派遣録 82 職場復帰(一時)

 髪、復活

放射線治療のせいで髪の毛が抜け、落武者状態だった俺は、2011年の秋になっても“そのまま”だった。

当初は生きていただけで良かった、などと思っていたが、さすがに恥ずかしい。まだ30代半ばだ。

近所のドラッグストアーでいろんな発毛剤や養毛剤を試したが、効果なかった。

それで思い切って、店員さんに相談した。
すると、「これ、新商品なんですが…」と新しい発毛剤を勧められた。漢方を使った4000円程の赤い缶だった。

「高いから、効くわけでも…」と思ったが、購入して使ってみた。
これが効いた。

周囲も驚くほど、猛烈に髪の毛が生え出した。
『田んぼから稲が伸び出すようだ』と弟に言われたほど、髪の毛が生え出した。
良かった😌

職場復帰の連絡の時…。

秋を過ぎる頃、俺に休職中の年金事務所への復帰話が出始めた。
というか、両親が強烈に復帰を望んだ。
そりゃそうだ。30過ぎの息子が(病気療養中だが)いつも自宅にいるのは、世間体が悪い。

俺としては、両親の気持ちはわかったが、髪の毛はまだ生え揃っておらず、口も不自由。以前の俺ではなかった。
さらには、また頭の中には二回目の手術の事があった。復帰しても、また休職になるだろう。なので職場復帰には消極的だった。

さらには、やはり入院前の『準職員採用面接』とその後の“不合格報告”の件があり、わだかまりがあっあ。
あんな“人の気持ち”を考慮してくれない“組織”などに復帰するべきか?
だが、他に俺が“戻れる”職場はなかった…。

悩んだが、両親に毎日説得された…。

結局俺は、年金事務所に連絡し、久しぶりに課長と話し、復帰の意思を伝えた。
すると、「ちょっと待って…」と言われ、「病院からの就労許可がほしい」「こちらからも主治医(松山医師)と話すね」と言われた。
二回目の手術予定も話したので、(…そりゃ慎重になるか?)と納得したが、なかなか返答が来ず、数週間後、ようやく連絡がきた。

課長が言うには、「主治医の方には連絡しなかったよ。復帰は可能です。いつでもどうぞ」といことだった。歓迎こそしないが、援助してくれそうな意思を感じた。
俺は復帰が認められ感謝したが、後から思うと不思議だった。

何故、課長は俺の主治医に連絡しようとしたのか?そして何故、止めたのか?
俺の復帰の了承に時間がかかったのは何故か?

これも“その後の事”を考えると、わかってくるのだが、俺は、迫る二回目の手術と、戻らない言葉の事で一杯だった。

復帰前に1度、事務所に顔を出した。
母に連れられて行った。それも恥ずかしかったが、久しぶりに見る事務所内や課長、福原、山代、事務所の面々。その目線が、それが懐かしいというより、一番恥ずかしかった。
あまり他人の目を気にしない性格なのだが、この時は復帰に前向きな気持ちになれなかった。

事務所には、帽子を被って復帰することも許してもらった。
髪の毛はまだ8割ほどしか戻っていなかった。

復帰

2012年の正月。俺は年金事務所に復帰した。
その頃、事務所は耐震工事のため、一時移動していて、元の事務所から数百メートル離れた場所(今のコストコ辺り)に仮設の事務が出来ていた。

俺は恥ずかしい気持ちで復帰した。別に不祥事を起こしたわけでもなかったのだが…。
そして別に誰からも白い目で見られたりするわけではなかったし、後ろ指などさされなかった。病気(脳腫瘍)ということで親切にさえされた。

それが俺には逆に辛かった💦
この時、わかった。
俺は人から“攻撃されたり”、文句を言われるのは平気だが、親切にされたり、遠慮されるのがどうも苦手だ。
“特別扱い”が苦手だ。
この時、何となく事務所の方々から『可哀想ね』と思われるのが、どうにも苦手だった。

だが、同時に仕方なく思えた。
脳腫瘍という病になったのは事実。
そして、まだ2回目の手術が待っていた。
その事は周囲も知っていた。
さらに、発症前の“俺の態度”もある。
穿ち過ぎなのかもしれないが、(…あんな奴、病気になっても当然…)と思われていたのかもしれないが。

俺の思い込みかもしれないが。

ちなみに俺がイラついていた友村(仮名)のBBAは既に退社していた…。
ひょっとしたら、俺の病気の原因として見られて、居たたまれなくなったのかも?

幻覚と提言(虚言)

年金事務所にはバスで通勤した。

脳腫瘍から復帰し、帽子を被っている俺に与えられた仕事は、以前の厚生年金の仕事ではなく、その手伝いのような補助作業だった。
当たり前だ。
情けなかったが仕方ない。

前は度々支持を出してきた福原(正職員)などは、厚生年金の適用調査の方にかかりっきりになり、俺にはあまり絡んで来なくなった。
そこも彼らしい。病気になった俺と関わるのは損、と踏んだのだろう。

仮設の年金事務所の近くには、“また”イトーヨーカ堂浜松上西店があり、俺はよくそこで食事をした。一階のフードコートにはよく訪れた。
バス待ちの時間を過ごした。

その時、よく幻覚を見た。
術後、幻覚は出なかったが、職場復帰し環境が変わり、俺に何らかの影響があったのかも?

有名人のニュースを見たら、“その人がフードコートの窓向こう”に現れたりした…(そして消える)
芸人がテレビで“暴れたら”、その人がフードコートの奥に現れたりした。(そして消える)

そんな幻覚を見ると、俺は絶望的な気持ちになった。再発のような気がしたからだ。

周りからの白い目を気にしながら、俺が働いている時、適用調査課の課長とトイレで一緒になった。
その時、奇妙な事を言われた。

俺が、用を足す隣で、「鈴木くん、まずは病気を治さないとな…」と語りかけてきた。
「?」
俺は意味が分からなかったが、『二回目の手術、頑張れ』という意味に捉えた。
そして、「仕事は、あーで、こーで、◯◯が大事たから、鈴木くんの努力でどうにでもなるよ」と言われた。
詳細は覚えていない。訓示みたいな話を“用を足す”ながら言われた。

その時は「はあ…」と曖昧に答えていたが、意味が分からなかった。

この時、課長が何を俺に言いたかったのか?
…それは後々分かる。

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