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ワンス・アポン・ア・タイム・アウトロー

 お前が聞きたかった昔話をしてやるよ。こんなに肉と魚を持ってきてくれたんだ、そのお礼だよ。

 三十年近く前のことだよ。俺はまだ若くて、活力が溢れてた。仕事はなんでもやった。工事現場の作業員から工場での組み立て工に、警備員とか。まあ、今思い返すとどれも頭を使わない肉体労働ばかりで、今の農作業とたいして変わらねえな。

 え? そのときは吸ってたかって。そりゃあ吸ってたよ。煙草みたいにマリファナを吸いまくってリラックスして、しっかりするためにアンフェタミンをキメて仕事に出かけたりするのが当たり前だった。今は知らねえが、当時のマリファナは三千円で買えた。アンフェタミンはその倍の価格だ。物価高騰のあおりを受けて今じゃあ結構な額になってるんじゃ無いか?

 そうだ、そろそろ鍋の準備をしよう。いい時間だし、料理をしながらでも話はできるからな。


 三十年近く前っていったらちょうど世紀末で、いろいろと世の中が狂いまくってたよ。一九九九年の七月に恐怖の大王がやってくるとか、二〇〇〇年を迎えると同時にコンピューターがバグって核ミサイルを世界中にぶっ放すとか。そんな話は映画でもあったな。巨大隕石の落下で地球が壊滅するって内容だよ。石油堀の荒くれ者たちがシャトルに乗って隕石を木っ端微塵にするって筋書きで、自己賞賛が好きなアメリカ人が好みそうな内容だった。

 とにかく世紀末を迎えるってことで世の中は終末論で溢れかえってた。みんなが騒ぎまくってたけど、俺はガールフレンドといちゃこらしてた。貧乏なアパートの二階に住んで、暇があれば互いを求め合ってた。マリファナ吸ってパンパン、アンフェタミンをキメてアンアン。

 おい、なに笑ってんだよ。お前が知りたいって言ったから話してるんだろ。

 まあ、それはいい。すまないが先に洗い物を済ましてくれ。俺が肉と魚を捌くから。

 それでそのアパートの角部屋で一家心中があったんだよ。異臭がして近所の住民が通報したんだ。それで警察や消防が駆けつけてきて、俺に話を聞きに来たんだ。お隣で一家心中があったんですけど、ご存じでしたか? お隣とはどのような関係でしたかって。

 あれは焦った。今でも鮮明に覚えているけど、本当に焦った。チャイムが鳴ってドアを開けると二人の警官が立ってるんだよ。藍色の制帽を深く被って、その奥にギラリとした視線で素っ裸の俺を睨んでるんだよ。

 なんで裸だったか? ガールフレンドとやってる最中だったからだ。服を着てやる馬鹿なんていないだろ。それにキメてたから、目が泳ぎまくってた。腕をさすったり、首筋を掻いたり、落ち着こうと思うほど、そわそわして仕方が無かった。

 お前笑ってるけど、本当に焦るからな。捕まるなんて微塵も考えてなかったし。まあ、とにかく警官が心中した隣の一家について訊いてきた。付き合いはありましたか、って。

「なかった」って俺は言ったよ。あったのはトラブルだけ。朝昼晩、ときには真夜中に祈ってる声もした。ドラッグでもやってるんじゃないかってガールフレンドと小馬鹿にしたりしてた。そんなある日、隣の一家の亭主がやってきたんだよ。黒い祈祷服を身にまとって、後ろにはそいつの子どもが二人立っていた。女の子だった。表情がなくて、虚ろな目をしていて、陰気くさかった。ロリコン御用達のダッチワイフみたいにただそこにいるだけなんだ。

 そいつは俺にこう説教したんだ。「救世のラッパーがもうすぐ鳴る。迷える子羊よ、我の下に集え。我とともにメシアを迎えよぞ」って。

 おかしいだろ? 俺もおかしいと思うよ。でも当時はおかしい以前に寒気を感じたよ。こいつマジで頭がおかしいんじゃないかって。それで俺はそいつを殴った。二人の子どもがいる前で二、三発お見舞いしてやった。親父は尻餅をついて、ブツブツなにか口にしていたけど子どもたちは違った。本当に無表情だった。泣くことも驚くこともしない。全く反応せず、ただじっと眺めているだけだった。親父が立ち上がると、その後ろに付き添ってまた別の部屋に行った。親父がやることは同じだよ。おかしな説教を垂れて、殴られる。そして子どもたちはただじっとしている。

 親父は頭がおかしかったけど、あの二人の子どもも変だった。本当に…。

 洗い物が終わったか? ならそこの手ぬぐい水気を拭いてくれ。俺は切った食材を皿にのせるから。


 これ食ってみろよ。うちの畑で取れた野菜を漬けたんだよ。どうだ、美味いか? あ、大丈夫。言わなくてもいい。自分で食ってみて分かったから…。

 二人の警官にはそのことも話した。一人の警官が黒革の警察手帳に書き込み、もう一人はただ俺をじっと睨んでいたよ。彼は疑ってた思うぜ。こいつ、ドラッグをキメてるって。

 でもそのとき奥からガールフレンドが出てきたんだよ。「早く続きをしようね」って。

 あいつも素っ裸だった。でも玄関口に警官が立っているのを見て、すぐに引っ込んじまったが、二人の警官も目のやり場には困っていたよ。ギラついた目をしていた警官は耳を真っ赤にしてより深く制帽を被りなおし、もう一人は警察手帳を閉じて礼を言って出ていったよ。

 恥ずかしくなかったか? そんなもん感じなかったな。捕まるかどうかってことしか考えてなかったから、とにかくあいつが出てきてくれたおかげでその場はなんとか切り抜けることができた。

 それから俺はガールフレンドともう一回やろうとしたんだけど、駄目だった。起たなかった。隣で一家心中があったことが現実として受け入れることができなかったんだよ。薄い壁一枚隔てたところで、頭の狂った父親が子どもを道連れに一家心中って誰が想像できる? 

 世紀末っていうのもあったけどヤバい新興宗教がたくさんあったよ。

 あんたも充分ヤバいって? それはそうだな。認めるよ。ドラッグをキメまくってたんだ。でもな、そうでもしないと当時の狂った世界で生きていくはキツかったんだよ。

 よし、俺が鍋と皿を持って行くからお前は缶ビールを持ってきてくれ。冷蔵庫の中に一ダースぐらいあるはずだ。それにしても台所は寒い。話はこたつで暖まりながらやろう。


 五本しかなかった? おかしいな。たしかこの前買ったはずなんだけどな。まあいい。とにかくお前もこたつに入れよ。寒いだろ。

 で、話の続きか。どこまで話したっけ。ああ、そうだ当時の世相だったな。結局世界の終末なんてやってこなかったよ。二千年は普通の一年として過ぎた。コンピューターが狂うことも無く、恐怖の大王もやってくることもなかった。世界中が二一世紀を迎えることに手放しで喜んでいた。タイムズスクエアでは雪が降る中みんなでカウントダウンしていたし、俺とガールフレンドも渋谷のハチ公前まで出かけて年越しを祝った。マリファナを吸って、酩酊していたけどしっかりと二一世紀おめでとうって互いに喜びあってた。ガキの頃に読んだ本にこんなことが書いてあった。二一世紀は平和な時代で、みんなが手を取り合って仲良く過ごすことができるって。俺はガールフレンドと抱き合っているとき、そんなことを思い出してたんだ。

 でも現実は違った。二一世紀は結局二〇世紀の延長でしかなくて、互いに手を取り合うことも仲良くなることなんてなかった。その反対だった。俺たちは罵りあうことぐらいしかしなかったんだ。狂信者たちはジャンボ機をハイジャックしてニューヨークのトレードセンタービルに突っ込んだ。アメリカはその報復にアフガニスタンを爆撃しまくってた。ランボーでアフガンはアメリカの友人って言わせておいたのに、掌をくるって返してさ、なんだこれって思ったよ。

 日本ではライオンヘッドの総理大臣がアメリカの忠犬としての役割を積極的に担い、向こうの大統領に会えると尻尾を振って喜んでたよ。プレスリーの物真似を披露したりしてさ。あの姿をテレビで見たときは目眩がするぐらいに酷いもんだった。

 今になって思うんだけど、恐怖の大王も途中までやってきてたんじゃないかな。でも俺たちが争う姿を見て、呆れて引き返したんだろうな、多分。なあ、お前どう思う?

 

 鍋がぐつぐつ煮えてきたけど、もうちょっと待ってくれ。酔いがまわってきて、俺もまだ喋りたい。お前もそうだろ? さっきまではお前が喋りまくってたんだ。イラク戦争とウクライナの紛争の違いって奴を述べてただろ。イラク戦争で日本人が拉致られたら自己責任って叩いて、ウクライナに義勇兵としていけば賞賛されておかしくないかって。俺それ聞いて本当にその通りだと思うよ。マジで、日本の国民性ってなんも変わんねえよな。思考放棄してるって言われてもおかしくないだろ。

 すまないけど、お前の後ろの棚に焼酎があるから取ってくれ。まだ飲み足りないんだよ。お前もそうだろ?

 それにしても当時は本当にいろいろやってたな。マリファナ、アンフェタミン、LSD,MDMAとか、ハイとダウナの両方をやっててよく今まで生きてこれたもんだ。俺のコップにも注いでくれたのか。ありがとうよ。

 え、どこにドラッグを買う金があったか? そりゃ働いて稼いだよ。俺とガールフレンドは同じ派遣会社で、同じ工場で働いてたんだ。出会った日に連絡先を交換して、その週末に一緒に飯を食った。互いに音楽が好きで、映画も好きだった。幸運なことにあいつもドラッグが好きで、その日のうちに関係を持ったよ。それにお互い実家とそりが合わないってところが良かったのかもしれないな。俺やガールフレンドの両親てのはすごく堅苦しい性格で、世間と同じような生き方を求めてたんだ。一流の大学に進学して、一流企業に就職して、家庭を築くってのが彼らの考え方だった。

 今思うと馬鹿馬鹿しいよな。個性を尊重するって教育方針が掲げられていたのに、その枠からはみ出た生き方をすると冷たい目で見やがる。別にレールから外れたっていいじゃないか。みんなが同じ服を着て、同じ顔をして、同じ考え方する方がおかしい。お前が貸してくれたあの本、オーウェルの…。

「1984?」

 そう、それ。1984みたいな世界で生きるなんて死んでもごめんだよ。それにしてもあれ系の本を読んだのは初めてだった。すげえ面白かったよ。また似たような本があったら貸してくれ。

 

 それにしても今はドラッグの購入って手軽なんだってな。前テレビでやってたぞ。ツィッターでハッシュタグに93や緑って打ち込んで検索するだけで売人と繋がることができるんだろ? 俺のときは違ったよ。クラブとかに出向いて売人を探したりしてた。こいつかな、あいつかな。もしかしたらバーテンダーが売人じゃないかってガールフレンドと酔っ払いながら探し回ってた。でも、運がいいことに俺の職場にそれがいたんだよ。ジョーさんって言う人なんだけど、その人がドラッグを取り扱ってた。メインはマリファナで、ほかにはアンフェタミンとかコカインとかもあったんだ。品もよくて値段も安かった。それにジョーさんは元スケボーのプロで服のセンスとかすげえかっこよかったんだよ。聴いている音楽もセンスがあった。ルーツやトニー・スターズー。日本だとブルーハーブやシンゴ02とか、深い詩の世界にマッチした曲がよくてさ、今でも聴き返したりしている。

 まあ、それが縁で結構一緒に遊んだね。向こうは妻子もちで、家に呼んでくれたこともあった。奥さんは年上だったんだけど、べらぼうに美人で、コロッといっちまうところだった。それを俺がガールフレンドに話すと嫉妬して殴ってくることもあった。パーじゃ無くてグーだからな。普通女が叩くっていったら平手だろ? そうじゃないんだよ。本当に拳を握って俺の頬をぶん殴ったんだ。女に叩かれることはよくあったけど、あれは衝撃的だった。今でも鮮明に覚えている。

 子どもはどうだったか?

 二人とも女の子で、名前はたしかサツキとメイだ。二人とも五月に生まれたからって理由でその名前にしたらしいけど、まるでトトロじゃねえかよって突っ込みを入れたかったよ。でも実際には「可愛いですね」って世辞を口にしただけだが。

 まあ、実際に可愛かったし、二人とも俺やガールフレンドによく懐いてくれた。二人で子守りをしたり、買い物にもつれていってやったよ。疑似家族ってかんじで楽しかったな。

「結婚したいと思った?」

 結婚? そんなもん一切考えたこともなかったよ。俺もガールフレンドも結婚とは縁がないって互いに認め合ってたからな。

 まあ、とにかくジョーさんとは家族ぐるみで付き合うことになった。本当に良い家庭だなと思ってた。でも、ある日奥さんの姿を見なくなったんだ。俺がドラッグを取りに行くといつも出迎えてくれたんだけど、めっきり会わなくなった。

 奥さんはどうしたんですかって俺聞いたんだよ。んで、ジョーさんは仕事に出かけているってしか教えてくれなかった。俺は全く疑わなかった。そのときジョーさんは無職だったんだよ。職場の上司ともめて、クビになって、それから仕事を探してたんだけど、うまく職が見つからなかったんだ。だから、それで奥さんが仕事に行ったって言われても「ああそうなんですか、大変ですね」としか言わなかった。

「子どもたちもいなかったの?」

 ああ、あの子たちなら普通にいたよ。俺が遊びにいくと二階から降りてきて、二人で腕を引っぱるんだよ。遊んで、遊んでって。こっちは仕事で疲れてるんだって内心愚痴りながらも頬が緩んでた。マジで。子どもは天使だなんて嘘くせえと思ってたけどあの二人の笑顔を見ると無理だね。どんなに疲れていても遊んでやってしまってたよ。

「どんなことをしたの?」

 色々と遊んであげたよ。近くの公園で鬼ごっこやかくれんぼに、砂場で山やお城を作って遊んだ。近所のガキも混じってきて、本当に大変だったな。おかげで俺の人生から保育士の職業は無くなったな。マジで無理だ。体力が違いすぎる。ドラッグをやってたってもあるけど、一日中ガキと遊んでたらガールフレンドといちゃこらする体力も気力も無くなっちまうよ。

 おい、笑うなよ。だいたい若いときなんかそれぐらいしか考えないだろ。お前だってそうだったろ?

「どうかな」

 なに首傾げて否定してるんだよ。ニヤついてる顔がその証拠だろ。


 なに、そろそろ鍋を食いたいって? もう少し待て。肉や魚はもうちょい煮込んだ方が良い味を出すんだよ。腹が減ってるならそこにある漬物を食べていい。大丈夫だ。不味くねえよ。スーパーで買ってきてたんだ。金払ってまずいもんを食べさせられたらたまったもんじゃねえ。

 それである日、ジョーさんから電話がかかってきたんだよ。いつもはこっちから連絡をいれるんだけど、その日に限って彼から連絡が来た。週末、子どもたちの面倒を見てくれ無いか、礼ならたっぷりはずむからって。

「礼って?」

 ドラッグに決まってるだよ。あの人が礼金なんて払うわけねし、それにそんな金があるとは思わなかった。金があればブランド物の服を買う人だったからな。

 人に何かを頼むってことをあまりしない人だったから不思議だったよ。なにかあるのかなって疑問を感じたけど俺は引き受けることにした。手持ちのマリファナも底をついてたし、ガールフレンドもあの子たちに会いたがってたからな。

 週末、俺とガールフレンドは愛車のスバルR2に乗ってジョーさんの家に行ったんだ。

玄関のチャイムが鳴らすと、彼が出てきた。やっぱり奥さんはいなかった。

 ジョーさんは仕事の面接で夜まで帰れないって言ってた。奥さんについても尋ねたけど、やっぱり仕事で夜遅くまで戻らないって話してた。

 サツキとメイの相手をしながら、俺、あることを考えてたんだ。もしかしたら奥さんは風俗で働いてるんじゃないのかなって。それも本番ありの店で。

「最低だね」

 ガールフレンドにも言われた。それから殴られた。グーパンで頬を思いっきり殴って、「真面目に考えろ」って怒られたよ。

 お前肯いてるけど、これでも俺は結構真面目に考えたんだぜ。頭を使わずに金を稼ぐ方法なんて限られているだろ。男なら工場とかだし、女なら風俗とかだろ。今でもそれは一緒だよ。パパ活で荒稼ぎしてる女がいるんだから。

 まあ、奥さんがいなくて大変だろうなってのは思った。無職の旦那が二人の育ち盛りの子ども、それも女の子の面倒を見ているんだから大変だろう。お前も子どもを作ってみたら分かるよ。子育ての大変さが。

 それから俺とガールフレンドは二人の為に料理を作ってやった。定番のカレーだよ。二人ともよくお代わりしてた。ちなみに市販のルーだぜ。箱の調理法を見ながら作れば誰にだってできる。それを二人はごちそうみたいに喜んで頬張ってた。普段はなにを食べているのか気になって聞いてみたんだが、コンビニの弁当やカップ麺、それからスナック菓子だと言ってた。それを裏付けるみたいにゴミ袋にはカップ麺の容器やスナック菓子の袋とかが突っ込まれていたんだ。

 そのゴミを見てさ、俺思ったんだよ。奥さんは仕事に出かけているんじゃなくて、実家に戻ってるって。ジョーさんの金遣いの荒さや無職なのにふらふらしてるのに我慢が出来なくて出ていったんじゃないかって。あの人はプライドが高いから弱みを見せたくなかったんだよ。都合のいい言い分けを拵えて、俺たちに子守を押しつけたんじゃないかって。

「ガールフレンドにも話したの?」

 話したさ。それであいつもそうかもしれないね、って同意してくれた。殴られることはなかった。

 でも多分、ジョーさんは奥さんを連れ戻せないだろうと思った。なぜなら頭を下げるのがなによりも嫌いな人だったからね。気持ちが分かるんだよ。俺も似たような性格をしているし、ジョーさんともめた上司と何度も衝突することがあったからさ。それでガールフレンドと話し合って、保存のできるくおかずをいくつか拵えようと思ったんだ。食材は四人で近くのイトーヨーカードまで買いに行った。R2の狭い車内は窮屈だったけど、楽しかったよ。二人はいろいろな歌を歌い、俺とガールフレンドも一緒に歌った。よそから見たら家族って思われても不思議じゃなかった。それで食材を買い終わると二人をプレイランドに連れて行ったんだ。

「プレイランド?」

 子ども用の遊具やガチャガチャが置いてあるところだよ。

「ああ」

 そこでサツキとメイはガールフレンドと一緒に遊び、俺はベンチでぐったりしてた。遊園地のベンチで寝ているお父さんみたいにさ。そんなところにお袋から電話がかかってきた。電話越しにお袋の泣き声が聞こえて、また親父と喧嘩したのかって思った。全くその通りだった。素面のときの親父は頑固一徹だけど、酒が入ると一八〇度性格が変わってしまうんだ。酒癖が酷くて、女遊びも酷い。お袋とは年中喧嘩してたよ。そして愚痴を言うために俺に電話をかけてくる。本当にウザかった。

 お袋がまた喧嘩の理由を話してきて、俺は突き放すように言ったんだ。「もう、親父とは別れろよ。あんな屑と一緒にいるとお袋も不幸になるぜ」って。

 で、お袋はどう答えたと思う。

「分からない」

「私が捨てたらあの人はホームレスになるわ。あの人の居場所がなくなってしまうわ。どうしたらいいんだろう」

 馬鹿馬鹿しくて電話を切ったよ。俺にお袋が一体どんな状況を望んでいるのか分からなかった。そのあとも何回か携帯電話が鳴り続けたけど、俺は出なかった。うんざりする話を聞くよりも目の前で遊ぶガールフレンドと二人の子どもの様子を見ているほうがマシだったんだ。

 

 それからジョーさんの家に戻って料理を作ったんだ。夕食は俺一人で作った。ハンバーグだったんだけど、これが結構美味いんだよ。自信作だよ。サツキもメイも喜んでたし、なによりガールフレンドが驚いていた。あなたにこんな物が作れるんだって心底驚いてた。

「食べてみたいね」

 今日は鍋だから諦めてくれ。でも心配するな。近いうちにお前にも食わせてやるよ。

 ガールフレンドは保存が利くおかずをいっぱい作ってたな。きんぴらゴボウにニラともやしの炒め物に、ほうれん草のごま和え、卵焼きにあとは、肉料理かな。コロッケとかトンカツなどの揚げ物を作ってた気がする。

 結構な量を作ったから一週間は持つと思った。サツキとメイに冷蔵庫にいれてあることを伝えて、お腹が空いたら食べるようにも言った。

 二人は喜んでたよ。ママにも食べさせてあげたいって。ママにもあげていいかって俺たちに聞いたんだ。

 可愛いなって思った。ガールフレンドはいいよって肯いた。それで突然サツキとメイは皿に調理したばかりのおかずを盛り始めたんだ。

 最初はなにをやってるんだろうって思ったけどあの子たちは家の裏にある物置に向かったんだ。俺たちは後を追って、なにをしてるんだって聞くとママにあげるってしか言わなかった。物置は鍵がかかっていたから結局開かなかったけど、二人はおかずを盛った皿をそこに置いて、物置に向かってこう叫んだんだ。「ママ、ここにご飯を置いておくからね」って。

 

 日が変わる前にジョーさんが戻ってきた。サツキとメイは遊び疲れて寝てしまっていた。ガールフレンドは洗い物している途中だった。それを見てジョーさんが憔悴しきった様子で謝ってたよ。「すまない、マジ面倒かけて」って。

 俺たちは今日一日の様子を話して、それからおかずについても伝えた。ジョーさんはありがとうって言って、冷蔵庫からおかずを取り出して一口摘まんでた。ほうれん草のごま和えだった。

 それから俺たちは約束のドラッグをもらってまっすぐアパートに帰った。いつもは音楽を流すか、話をするんだけど、その日は一言も話さなかった。ときどきガールフレンドが声をかけてきたんだが、俺は無視した。真っ直ぐ前方をだけを見ていた。真っ暗な夜だった。季節は夏で、窓の外からどんよりとした空気が流れ込んでくる。気持ち悪かった。今でもその肌触りや空気の重さってのを覚えている。赤信号で停まると、あいつが口を開いて訊いてきたんだ。「あの物置の中に…」って。

 それから先はなにも言わなかった。俺も答えなかったし、それでおしまいって感じに赤信号が青に変わり、アパートまでR2を走らせた。

 その日から一ヶ月後だったと思う。テレビにジョーさんが映っていたんだよ。元スケーターでもなく、派遣社員としてでもなく、容疑者の肩書きがついていた。彼は奥さんを殺害して、物置に隠していたんだ。異臭がするって近所からの通報で警察が駆けつけて事件が発覚したんだ。彼の経歴が短く紹介されていたけど、ドラッグの売人であることは伏せられていたよ。

「二人の子どもは?」

 警察が駆けつけたときにはどこにもいなかった。取り調べを続けた結果、二人は山奥の鬱蒼とした森のなかに埋められていた。

 最初おれは信じられなかった。テレビに映るジョーさんは上下ベージュのトレーニングウェアーを着て、無精髭を生やしてたんだ。虚ろな目つきで、頬がげっそりと瘦けていた。普段はお洒落に人一倍気遣ってた人なのに、その姿を見て、現実なのかさっぱり分からなかった。

 ガールフレンドは怯えてたよ。「私たちも捕まるのかな」って。あんな姿を見たのは後にも先にもそのときだけだった。

「私嫌だよ、別れ離れになるのも檻の中に入るのも」

 泣きながら言ってた。それなりに俺のことを思っててくれたんだってそのとき初めて知ったよ。

 それで俺たちは別の土地に引っ越すことにした。逃避行って呼んでもいいかもしれない。ともかく、すぐに職場に電話して辞めることを伝えた。アパートの大家にもでっち上げた事情を話し、綺麗に清掃して翌日には鍵を渡すと約束した。

 それから俺たちはいつもよりも協力的になった。ガールフレンドに部屋の掃除を頼み、俺は吸引器具を処分することにした。巻紙や吸い殻、パイプにクラッシャーボール。証拠になりそうなものを全てゴミ袋に詰め込んで俺はR2で人気のない山へ向かった。もちろん燃やすためだ。ジッポのライターオイルを一缶使用して燃やしたよ。

 俺は灰になるまでじっとその火を眺め続けた。プラスチックの鼻につく臭いはしたし、誰かが様子を覗っているんじゃないかって不安もあった。ときどき後ろを振り返ってみても誰もいない。その不安は結局ドラッグの影響だったのかもしれない。

 ゴミが燃え尽きるまでえらく時間がかかった。山奥だったから携帯電話の電波も届かず、本当に一人だった。俺は火を眺めながらじっとサツキとメイのことを考えた。可愛かったし、もっと遊んであげればよかった。物置にご飯を供えている時点で、通報していればあの二人が死ぬことはなかった。隣室の一家心中の件もそうだ。俺たちがドラッグで狂っているとき、隣にはあの無表情な二人の子どもたちがいた。二人を頭のおかしな父親から遠ざけることもできた。

 しかし結局俺はなにもしなかった。狂った現実から逃げることを選択し、ただ後悔するしかなかった。俺はゴミが燃え尽きて灰になるまでずっとあの子たちのことを考え続けたよ。 

 それからアパートに戻りガールフレンドの手伝いをしようと思ったが、部屋の整理はほとんど終わっていた。なんでもそうだが俺たちは終わってからやっと気付くんだ。荷物は少なく、必要最低限の荷物しかなかった。今じゃミニマムリズムって言うかもしれないが、俺たちは単純に貧乏だった。

 部屋の鍵を大家に返したあと、俺たちはR2を走らせた。

 R2は本当によく走った。メーターは一〇万キロを超えて、一体どこを走ったのかすら覚えてない。とにかくいろいろと全国を走り回って結局辿り着いたのがガールフレンドの実家だった。それ以来俺たちはここに身を寄せている。いつ警察が捕まえにくるんじゃないかってびくびくしていたが、その前にあいつが妊娠してしまった。ガールフレンドは嫁になり、今では母親になっている。俺も旦那となり、父親になった。子どもは二人でどっちも女の子だ。不思議な縁っていうのも感じてしまうよ。

「今では名の知れた農家だもんね」

 ああ。本当に人生ってのは不思議で、自分でも今話したことは信じられない。時々嫁と昔のことを話すけど、お伽噺じゃないかって互いに話の種にしているよ。

 俺たちは若かったけど、今は歳を食い過ぎた。嫁は体型が緩んでジムに通い出し、俺は頭皮が薄くなり、腹も出てきている。

「そろそろ食べないか?」

 ああ。でももう少しだけ待ってくれ。あと一〇分ぐらいで嫁さんたちが戻ってくる。それまでもう少しの辛抱だ。

「分かった」

 すまないな。それじゃ、次はお前の昔話を聞かせてくれないか?

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