それに対比するようにわざとらしく配される、ジェイク・サリーと部族、動物、ナヴィ。栄光なる矢は近未来オスプレイの分厚い強化ガラスをやすやすと射抜き、戦闘機は蝿のように落ちては爆発する。
 サリーは当然のようにトルーク・マクトの王座を勝ち取り、英雄となる。 

 浅い、あまりに浅い、無思想な映画が、ここにできあがった。

 2022年、13年の間隔をあけて、その続編である「アバター・ウェイ・オブ・ウォーター」は公開された。
 驚くべきことに、この映画は、全くの無価値であった。内容は前作の焼き直しにすぎず、物語構成に大きな相違もなく、ナヴィ文化の一面的な、まったく薄っぺらな賛美が行われ、勿論のこと無思想な戦争が起きる。それどころか大佐の個人的怨恨のみが戦闘の主目的であり、パンドラや海の民についての描写は映画後半に近づくにつれ、無意味な粉飾として影を薄くする。
 それでもなお、描くべき要素の種は存在した。大佐と息子スパイダーの父子間のジレンマ、ジェイクの息子ネテヤム、ロアク、そしてスパイダーの二世的苦悩、養子キリのパンドラ・エイワとの精神的な交感。もしドキュメンタリ風に映画をまるごと演出し直すのなら、静かで、思想と葛藤に満ちた、よい映画になったかもれない。

 残念ながら、そうはならなかった。映画はあくまでハリウッド映画であり、豪華な商業映画であり、大衆のための戦争パニック映画であり、アメリカンな家族映画であった。さも意味ありげな「海の道」も、わざとらしいタイタニックの水攻め迷路からの脱出に利用されるだけのものであり、どんな形而上カタルシスも産み出さない。

 遠浅の美しくかがやく、青緑の海。しかし、観客はその海を泳ぐことはできない。その海は水族館の水深しかもっていないのだ。
 有機USB端子に接続されるCG生物には意志はなく、巨大サメは不必要な執拗さで少年を追い、友愛をもったはぐれ鯨パヤカンはありきたりの誤解をされ、キリはアニメ版ナウシカになり、悪役は悪役らしく海に沈み、唐突に悪徳捕鯨業者の片腕をワイヤーが切り、悪人に魂の救済はなく、強い父、絶対的英雄である主人公は何も学ばず、「戦わなければ家族を守れない」と宣言する。
 なぜ? この映画は、いったい何を描きたい? 僕にはわからない。


-Oel ngati kamänge, Avatar: The Way of Water.

oe-l nga-ti kam-äng-e
私-は(能格) あなた-を(対格) みえる(äng=不快)

「僕にはあなたがみえない、アバター2。」


 すばらしい材料をもとに、3時間もの最低の俗悪映画をつくった訳を、僕は尋ねてみたい。


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