過ぎ去ることのない(非)記憶-アラン・レネ『ヒロシマ・モナムール』から原爆の芸術的表象について考える
『ヒロシマ・モナムール (Hiroshima, mon amour)』(邦題『24時間の情事』。以下『ヒロシマ』と略)は、フランスの映画監督アラン・レネが、作家マルグリット・デュラスにシナリオを依頼する形で製作され、59年のカンヌ映画祭で非公式な形で上映された映画作品である。非公式だったのは、広島への原爆投下という題材の性格から、アメリカの反感を買うことを作品をセレクションする委員会が恐れたからだった。作品はカンヌで賛否両論を呼び、センセーションを巻き起こす。結果、後日一般公開された時、映画はかなりの興行的な成功を収めることとなった。
映画は、1955年にアウシュビッツ絶滅収容所を扱ったドキュメンタリー『夜と霧(Nuit et Brouillard)』を監督したレネに、広島を題材にした映画を作らないかという注文が入ったことから生まれた。しかし、広島を題材にし、事実を忠実に再現しようとする優れた作品がすでに日本人によって作られていたこと(レネは新藤兼人の『原爆の子』(1952)、そして関川秀雄の『ひろしま』(1953)を挙げている)を見て取ったレネは、原爆を直接題材にし、被爆体験や原爆後の広島の状況を扱うのとは異なるアプローチを迫られることになる。さらに日本とフランスの両方で撮影を行うという制約が課され、行き詰ったレネは、デュラスに脚本執筆を依頼した。それ以前、すでにレネはドキュメンタリーの短編作品を製作するに当たって、エリュアールや、クノー、ケロールといった一流の作家とコラボレーションしているが、長編の劇映画はこれが初めてだった。
まずレネはデュラスに、原爆の恐怖が刻まれたような愛の物語を提案した。そして、デュラスに次のように言ったという。
筋立てとは、個々の出来事を因果関係の秩序にしたがって組み立てることである。そして筋立てに参加する人物とは、一つの状況の中から受け取るものを、何らかの行為に翻訳し、その状況に変化を生み出す者のことだ。フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズはそれを「感覚運動図式」と呼んでいる。牛が草を見てそれを食べるとか、あるいはいつもすれ違う隣人を見て私が挨拶をするといった場合、状況の知覚から行動への翻訳はこの感覚運動図式に従ってスムーズに行われている。しかし、大惨事を前にした時、私たちは唖然としてしまい、自分が目にしたものを直ちに行動へと翻訳することができなくなってしまう。レネが言う「目撃者」とは、その感覚運動図式が中断されてしまった者のことである。目撃者は、因果関係の論理に従って行動し、状況の中に介入する者なのではなく、状況を前にしてただそれを見つめるものなのである。
このようなアイデアを具現化するために、レネとデュラスは、広島の出来事が、映画の登場人物によって体験されるのではなく、思い出されるような話にしようということで意見が一致したという。彼らはおそらく直感的に、感覚運動図式を中断するものとしての記憶を活用することを思いついた。実際、ドゥルーズによれば、記憶とは、知覚がスムーズに運動へと翻訳されなくなった時、その間に介在するものである。向こうから歩いてくる人を見て、それが誰なのかがすぐには分からないと、私は自分の知覚を挨拶という行動に延長する代わりに、彼とどこであったのかを記憶の中に探し求める。こうして、一度行動への延長から切り離されると、知覚は過去へと遡る。そしてこの知覚が特定の記憶と結びつくことができれば(「あの人は先月どこどこで私があった人だ」)、中断された感覚運動図式はその通常の機能を取り戻し、私はこの知覚を挨拶へ翻訳することができる。しかし、それができないと、私はますます深く記憶の中に沈潜していくことになる。呼び出される過去の記憶はますます不確定となり、過去一般(「私はこの男にいつかどこかで会ったに違いない・・・」)へと拡張されていく。このように、運動への延長からも、特定の記憶への回帰からも切り離されると、知覚は漠然とした過去の記憶と結びつくことになる。
しかし、レネの「目撃者」にとって、感覚運動図式を中断する記憶は、単純に漠然とした記憶なのではない。レネはデュラスに、「過去が実際にフラッシュバックによって表現されるのではなく、物語の全編を通じて現前している=現在的であるような」物語を書いて欲しいと頼んだそうである(Clerc et Carcaud-Macaire, L’adaptation cinématographique et littéraire, Klincksieck, 2004, p. 165)。この、過ぎ去ることなく現在に張り付いたままの過去の記憶を通じてレネとデュラスが私たちに投げかけているのは、原爆という題材を扱う際の倫理的な問題だけではないように思われる。つまり、そういった題材を、どのような映像としてなら見せてもよく、どのような映像(例えばバービー人形とコラージュするような映像)としては見せてはいけないのか、あるいはより根源的に、そのような題材をそもそも映像として見せても良いのか良くないのか、ということだけが問題なのではない。そこには、記憶という問題に関する、そして芸術が記憶を扱う仕方に関する、より一般的な省察が秘められているように思われる。
この過ぎ去らない過去の記憶について理解するために、映画を具体的に分析していくことにしよう。『ヒロシマ』は、映画撮影のために広島を訪れたフランス人女優と、日本人建築家との一夜の恋を軸に、日本人の男に、戦争中に女優が愛し、そして死別したドイツ人兵士の面影が重なることで、半ば抑圧されていた彼女の記憶が蘇るという構成を持っている。
映画は、接近したフレーミングによって断片化された身体の絡み合いを見せるラブシーンから始まる。最初のカットでは身体が砂か灰のようなものにまみれており、それが湿り気を帯びると、焼けただれてケロイド状になった身体を思わせる。ついで、身体は常に断片的に映され、ただ汗に濡れている。おそらく女性の方が、爪を立てて男の背中を掴んだ映像に、男の「君は広島で何も見なかった」という、この映画の中で度々繰り返される台詞が重ねられる。それに対して、女が「私はすべてを見た」と言い返す。それから、女が見たと言い張る病院や、記念館、記念館内の展示物、記録映像や広島を題材にして製作された映画の抜粋が映し出されるが、男は「君は広島で何も見なかった」と繰り返す。展示されている、焼けただれた背中を見せる写真によって、最初に映し出された灰まみれで抱き合う身体と、被爆した身体とのアナロジーが明らかとなる。女のナレーションは単調で、まるで機械が喋っているかのような印象を受ける。しかし、広島のことを語るのをやめ、男との出会いや束の間の愛を語り始めると、ナレーションはずっと自然になる。
この冒頭部分は物議を醸すこととなった。広島の惨劇を、男女の乳繰り合いの最中に語り、しかも、愛し合う男女の身体を被爆者たちの身体に重ね合わせていることは当然ながらスキャンダラスだった。この映画を高く評価し、嫉妬したと公言していたジャン=リュック・ゴダールさえ、映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』が公開時に主催したこの映画に関する討論会の中で、次のように発言している。
しかしながら、原爆とポルノグラフィの重ね合わせは、当然ながら、観客にショックを与え、その注意を引き付けるための策略なのではない(ゴダール自身、後年、『映画史』の中で、ナチスの収容所の映像とポルノ映像とを合成することになるのだが、レネの手法と無関係ではないこの合成の機能と意味についてここで論じることはできない)。レネが原爆の惨劇とラブシーンを重ね合わせるのは、原爆の惨劇をこのように見せびらかすことは、その目的がどのようなものであったとしても、どこかポルノグラフィめいたものがあるという、警告だと考えられるからだ。ラブシーンを映し出すクローズアップが、もっと近くで見たいという私たちの欲望を象徴するように、広島の被爆者たちの映像の陳列には、私たちが広島について考えたり、その記憶を風化させてしまわないようにしたりするためである以上に、私たちの見る欲望を満たし、そこにいかがわしい快楽を見出すためのものになってしまっているのではないか。だからこそ、それらすべての陳列を見たと主張する女に対して、日本人の男は、「君は何も見なかった」と言うのである。実際、「平和のための映画」という陳腐な言葉で形容される、女優が参加している映画の現場には、特殊メイクによってケロイド状の皮膚をした役者がいる。映像は、それが本物の映像だとしても、広島の惨劇を、作り物のフィクションに、つまりはまがい物にしてしまうのではないか。だからこそデュラスは、シナリオの冒頭に付されたシノプシスの中で、「ヒロシマについて語ることは不可能だ。できることはただ一つ、ヒロシマについて語ることの不可能性について語ることである」(マルグリット・デュラス『ヒロシマ・モナムール』工藤庸子訳、河出書房新社、2014年、p. 8;以下デュラス『ヒロシマ』と略)と書いているのだろう。
極限的な出来事のこのような「表象不可能性」は、アーカイブの映像を一切使わず、生き残りの証言だけで第2次世界大戦中のナチスドイツによるユダヤ人の大量殺戮を描き出そうとする、クロード・ランズマン記念碑的な大作『ショア』(1985)以降、惨劇の芸術的な表象をめぐるかなり陳腐な決まり文句となってしまった。しかし、レネにとって、記憶とその表象の問題は、表象=因果関係の秩序に従って物語ることという、アリストテレス以来の表象のあり方に対する、より一般的な省察を含んでいるように思われる。
実際この映画で問題となっている記憶は広島の記憶だけではない。先ほど指摘したように、フランス人女優にはある秘められた過去があり、その記憶が、日本人の男との行きずりの恋を通じて蘇るのである。
ラブシーンと、主に広島に関するアーカイブ映像とのモンタージュからなるナレーションベースの冒頭部分が終わると、ようやく男と女の顔が現れる。しばらくして、女がベッドにうつ伏せに横たわっている男に目をやると、その映像に死んだ兵士と思われる映像が突如として重ね合わされる。この不意に呼び起こされた記憶に導かれるようにして、女優は少しずつ生まれ故郷であるヌヴェール(フランスのほぼ中心部にある町)での出来事を語り始める。彼女がそこで陥った「狂気」について、彼女は次のように言う。「わかるかしら、ヌヴェールは、夜になると、世界の中で私が最も夢にみる町なの。最も夢にみる事柄でさえあるわ。でも同時に、それは世界で私が最も考えない事柄でもあるわ」(デュラス『ヒロシマ』、p. 43;訳一部変更)。したがって、この狂気の記憶は、夢の対象にこそなれ、思考の対象にはならない何かである。ここからだけでも、この記憶が、ある種の抑圧された記憶であることがわかる。やがて彼女は、男に尋ねられるがままに、自分の記憶を語り始める。戦時中に彼女が愛していた男がフランス人ではなかったこと、そしてその恋人が死んだことである。語りに合わせて、彼女が恋人とヌヴェールでどのように逢い引きしていたのかが断片的に映し出される。
こうした過去の想起の中で、最も印象的なのは、二人が広島のレストランの中で行う対話のシーンだ。日本人の男が突然、「君が地下室にいるとき、僕は死んでいただろうか」とたずねる。この謎めいた台詞をきっかけに、彼女は自分の記憶を語り始める。ほとんどの場合、それは過去形ではなく、現在形で語られ、前後関係を推し量ることができない。恋人の死が喚起されたかと思うと、直ちに地下牢の話になるという具合である。理由が示されないまま、頭髪を駆られた女優が映し出され、いきさつが説明されることのないまま、彼女が父親によって地下室に閉じ込められ、死んだことにされたこと、そしてそこで20歳を迎えたことが語られる。そして、「君が地下室にいるとき、僕は死んでいただろうか」という先ほどの台詞が示しているように、この語りの中で、日本人の男はドイツ人の男と完全に同一化している。それゆえ女優も、日本人の男に向かって、「あなたに血を味わってからというもの、私は血を好んでいた」とか、「私はあなたのドイツの名前を叫ぶ」といった台詞を発する。次第に、彼女は戦争中にドイツ人と関係を持ったために、裏切り者として髪を刈られたこと、またそれが原因で父親によって地下室に閉じ込められたことがわかっていく。それがいつまで続いたのかと問う男に、女は「永遠に」と答える。その少し後で男が「それからある日、君は永遠から抜け出すんだね」という。そのすぐあとの映像が、鏡に映る女の姿であることも興味深い。後ほど明らかにするが、鏡像とは、過去と現在が重ね合わされ、一体化した時間であり、過ぎ去らない過去、つまりは永遠となった過去だからである。そしてそこから抜け出す時、何が起こるのか。女は非常に意味深い仕方で、「ああ、恐ろしい。だんだんと、うまくあなたを思い出せないようになっている」、「あなたを忘れ始めている」と言う。
その後、女優はドイツ人の恋人と駆け落ちする予定だったこと、しかし、待ち合わせの場所で、彼が撃たれて死んだことを語り始める。このように、想起される過去の順序が、クロノロジックに秩序づけられていないことも注目に値する。この時には、彼女は過去形で語る。ドイツ人の恋人の死が語られたことをきっかけに、彼と日本人の同一化は解消され、人称は二人称から三人称へと移行する。したがって、ここでは過去と現在の一体化が解消されていることになる。しかし、彼女は何かに取り憑かれたようになっていて、男が頰を二度平手打ちして初めて我に帰る。その時から、それまでほとんど聞こえなかった周囲の物音や店内でかかっている音楽が聞こえるようになる。そして彼女は、狂気から立ち直り、「大人しくなった=分別があるようになったraisonnable」とみなされるに至ったことを語る。彼女は夜のうちにパリに旅立ち、そしてパリで広島という名を知った。そして最後に「14年も経ってしまったわ」と回想を締めくくる。つまり、ここで彼女は過去との距離を正確にはかることができるようになっているのである。それは過去が過ぎ去った記憶となったことであり、また忘却の始まりでもある。男と女の次のようなやりとりが、そのことを示している。
女優が「今夜」あの過去の出来事を思い出すことができるのは、ドイツ人の恋人と同一化することで過去と現在の境界を再び取り去る、日本人の男の存在があるからだ。過去と現在を一致させ、ドイツ人の恋人と日本人の男を同一視してしまう「狂気」の時間において、過去は過去として過ぎ去ることのない永遠の現在である。そして狂気から抜け出し、過去を過ぎ去った過去として位置付けることができるようになる時、すでに忘却は始まっているのである。
このシーンに関しては、精神分析のカウンセリングとの類似がしばしば指摘されてきた。日本人の男が精神分析家の役割を担い、女優とドイツ人の恋人との関係が、この日本人との間で反復されることで、彼女は過去のトラウマ的な記憶を克服するというわけである。
しかしこのような解釈は、女優にとってのヌヴェールの記憶を説明するものではあるとしても、広島の記憶の性格を明らかにするものではない。フランス人の女優は当然のことながら広島の原爆を経験してはいないし、原爆で家族を失った日本人の男も、戦地に赴いていたため、広島を直接経験してはいないからだ。したがって、無意識の中に抑圧された記憶ということでは、ヌヴェールの記憶と広島の記憶の結びつきは見えてこないのである。この問題を考えるための手がかりとして、作家のベルナール・パンゴーが1961年に映画専門誌Premier planのアラン・レネ特集号に発表した論文を参照し、そこから自由に着想を得て見ることにしよう。
パンゴーは、まず、記憶(souvenir)と想起(mémoire)とを区別する。記憶とは状態であり、想起は行為である。したがって、記憶は意識と無関係に存在しており、ただ想起を通じて意識に立ち上るのである。したがって、想起されない記憶というものが存在し、それが忘却と呼ばれる。忘却は記憶の不在ではなく、想起なき記憶なのである。そして記憶は想起される事で、現在との関係(現在からの隔たりの大小)に従って過去として整理される。したがって、もし記憶だけを持ち、想起の能力を持たない者が存在するとすれば、その者の過去は過去となる事なく彼の現在に意識されぬまま絶えず付きまとっていることになる。つまり彼の過去は、その全体において、想起可能なものとして保存されていると同時に、完全に忘却されていることになる。レネは、『ヒロシマ』に先立って、国立国会図書館に関するドキュメンタリー『世界のすべての記憶』や、アウシュヴィッツ絶滅収容所の記憶に関するドキュメンタリー『夜と霧』を製作しているが、図書館と読者、歴史的出来事と証人の関係は、まさに記憶と想起の関係なのである。重要なのは、パンゴーが記憶を主体から切り離していることだ。想起は想起する主体を必要とするが、記憶は想起する主体がいなくても、時間の中に保管されているのである。
『ヒロシマ』のフランス人女優は、まずもって、そのような想起のない人物として現れる。彼女が女優であることはおそらく偶然ではない。俳優とは、一つの作品の中では、その作品の中で描かれる以外の過去の厚みを持たない人物であるからだ。パンゴーは、このような過去のない人物は、現代小説の特徴の一つだと論じる。それは、バルザックやゾラが作り出していたような、血縁者や遺伝を持ち、職業、財産、社会的地位と、そうした特徴に見合った性格とを備えた人物の対極にある人物である。パンゴーは言う。
過去のない人物は、すべてを現在で生きるしかない。出会った人物の顔を思い出せなくて、我々が会釈することなく人物の顔をずっと見つめてしまうように、過去のない人物は情景に魅了され、行動することがない。レネの「目撃者」は、実のところ、過去から切り離されてしまった人物である。彼には、現在の情景を過去と照らし合わせ、未来の行動を計画する能力、つまり過去、現在、未来を因果関係の秩序に従って整理する能力が欠如している。物語の筋立てがこのような秩序で成り立つ限りにおいて、このような人物は過去と同時に物語=歴史を持つこともない人物である。
しかし過去のない人物、つまり想起のない人物は、記憶のない人物ではない。彼は記憶を過去のものとして、現在において意識に立ち上らせることのできない人物だ。フランス人女優には、記憶がある(この点に関して興味深いのは、レネがデュラスに、映画のシナリオとは関係ないことも含めて、それぞれの登場人物の肖像を書くように依頼したことだ。それらの肖像はデュラスの書籍に収録されており、いわば映画によって顕在化されることのない、登場人物たちの過去を形成している)。それは、その残酷さゆえに、彼女が抑圧してしまった記憶である。だから、この記憶が、彼女の現在の経験によって断片的に呼び起こされることになる時、彼女はそれを時間軸上に整理することができない。記憶は、それを呼び起こす現在の経験と一体となって呼び起こされるだけである。つまり、こうした過去の記憶は現在に対してすべて同列に共存し、ドイツ人の恋人と同一化した男の質問に刺激されるがままに呼び起こされる。だから彼女は、その記憶と現在を完全に混同してしまう。錯乱の後、平手打ちによって我に返ったとき、彼女は初めて過去と距離を取り、過去を過去として想起することができるようになる。
実際、この場面のすぐ後で、ホテルに帰った女優は、鏡に向かって次のような独白を始める。
ここで鏡は、女優を永遠となった過去に沈潜させる役割を果たす。生身の身体として映し出される彼女の現在は鏡像として映し出される彼女の過去と一体化し、彼女はドイツ人の恋人に話しかける。声がナレーションで処理されているのは、語っているのは今ここにいる彼女ではなく、過去に沈潜した彼女であるからだろう。再び生身の彼女が言葉を発するとき、彼女は過去を総括する。「14年間、叶わぬ恋を味わっていなかった。ヌヴェール以来」。物語を語ることができるということ、それは過去を過去として総括することができるということであり、それはまた、過去が普通の意味で忘却可能になるということである。こうして彼女は、今度はカフェでの時のように男の平手打ちによってではなく、自ら鏡の外に出ることを決断するのである。
その後、ホテルを再び飛び出し、男と再会した女優は広島の夜の街を彷徨う。すると、広島の街とヌヴェールの街並みが交互に映し出される。過去を克服し、広島にとどまるという選択肢を検討し始めている女優は、まさにヌヴェールと広島の間をさまよっている。しかし、日本人の男が過去の恋愛の反復でしかないならば、過去の克服とともに、この恋愛はその役割を終える。過去が語ることのできるものとなり、過去として忘却できるものになると同時に、女は日本人の男のことも忘れ始めている。最後にホテルで再会した男に、女は「あなたを忘れてみせる。もう忘れているわ。見てよ、どんなにあなたを忘れているか。」(p.142)と言う。そして二人は、互いを「ヒロシマ」、「ヌヴェール」と呼び合って、映画は終わる。
こうして、レネが、「過去が実際にフラッシュバックによって表現されるのではなく、物語の全編を通じて現前している=現在的であるような」物語と言ったことの意味がわかってくるだろう。一般に、フラッシュバックは、現在の状況を理解したり説明したりするために、登場人物が過去の中に必要な情報を探しに行くための手法である。しかし『ヒロシマ』では、女優はこの過去をまだ過去として所有してはいない以上、過去は現在を説明することはできない。それは過去を反復する現在の中で出現し、この出現とともに、初めて過去として構成されるのである(このような過去の最初の闖入は、謎めいた仕方で、寝ている日本人の男に死んだドイツ人の恋人の姿が重ね合わされることで始まっていた)。だからこの映画においては、過去が現在の前に存在したのではなく、現在の後に存在したかのような印象を受けるのである。過去が現在を説明したり、その現在の行動の動機となったりするのではなく、現在によって、過去が初めて過去として形成されているのである。
想起は常に現在における記憶の顕在化(actualisation)である。それゆえこの操作には、しばしば想起すべき記憶に対応する現在的なイメージが伴う。広島の記憶を想起するために記念碑が必要であり、女優の記憶の想起のために日本人との一夜の恋が必要であるように。しかし、それによって、記憶は真に過ぎ去ったもの、過去となる。想起されぬ記憶は、過去となることなく現在につきまとっている。想起されていない記憶は絶対的に忘却されていると同時に絶対的に忘却不可能だ。したがって、逆説的なことに、想起することは、同時にこの記憶が過去となったこと、ついに通常の意味で忘却可能になったことを意味するのである。あるところで男は言う。
女優とのこの恋愛を、今後別の恋愛が想起させるだろう。しかし、恋愛を想起することは、この恋愛を忘却することと同じものなのである。パンゴーによれば、こうした思考の根源にあるのは、次のような思考である。「想起が忘却の一形態である以上、忘却が完全に遂行されるのは、一度想起それ自体がその活動を完全に遂行した時のみである」(Pingaud, op. cit., p. 5)。
ヌヴェールの記憶をめぐる記憶と想起の乖離は、冒頭で示される広島の記憶と記念碑の関係に等しい。レネは、執拗に記念碑や記念館の映像を見せた後で、日本人に「君は何も見なかった」と言わせる。記念碑は想起する。しかしその想起はすでに忘却の始まりなのである。おそらくヒロシマとは、本当の意味では想起されない記憶、それを顕在化するためのいかなるイメージも見いだすことのできない記憶であるだろう。
『ヒロシマ』はしたがって、3つのタイプの記憶のイメージを作り出すことに成功している。現在が直ちに過去によって二重化され、現在と過去が識別不可能になるイメージ、過去が現在において意識のなかに顕在化する想起のイメージ、そしていかなるイメージによっても顕在化されることのないということによって示される純粋な過去のイメージである。カフェのシーンで、女が男をドイツ人の恋人と同一視するときは現在と過去が一体となっている。ここでは想起されるべき過去のイメージ、ドゥルーズ的なタームを用いるなら「潜在的イメージ」が顕在化する一方で、今ここにある顕在的なイメージは逆に潜在化する。日本人の男は今ここにある顕在的なイメージだが、ドイツ人の恋人と同一化することで過去へと後退し、潜在化する。これは単に女優の主観的な錯乱ではない。そうであれば男が「僕は死んでいただろうか」とドイツ人の恋人となって語る必要はないからだ。一方、ナレーションベースで映し出されるヌヴェールのイメージは顕在化される過去のイメージをなす。それらのイメージは初めはクロノロジックに整列しておらず、非主観的な記憶の層の中に同列に存在している。しかし、日本人の男とドイツ人の恋人との同一化を通じて一度想起された記憶は、この同一化が解消された時、過去として整理されることが可能となる。このことは、過去が忘却可能となることを意味するが、それはまた、過去と現在を差異化することで、未来の可能性を開くことでもある。それゆえ、パンゴーは、忘却には未来を開くというポジティヴな機能もあることを指摘している。記憶し、過去を過去とすることは、忘却の始まりである。しかし、それなしには、過去は過ぎ去ることなく現在にとどまり、新たな現在によって置き換えられることはないだろう。言い換えれば、忘却の可能性がないところでは、未来の可能性もまたないのである。だからこそ、フランス人の女は日本人の男を捨てて帰らなければならない。女はもはや、日本人との恋は、ドイツ人との恋の反復であることをわかっている。反復であるということは、それらが完全に同じではないということをわかっているということだ。A1はA2によって反復されることで、過去のものとなる。そしてA1が反復可能であったように、A2も未来において反復可能であるだろう。ということはつまり、忘却可能だということである。
ここに、ヌヴェールの記憶と広島の記憶の差異が現れる。純粋記憶としての広島は、それを顕在化するいかなる顕在的イメージも見いだすことができないものなのである。それは単に、そのおぞましさゆえに無意識化された記憶ではない。無意識は、それでも個人の中にある。ヒロシマは、無意識的な記憶ではない。むしろ、我々人類がそこに浸かっていながら、誰一人としてそれをそのものとして想起することができない、我々の外部にある記憶であり、過去なのではないだろうか。それは想起できない記憶であり、そうであるがゆえに、決して忘却することのできない記憶なのである。
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