『生きていられる』という文章を書きました。一読くださると幸いです。

『生きていられる』


庭でネズミが死んでいた、


正確に言えば、庭にネズミの死骸があった。


恐かった、本能的に恐いと感じた。


「死」を見るのは、物質的な「死」を見るのは稀である。


少なくともわたしはそうである。


もちろん虫を殺すことはあるが、それを恐いとは思わない。


昔見た、祖父の遺体も眠っているようだったから、


それほど恐くはなかった。


しかしネズミの死骸は恐ろしい。


無残に喰われて、干からびていた。


その上を虫が飛び回り、異臭を放っている。


前にも庭にネズミの肉片が落ちていたが、


その時も同じく恐かった。



なぜ、こんなに恐いのか。


もちろん見た目のグロテスクさもあるが、


強烈な「死」を突きつけられることが恐いのだろう。


虫の「死」よりも、ネズミの「死」の方が強烈であり、


よりリアリティを感じる。


普段、わたしは、そして多くの人は「死」を忘れて生活している、


生きていると思う。


しかし死んだネズミを見ると、その「死」を感じずにはいられない、


それが恐いのだと思う。


ネズミは死ぬ、


我々も死ぬ。


不変の理である、


少なくとも今のところは。


だから我々は、


生きていられるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?