未の刻②
有布子へのいじめは一年生の終わりごろに状況が変わった。
きっかけは、下校路に子供の保護者以外の目があったから、それだ。
近隣に住む人間が見咎め、いじめ行動について学校に通報してくれたのである。
すると担任はとある日の放課後、有布子への虐めについて考える会を開いた。
「いじめはいけない事です。でも、いじめられる人にだって悪い所があります。そこを認め合いましょう」
担任は外見が可愛らしく担任のお気に入りだった田巻菜々美に対して、有布子には見せたことのない笑みを向けた。
有布子は一年になった初日から虐められていたわけでは無い。
担任によって暴力的な男子の小森学の標的にされても、しばらくは遠巻きにされていただけだが、下校時のいじめが始まったのはその田巻の一言によるものだ。
「あいつの泣き顔見たいなあ」
有布子と違い菜々美は最初からクラスの中心となっている。
彼女自身そんな自分を知っているという風に、無邪気な笑みを教師に返した。
可愛らしくて頭が良いと担任が認める彼女は、男子からの人気者でもあり、彼女の為には騎士となって戦う気持ちの子も数人いる。
彼女が、あいつ嫌い、と言えばそこでいじめが成立するのだ。
「ごめんなさい、先生。水野さんがべたべたしてきて気持が悪いから、いい加減にしてと思っちゃいました」
「そう。止めてと言ってもきかないのは怖いわよね」
担任は有布子へと顔を向けると、謝りなさい、と言った。
「あなたの行動でみんなが嫌な思いをする事になったの」
「私はべたべたしていま――」
パアン!
教室に頬を打つ音が響いた。
有布子は菜々美が笑ったのが見えたし、毎日叩かれていれば泣くよりも次にどうすれば逃げる事が出来るのかの行動こそ取れるようになっている。
「ごめんなさいね。水野さん」
「まあ!さすが田巻さん。自分から謝るなんて偉いわ。さあ、あなたこそ田巻さんの所に行って謝って来なさい」
有布子はどうしていじめられる自分こそいじめる人間の前に言って頭を下げねばいけないのかと思ったが、味方もいない場所では言う通りにするしかない。
それに、と、有布子は自分に思い出させた。
田巻菜々美は、蛙が嫌いだからってオタマジャクシを足で踏みつぶして遊ぶ奴だ、こいつからいじめられなくなるなら謝ればいいのでは?と。
有布子は椅子から立ち上がる。
それからのそのそと田巻の座る机まで歩き、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。二度とベタベタしないので許してください」
「はい、これで終わりました。みんな仲良くしましょう」
しかし帰り道、有布子はやはり小突かれる事になる。
いや、小突かれるのではなく、逃げられない様に二の腕を掴まれ、用水路や田んぼ近くで突き飛ばされて落とされる、といういじめ方法に変わったのだ。
これならば仲良く手を繋いでいるようにしか見えず、また、有布子がドブに落ちないように自分達こそ面倒を見ている、と言える。
そして一人が失敗したら別の子が、という風にゲームともなっていた。
「ほら、ちび歩けよ」
三人目の男の子、丸川の言葉で有布子は何故かハッとした。
有布子をちびと罵った丸川は、有布子と同じぐらいの身長だ。
有布子は女子の中で一番背が低いが、丸川こそ男子の中では背が一番低いのだ。
「ちびにちび言われる筋合はないよ」
初めて有布子は言い返せた。
そして、丸川がみるみる両目を見開いて泣きそうな顔に変わったその時、有布子こそ自分の中の意識が変わったのだ。
「さわんなよ。放せよ。気持ち悪いんだよ。ちび!!何が泣いた顔が楽しいだ。お前らおかしい。おたまじゃくし足で潰せる奴がスキって、気持ち悪い」
「ちびはとりけせええええ」
「うるさい!ちびちびちび!!」
その後は最悪だった。
泣き顔になった丸川は絶対に有布子を掴む手を離さないので逃げる事も出来ず、有布子はそこにいた奴らによってたかって押され、用水路に落とされたのだ。
浅いがヘドロだらけの臭いドブに。
結局は泣いて自宅に帰ることになったが、丸川が泣いた顔を思い出したそこで、有布子は自分にも攻撃力があることを知った。
そして、汚泥塗れになった自分がその後の帰り道に殴られる事が無かった事にも気が付き、自分を守る方法を見つけたと思った。
有布子はその日から体を洗う事を止めたのだ。
異臭を放つその間、有布子は手出しされない今こそはと、出来る限り相手を傷つけられる言葉を選び、投げ付け、クラスの完全なる嫌われ者となった。
しかしその風呂に入らない行為は家族こそ耐えきれなかったためか、三ヶ月目に強制終了される事となる。
父親が有布子を風呂に入れて体を洗ったのだ。
なぜ父親がというと、母親が父親に押し付けただけの話である。
きれいな体になった有布子であったが、彼女にクラスの人間は敢えて何もしてくる事は無かった。
彼らがするのは無視だけだった。
田巻はにやにや笑うが、有布子には気楽この上ない。
絡まれて殴られるよりはずっと良い。