言葉がわからないとそこからくる悪い癖を治したい話

言葉というのはわからないものだ。
その背景を考えれば考えるほどひどく重く意味と理解と想像がのしかかってくる。
『泣かせた』という文字列があるとしよう。
で、自分が少しでも罪悪感をもっている時、
その『泣かせた』はどのくらいの『泣かせた』なんだろうか。
グサリとささって静かに泣いているのか、
それとも誰かしらに泣きついているのか、
『すすり泣く』など意味が限定されているのであればそのくらい泣いたのかわかりやすい。
でも泣いたならどの程度泣いたのだろう。
比喩表現で使っているのか否かも考えなければならない。
いずれにしても、罪悪感がこちらにあるならばその罪を背負っていかなければならないのだが…
どの『泣いた』なのだろう。
と自分はいつも考えてしまう。
自分は
ちゃらんぽらんで抜けていて、いつどこでよくわからないうちに言の葉を鋭く尖らせ傷つけてしまうことがありえる存在なのだ。
笑顔にしたいと夢があるというのにそれすら全ての人すら笑顔にできない。
そんなちっぽけで薄汚い存在だとも考えている自分。
誤りを謝ったとて、周りからはダメなやつと思われる。
だからこそちっぽけな脳みそでその言葉を必死に理解しようとしてきた。
でも、大まかに泣いた、笑ったといった表現が上手く使えないかもしれないし、理解ができない。

だから、悪く悪く悪く永久に悩んで考え続ける時もあったりする。
SNSはだいたい140、ミニマムで伝えなきゃいけない。
でも、大まかな言葉であればあるほどに誤解が多くなる。
そのポストに対する返信もこれで良いかわからない自分勝手なものになってしまう可能性が増える。
実際これで良いかわかない事が自分にもある。

考えすぎないがうまいSNSの付き合い方かもしれないが、心が無いようにも思われたくない。

優しいだろうが、馴染んでる、自分の世界が有ろうが、幸せにできない笑顔に1人できなかった
僕はどうしたらいいんだろうと
今日も考えながらお菓子を作る。
無心になりたくてスコーンをよく作るようになった。
本当は好きはあれど自分の本当の心が無いようにも思える。
ピースがはまらない。音楽は流れるならハマるし、ラップも聴いたりやったりする時はハマってる。
でも無くなったら自分は何も無いのだ。
笑顔になる仕事がしたいと色々やって笑顔がある時にハマるからそれが目標になった。

笑顔に囚われているのだろうか?
だから泣いたというという文字にゾワりと恐怖を感じる事がある。
自分のせいじゃなくても泣いてるのをみたく無い
もし、自分が招いたなら一緒償わなくてはならない。
だっていけない事だから。
泣かせたなら謝る。
でも他の人の怒りも収まらない。
謝ったとて、本心でないと思われたなら
相手もモヤモヤが残るし、自分もモヤモヤしてしまう。
本心があってもそう感じる事があると
昔から言われていて直せない悪い癖。
直したくても治らなくてずっと締め付けられている悪い癖。
笑顔にできない悪い魔法。
直したい。
それで謝る事が本当に謝ってると思えるようになるなら、笑わせていると思ってくれるようになるために
今日も言葉を綴って、調べて学びます。

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