私は今絶望している

私は今絶望している。
絶望しているので、その心境を書き留めておこうと思う。

まず、なぜ私は絶望しているのか。
それは、新興分譲地に家を新築し、後から建った両隣がなんとも表現しようのない民であったからである。
最高の正反対とはこのことである。

夫婦ともに、差別を教わらない育ちであった私たちは、今日この日まで「民度」という言葉を知らなかった。
国語の勉強不足と言われればそれまでかもしれない。
しかし、本当に意識の内にはなかったのである。


「民度」というこの言葉は、両隣との関係性に悩むにつれ、相談にのってくれた周囲から入ってきた言葉であった。

とにかく、相手の考えが丸で理解できないのである。
知恵と知識を適切に使用できないと、こうもひどい方向へ人間は進んでいくものかと、絶望するばかりなのである。

今私は絶望している。
こんなことにはなりたくなかった。
こんなはずではなかった。
何度も何度も後悔した。
幾夜、眠れぬ夜を過ごしただろう。
家に帰るのがつらいと、何度思っただろう。

しかし、絶望しているからといって、自殺を考えるには至らない。
まったく至らないのである。
私は生きていく。
絶望したから、気づいたこと。
ありがたさ、大切なこと、幸せ
そして、この境遇であったからこそ、出会った人脈。めぐり逢い。
そして、結果として人脈のメンテナンスとなった人たち。絆が深まったと感じる。
そうしたことに、もっともっと感謝していたい。

そして、絶望のあまり何も手がつかなくなり、日々ネガティブモード全開の妻を一切責めることなく、常に優しく、支えてくれた夫。
本当にありがとう。

この絶望があったからこそ、自分の欠点に気づき、本気で直そうと思っている今。
そして、こんな自分になりたい、こんな人生を送りたい、を真剣に見つめようとしている今。
毎日、夫、両親、私を取り巻くすべての人間関係への感謝で溢れる人になれたなら。
いつか、なれるかしら。
どんな時でも前向きに進んでいく強メンタルはどうすれば身に着けられるのか。
どんな時でも笑顔を絶やさないでいるには、どうすればよいのだろう。

数年後、この絶望をどう振り返るだろう。

明日も何も進まない、何もできない私かもしれない。
でも、明日も私は生きている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?