派遣録79 闘病期⑧ 入院中の思い出

少し話が戻り、術後に個室(ICU的なところ)にいた時の話。
思い出したので、書いておく。

ローラの“元値”

この頃、テレビにローラが出ていた。
あのため口キャラの女性タレント。最近見ないけど、どうしたのだろう?

頭から管が伸びていて(脳髄液流し)、動けない俺は、テレビは付けていたが、画面が観れなかった。
なので、音声だけを聴いていた。

その中で、おかしな女の子がいた。

バラエティー番組で何かため口で話し、何故かその後に爆笑が聴こえた。
(…何故、この子が話した後、こんなに笑いが?)画面を見ないと、全く理解し難かった。

退院後、改めて彼女を“観て”、理由がわかった。
彼女が話した“後”に、おかしなポーズをする事で笑いが起こっていたのだ。

それが分からないと、単に失礼な女の子と思えてしまう。
ちなみに、俺はローラが好きではなかったが、その後、田舎に泊まる企画で、素人の方に“丁寧”に話す彼女を観て、印象が変わった。

ため口の彼女はキャラクター。
あの丁寧な姿が、ローラの元値だろうか?

“生ユッケ”と“謝罪”

後、強烈に覚えているのが、“生ユッケで食中毒騒ぎ”た。
昼間のワイドショーを“聴いて”、焼肉会社の社長が号泣し、ぶちキレながら謝罪会見をしていた。

この社長の言い分が情けなかった💧
己らの過失を認めつつ、規制“しなかった”国や保健所を非難し、号泣。これが“泣き落とし💧”に俺には見えた。
そとそも論で、「元々、生ユッケを出すことがおかしいですよ💧」のような言い方。
聴いていて、悲しく、怒りさえ湧いた。
“そもそも焼肉で生ユッケ”を出すのがおかしいのなら、“そもそも、焼肉屋自体”をしなければ良い。

言い訳がましにも、程がある。

食中毒で病院♿🏥の中で発狂した患者もいたようだ。
それは、生ユッケの処理方法どうの、規制どうの、
ではなく、心から謝るしかない。
生ユッケは旨い。
だが、旨いが処理を間違えば、こうなる。

俺の脳腫瘍と同じ。
そもそも腫瘍の原因を探すなら、ストレスや不健康な食品を食べる事自体がダメだ。
だが生きていたら、ストレスは溜まるし、健康に食品だけを摂取は出来ない。

ユッケを食べる事(というか、焼肉自体)、これはどうしようもなくないか?
“そもそも、生ユッケを出すのが悪い”のなら、焼肉という行為自体が良くない。

この社長の謝罪会見を“声だけ”聞いていると、“まず”自己保身、という姿勢“だけ”が伝わってきた。

謝罪会見より、被害者への心からの謝罪では?
そう思った。
ここにも、人間の元値が見えた気がした。

憐憫と嫌悪

そう意味(元値)で、今でも思い出す事がある。
俺が脳腫瘍になってからにゅまでの、“周囲”(友人)の反応だ。

俺が近所のクリニックで、脳腫瘍を告げられた時、大学の友人の結婚式が迫っていた。
その式に共に出る予定の友人に脳腫瘍になった事を報告し、行けなくなったことを告げた。

その友人の反応は「…そうか。まずは病気を治せよ。無事を祈る。俺にできるのはそれだけだ」と返してきた。
その後、この友人に何度か連絡を入れたりした。
『血液の採取だ』
『明日から入院』
『事前の予備手術だ』

…などと報告した。
その度に返信してくれるのだが、その文の最後に必ず、『…無事を祈る。俺に出来るのはそれだけだ』を付けてくるのだ。
毎回、俺のメッセージにその言葉を付けてくるのだ。

一、二度なら気にならないが、毎回だとさすがに気になってくる。
『俺にできるのは、祈る事だけ』
つまり、それは『…脳腫瘍は可哀想だけど、俺にはどうしようも出来ないから、これ以上関わってくれるな…』
という事だ。

勘違いして欲しく亡いのだが、だからと言って、俺はこの友人に怒っているわけではない。
もし反対の立場(友人が重病とか)になったら、俺がそいつに「無事を祈る。それだけだ…」とかメッセージを送るかも知れない。

人間、他人の不幸を聞いたり、知れば、まず考えるのは『自分に不利益が降り掛からないように…』という自己保身だ。生ユッケを出した焼肉屋の社長の会見と同じだ。
 
(…これが、他人からみた“脳腫瘍になった俺”の印象付なのだ) 
つまり“なるべく関わりたくない奴”というのが、本音だろうな。
 
やがて入院し、手術を待ち、“マイペース(by サンセット スウィッシュ)”を聴きながら、その友人からの言葉をそう思っていた。
 
これが人間の元値だ。
もちろん、その友人は俺を心から心配してくれている。
そして同時に(こいつめ、俺に何かしらの不利益をもたらすなよ)と思っている。
別に『手術代、貸して』とか『俺の代わりに◯◯して』なとど要求するつもりはなかった。
だが、そよ友人からしたら、脳腫瘍でその事をいちいち報告してくる俺は、“気の置けない”人だったのだろ。
 
憐憫と嫌悪
その2つの感情がある。これが人間の元値だ。当然だ。
脳腫瘍になった人に対する、他人からの印象だ。
この後、俺は、この印象にかなり苦しむ事になる(…今も) 

その後、この友人とは今でもやりとりしているし、友人である。
本当に悪感情や嫌悪は無い。今でも友人だと思っている。あの態度は忘れないが…。
  



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