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日常

 また一日が始まった。ぼくは夜明け前に目を覚まし、横になったままスマホに手を伸ばす。アラームを切り、もう少しだけ眠ろうと目を閉じるが、頭の中に「遅刻」の二文字が浮かび上がってきた。体を起こし、煙草に火をつける。うっすらとした暗闇の中、煙草の煙が揺らぐ。部屋の照明をつけ、壁にかけてある鏡を覗き込む。どんよりとした自分の表情を目にすると、ため息が出てくる。今日も昨日からの続きで、何一つとして変わらない生活が続くと思うと、なんのために生きているのかと悩んでしまう。考えても答えは出ず、無駄に時間が過ぎていくだけだ。そして急かすようにスマホからアラームが鳴る。


 ぼくは朝食を食べ終えると会社が用意した送迎用のバスに乗った。窓側の席に座り、社員寮からぞろぞろと出てくる工員たちに目をやる。眠たそうな顔をして煙草を吸い、もう片方の手にスマホを握っている。俯いたままの姿勢を見ているとこっちの首も痛くなりそうだった。

 工員たちがバスに乗り込み、席が埋まるとドアが閉まった。運転手は何も言わずにバスを発進させた。荒い運転だった。社員寮を出るとすぐにバスの速度があがっていった。交差点にさしかかかると速度を落とさずに進入し、車体を大きく左に揺らして右折した。そしてまたバスの速度が上がった。何度も上下に跳ねることがあった。車内に貼り付けられている『安全運転遵守』の張り紙がペラペラと揺れていた。


 工場に到着した。朝礼が始まるまでまだ時間があった。ぼくは煙草を吸うために喫煙所に向かった。すでに職場の同僚たちが数名いたが、彼らは社員寮で見た工員たちと同じく両手に煙草とスマホをもち、俯いた姿勢でいた。挨拶をしてみたが、返事はなかった。ぼくは壁際にもたれ、作業服の胸ポケットから携帯灰皿を取り出して地面に置いた。そして尻ポケットに突っ込んでいた文庫本を取り出した。ゆっくりと読んだ。煙草の灰がぼろぼろと落ちていく。ページをめくり、二本目の煙草に火をつけた。


 班長が朝礼で話すことは大体決まっている。昨日の不具合の数や近隣住民からの苦情、稼働率の悪さなど、要はネガティブなことだけしか話をしない。そして安全を第一に作業をするように、と言って話を締める。でも次の休憩までには朝礼での話など忘れてしまう。覚えているのは毎日同じような内容を話して、疲労の色を滲ませた班長の表情ぐらいだ。

 準備体操を終え、作業工程に着くとコンベアが動き出した。塗装を終えたボディーが途切れることなく流れてくる。通路を部品運搬車が走り出し、作業場には電動インパクトの締め付け音が響く。

 ぼくは作業を続けた。内装部品を取り付け、電動インパクトでボルトを締める。作業を終えて確認し、また初めから同じ作業に取り掛かる。コンベア上に並ぶボディーはほぼ一車種だけで、これを終業まで繰り返す。嫌だ嫌だと思っていてもここから逃げ出す度胸も勇気もない。去勢された犬みたいに大人しく作業をするしかない。吠えたところで何も変化はしない。

 明日もまた今日と同じように過ごすのだろうと考えていると、締め付けに失敗した。


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