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高負荷トレーニングと可処分時間のジレンマ

可処分時間をいかに作り出すか。

これは令和に生きる勤め人の一つの命題になっている。

”副業を構築する時間”や”自分自身の価値を高める時間”を作り出すことはlayerを超えて、ステージを上げるために必須である。

働き方改革が施行された今、もはや可処分時間確保に対する言い訳は許されない。

”時間の捻出”も能力の一つである、というコンセンサスが社会の上位層では常識になっている。

一方で、医者は可処分時間が極めて少ない。

多くの医者が可処分時間の確保に頭を悩ませている。

その原因は、その独特なトレーニングシステムにある。

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病院において医師免許は絶対の力を持つ。

持ち主がペーペーの新人だろうが、なんのスキルもない若造だろうが関係ない。

病院という世界においては、診療の責任は常に医師に在る。

例えば、場末の中小規模の病院であれば、夜間の全入院患者の責任、搬送されてくる救急車の対応を20代そこそこの若者が一人で負うことは日常茶飯事だ。

不測の事態にコメディカルを含めたチームで対応するのが基本だが、実質的な責任の所在はその医者1人にある。

そのため、医者は若くして組織のリーダーを務めるため、病院の中でとりわけ早く成長する必要がある。

そして、それを可能にするのは「高負荷トレーニング」だ。


例えば、一般的な医療行為の一つである「点滴」を例に出そう。

「薬剤を投与するために、患者の腕に針を刺して血管内に針を挿入する」という処置は、医者のみならず、看護師や救命士などのコメディカルも実施できる医療行為だ。

コメディカルの「点滴」の教育方法は、往々にして一般的である。

何度も処置の見学をし、職員同士で練習を十分にする。
その後で、比較的簡単そうな患者さんから先輩の見守りのもと針を刺していく。

徐々に慣らしていき、段階的にステップアップ。

よく目にする一般的な教育方法だろう。

ところが、医者の場合は少し事情が異なる。

実情はこんな感じだ。

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学生気分の抜けきらない研修医になりたてホヤホヤの4月1日。院内のPHSを持たされた数分後には、

「先生、点滴確保が難しい患者がいて、看護師ではできないのでお願いします。」

と着信が来る。

いやいや、どう考えても熟練の看護師ができないものを、入職したばかりの研修医ができるはずがない…

当然脳内にこんな考えがよぎる。

だがここは病院だ。

最後は医者がケツを持つ決まりになっている

研修医は内心激しく動揺しながらも、患者さんのベットサイドに腰を下ろし、頭で手順を反芻し、震える手で点滴の針を刺してみる。


当然だが、うまくいかない。


患者さんからは、

「えー、また失敗?勘弁してよ、医者でしょ?」

と苦い顔をされ、平謝りするしかない。

頼まれた看護師からは落胆と失望の表情で見られ、半ばため息混じりに、

「どうします?上の先生呼びます?」

と、判断を求められる。

無力感、無能感に飲み込まれながら「すいません…」と上司に電話し手を代わってもらう。

医者としての「オシゴト」が始まって数ヶ月は何をするにもこんな調子で、プライドをズタボロにしながら日々を過ごすこととなる。

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ところが、1年もしないうちに世界の景色はガラリと変わる。

点滴で困ることはほとんどなくなる。

入職直後にはあれだけ恐怖していた「点滴確保困難」の電話がかかってきても

「あーはいはい。やっときますよ。道具置いといてください。」

くらいの余裕が生まれている。

その理由はなにか?

"圧倒的な労働時間"と"過度なプレッシャー"による高負荷トレーニングによる急峻な成長だ。

例えば、僕の所属していた病院では「夜間ルート当番専用PHS」というものが存在していた。

これは当番の研修医が、17時から翌朝まで病院に入院している全患者の点滴確保の責任を持つ、という仕事だ。

一晩中PHSに電話がかかってきて、夜通し点滴を取りまくる。

ひたすらにそれだけをやる仕事だ。圧倒的な数をこなすため、否が応でも経験値が増えていく。

当たり前だがこの仕事は、日中の業務に+αで存在するものであり、単純に2倍働くことになる。看護師や救命士より成長が早くて当然だ。

また、プレッシャー下での仕事というのも重要なポイントだ。

先に述べたように、何人ものスタッフが散々失敗した後に電話が来る。

到着時には、患者さんからも

「お医者さんがくればもう大丈夫ですよね?」

という雰囲気が醸し出されており、「絶対に失敗できない」というプレッシャー下で針を刺すことになる。

このプレッシャー下で成功することは大きな自信を生み、何倍もの速度で人を成長させる。

「点滴の針を刺す」というありふれた医療行為でも、独特のトレーニング方法により医者の成長速度は他職種とは差が生まれる。

圧倒的長時間労働と過度なプレッシャーによる高負荷トレーニングは成長のキーだ。

この高負荷トレーニングこそが、ありとあらゆる医学教育のベースであり、この先に身につけていく専門的で高度な医療行為全般の習熟法となっている。

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一方でこの手法には欠点もある。

それは可処分時間が犠牲になる、ということだ。

高負荷トレーニングは規定時間を優に超えた長時間労働をベースとしている。

加えて、プレッシャーに打ち勝ち成功させるためには予習や復習などの業務時間外のいわゆる自己研鑽が必須である。

点滴くらいでは予習は必要ないが、手術や急変対応など、より専門的な医療行為には全て「あらかじめの予習」が必須となる。

当たり前だが、患者さんを前にして

「あれ、どうやるんでしたっけ?」

は許されないからだ。準備には膨大な時間がかかる。

高負荷トレーニングと可処分時間の確保はトレードオフである。

そしてそれはすなわち、

「可処分時間を増やし、副業をしよう」
「可処分時間を作り出し、自分の価値を高める時間に変えよう」

という概念と真っ向から衝突してしまうように見えてしまう。

このトレードオフをどう捉えれば良いのだろうか?

この命題にはより遠い視点を持つことが、1つの解決につながる。

それは

"可処分時間を得た先の世界を見据える"

ということである。

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当たり前だが、可処分時間を得ただけでは人生のステージは上がらない。

得た可処分時間を自分自身の価値を高めるための努力に費やす必要がある。

結局、時間を得た先でも外で戦うためのなんらかのトレーニングが必要になるのだ。

そこで効果を発揮するのが"高負荷トレーニング慣れ"だ。

長時間駆動できる体力は、活動時間を拡張させ、可処分時間そのものを押し広げる。

プレッシャー耐性や、それに打ち勝つための準備を怠らない姿勢は、会社の看板を外して戦う個人には必須の力である。

つまり”高負荷トレーニング慣れ”が可処分時間確保後の、他の分野への取り組みにも強さを発揮する、ということだ。

培われた体力と精神力は、可処分時間を作った後の自分を飛躍させるコアとなる。

あとはそこに自分なりのストーリーをつけていけばよい。

決まったノウハウはない。

一つ一つの成功例を見て、自分なりの進み方を模索していくのだ。

実際に僕は副業に向けて動き出して、5ヶ月でゼロから1円を稼ぐことができた。

ひとえに師匠達やあたたかく良質なコミュニティのおかげでしかないのだが、そのきっかけとなったのは自分自身のハードワークの積み上げだった。

下積みをちゃんとやってきたからこそ、noteを読んで共感してくれる方々がいた。

睡眠を削って追い込んだ過去があったから、仕事と育児に追われながら、深夜まで記事を書けた。

夜通し鳴りやまないPHSと寝床を共にする生活。絶え間なく病院によばれるシンドさ。

これらに比べれば、自分自身のためにやっている副業の時間は幸せなくらいだ。

医者としてなるべく早く成長しようと選択してきた道が今のスタイルにつながっている。

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昨今の副業トレンドの中で、本業へのエフォートと可処分時間のバランスは非常に難しい問題だ。

ただ、それらは一見相反するように見えて、進んだ先から振り返ってみればそれはひと続きの道になっている。

”高負荷トレーニング慣れ”は、可処分時間を得た後の飛躍のための立派な備えになる。

有象無象、玉石混交のビジネスの世界、数多の成功法がある中で、

「能動的に高負荷トレーニングを選択し、十分な耐性をつけてから、可処分時間を創出し、そして新たな世界へ踏み出していく。」

というのは1つの合理的な戦略である。



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